表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵と男装王女  作者: es
後日談
4/6

そのに。

 


「今日は菓子を焼いてきたんだ」


 今日も今日とて、我が物顔でロイの家にやってきた男装王女は、実に優美な所作で紙袋を差し出した。

 彼女がしている男装は、相変わらず、女性であることも、天上の美貌も隠せていない。

 質素な傭兵の家に、国宝級の宝玉が置かれているかのような違和感がある。


 そんな王女が渡してきたのは、普段ロイが目にすることのない、上質の紙で出来た袋だった。中身は手作り菓子だという。

 ……不安になる要素が満載だ。いろんな意味で。


 この破天荒な王女が菓子なんて作れるのか。それを一介の傭兵が食べていいのか。いや、そもそも食べられるものなのか。

 思考がぐるぐると巡る。


 何とか遠慮する理由を捻り出そうと、王女をそろりと窺ったロイは──すぐに、彼女を見なければ良かったと後悔した。

 美しいレスティリア王女は、子供のようにわくわくした顔でこちらをじっと見つめていた。黒曜石のような瞳は、ロイが菓子を食べる様子を一片も見逃すまい、とキラキラ輝いている。


 これは断れない。

 後で食べるとも言いにくい。


「……ありがとうございます、殿下」


 ロイは決死の覚悟を決めた。戦場でもここまで追い詰められたことはない。

 確か、棚の奥に腹を壊した時に飲む薬があったはず。そう思いながら、袋に手を入れて菓子を一つ取り出した。


 そして──彼は、王女にバレないように軽く目を見張った。


 …………案外、普通だ。

 少なくとも見た目は。


 いや、それより、何故王女である彼女がこの菓子を知ってるのかが不思議だった。

 こんがりと焼き色がついた菓子は、この国の庶民が好んで食べる、蜂蜜入りの素朴な焼き菓子である。

 ロイも、子供の頃はよく食べていた。大人になってからは、久しく口にしていないが。


 王女という生き物は、マカロンとかガトーショコラとか、自分なんかにはよくわからない、上品な菓子を食べているものではないのだろうか。

 なぜこのチョイスなのか。庶民の自分に気を遣ったんだろうか。

 謎が深まる。

 だが、考えてばかりもいられない。

 正面からじーっと見つめる美女の圧と、菓子から漂う甘い匂いに負けて、ロイは思いきって一口齧ってみた。


「────とても、美味しいです」


 それは、お世辞ではなく本音だった。クッキーのような食感だが、口の中でホロホロと崩れる。蜂蜜の甘さも丁度よい。

 カリカリした香ばしい粒は、小さく刻んだ胡桃だろうか。


「気に入って貰えて良かった」


 武骨な男による、全く捻りのない感想だったが、王女はほっとすると同時に、花が綻ぶような華やかな笑みを浮かべた。

 ロイは思わず、咀嚼しながら目を瞑った。

 これ以上彼女の笑顔を見たら、絶対に後戻りできなくなる。そんな予感がしたからだ。


 だが、既に手遅れかもしれない……

 ひしひしと撤退戦に失敗した予感があった。



「……これは、母上から作り方を教わった菓子なんだ」


 雑念を追い払うように、瞑想しながら黙々と菓子を齧っていたロイは、それを聞いて思わず目を見開いた。

 その反応に、「あなたは良くも悪くも、本当に私に興味がないのだな」と王女は苦笑いした。


「私の祖父は、男爵とは名ばかりの下級貴族。祖母は平民だ。祖父は領内一美人だった祖母と、大恋愛の末に結婚し、その美貌を受け継いだ母を陛下が見初めて側妃にしたんだ。つまり私の血の半分は、ほぼ平民といってよいだろう」

「……左様でしたか」


 ロイは王女個人に、興味がないわけではない。だが、王族の事情には詳しくはない。

 今の話を聞いて、この風変わりな王女が王宮で辛い思いをしなかっただろうか……と気になった。王侯貴族とは、強烈なまでの身分社会だ。

 眉をひそめると、王女はこちらの心配を察して首を振った。


「母上も私も、陛下の他の妃や腹違いの兄弟に虐められたりはしなかったよ。だが、田舎育ちの母上は、王宮の暮らしが合わなくてね。

 母娘で田舎の離宮に引っ込んで、私もそこでのびのび育ったんだ。その菓子の作り方も、離宮にいた頃、母上に教えてもらった」


 なるほど、と胸の内で呟く。そういえば彼女は離宮育ちだと言っていた。いまの話を聞けば、ロイの疑問のほとんどは腑に落ちる。

 のびのび育った……というには、若干フリーダムすぎると思うが。

 しかし余計な口を挟まず、ロイは彼女の凛とした声で語られる身の上話に、静かに耳を傾けた。


 ──王女によれば、母であった側妃は六年前に儚くなったという。彼女はそれを機に再び王都に戻った。

 父王はどこぞの貴族にでも降嫁させるつもりだったようだが、血筋などの理由でなかなか相手が決まらず、その時、丁度隣国から縁談の打診を受けたらしい。


「結果はあなたも知っての通りだ。私が刺客に襲われ、ご破算となった」


 肩をすくめる王女は、破談に何の未練もないように見えた。実にさっぱりした表情だ。


「まあ、猫を被るにも限界があるし、隣国との政略結婚がなくなってほっとしている、というのが本音かな」

「…………」

「で、ロイ。あなたのことだが」


 ロイを見て、王女はニコッと笑った。


「あなたが貴族の養子に入りたくないのなら、いっそ私が事故死したことにして、平民として生きるのもやぶさかではない。あなたと結婚できるならどんな手段を用いてでも……」

「いや、ちょっと待ってください!」


 つい話を遮ってしまった。

 確かに彼女は平民適性が高そうではあるが、それとこれとは別である。


「……少し、考えさせてください」

「わかった。話が前進したと受け止めよう。ぜひ前向きに考えてくれ」


 ……本当にポジティブだな、と呆れる。

 だが、子供のように目をキラキラさせて、ぐいぐい迫る王女を跳ねのけるのはもう難しかった。


「名残惜しいが、そろそろ城に帰るとしよう」


 席を立った王女を玄関先まで見送る。「また来る」と微笑する美女に、ロイは珍しく自分から声をかけた。


「……亡き側妃殿下の思い出の菓子を、手ずから作ってくださってありがとうございました。とてもうまかった……です」

「いや、こちらこそ食べてくれてありがとう」


 嬉しそうに破顔した王女は、転送の魔法を詠唱し、光に包まれてふっと消えた。

 去り際の笑顔が瞼の裏にちらついて、ロイは暫く玄関先に立ち尽くしていた。




王女がかなり距離を詰めてます。

そろそろチッェクメイトかな、という頃のお話でした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ