【短編版】悪役令嬢の婿取り
息抜きに悪役令嬢ものを書いてみました。ざまぁは付け合わせ程度のお気楽ギャグです。
(2024.02.12追記)ありがたい感想をたくさんいただき、恐る恐る連載版を始めました。シリーズからも飛べます。https://ncode.syosetu.com/n2688iq/
「アリエノール・トゥールーズ! 貴様のような悪女は国母に相応しくない! 今この場をもって、貴様との婚約破棄を宣言する!」
国内の貴族の大半が集まる王家主催の夜会。華やかなその席で、壇上で愛らしい容姿の令嬢の肩を抱きながら高らかに宣言したのは、国王唯一の子である第一王子。
そして彼が指差した先にいたのは、黒椿の異名で知られる侯爵令嬢だった。
王国では珍しい艶やかな黒髪と、涼やかなアイスグリーンの瞳に、冷たい雪を思わせる白く澄んだ肌。
紺色のドレスには銀糸と隣国産の真珠が惜しげもなくあしらわれており、銀と真珠で椿を模した髪飾りも彼女の髪色によく映えた。
婚約者である第一王子から名指しで悪女と罵られ、幼い頃から結んでいた婚約を一方的に破棄されたにも拘わらず、彼女は花の顔を曇らせることはなく、凛とした立ち姿で王子と令嬢を見上げていた。
「レーモン殿下。両陛下と国賓の皆様もいらっしゃる場で、このような振る舞いは慎まれた方が……」
「黙れ! 今は貴様が説教を垂れる場ではない! 私が! 貴様を! 断罪する場であると心得よ!」
「断罪、ですか。私に罪があると仰るのでしょうか」
広げた扇で目許以外を隠したアリエノールを見た王子は、相手が怯んだと見たのか怒涛の勢いで畳みかけた。
「そうだ! 貴様は私の心が自分から離れたことに焦り、この愛らしいペトロニーユに嫉妬し、陰湿ないじめを繰り返していた! 貴様のような性根の腐った悪女に、我が王国の栄えある王妃の座など渡すものか!」
「レーモン様、素敵! 私、とっても怖かったわぁ……」
「おぉ、可哀想なペトロニーユ! 私が守ってやるから安心しろ」
壇上で愛を囁き合う二人に、傍に控える王子の側近は虚無の表情で紙吹雪を振り撒き、会場全体は凍り付き、王族の席に着いたばかりの国王夫妻も何事かと固まっていた。
しかし悪女と呼ばれたアリエノールは本人は、目を細め、笑みを浮かべているようにさえ見える。
「恐れながら殿下。私はそちらのご令嬢とは面識がございませんの。ご紹介してくださいますか?」
「白々しいことを……ペトロニーユは学園に編入してきた時から注目の的であっただろう! そのせいで嫉妬に狂った貴様や、他の女達から謂れのない中傷やいじめを受け、繊細なペトロニーユがどれほど傷ついたことか……!」
「くすんくすん。レーモンさまぁ」
「ペトロニーユ……ブシャール男爵家のご令嬢でしょうか」
「はっ! ほら見ろ! やっぱりお前がペトロニーユをいじめていたのではないか!」
「いじめてはおりませんし、面識もございませんが、彼女の名前だけは学友の皆様から聞き及んでおりますわ。皆様、殿下のことを案じてくださっていますから」
「は? 私を?」
訝しむ王子に、周囲を取り囲む学友――これから国を支え、繁栄させていく貴族の子女達――が大きく頷く。
「はい。聞けばブシャール男爵令嬢は数年前に男爵家に引き取られた養女で、元は平民の出でいらっしゃるとか。そんな方に王子は、王太子妃の……いえ、将来の王妃の座を約束されたと、複数の方が教えてくださいました」
がたりと立ち上がる音がした方に誰も視線を向けないのは、高貴なる方をじろじろと見つめることが不敬だと理解しているからである。決して、王妃の形相に恐れをなしたのではない。
しかしそんな王妃の怒りも、肝心の王子には全く伝わっていないようだった。
「ふん。なるほどな。貴様が私の婚約者の座を追われ、怒り狂うことを心配した私の忠臣が、貴様を諫めていたというわけか。それなのに貴様は凶行に走った。臣下の言に耳を傾けられない女など、やはり王妃の器ではないな!」
鏡に向かって罵倒しているかのような言葉に、場の空気はさらに冷え込むが、それに反して王子の勢いはますます加速していく。
「貴様のように家柄と血筋しか誇るもののない悪女の血など、一滴たりとも我が王家には入れぬ! 私は聖女のように清らかで心優しいペトロニーユと共に、この国をさらなる栄光の時代へ導くことを誓おう!」
「きゃー! レーモンさまぁ! 私、一生懸命レーモン様を支えて、優しい王妃様になりますね!」
「ペトロニーユ!」
抱き合う二人。
やけくそのように投げつけられる紙吹雪。
困惑とじわじわと湧き上がる怒りから言葉を失う貴族達。
国外からの来賓の中には従者を走らせて何事かを外に知らせる者もいるが、とにかく、場は混迷を極めていた。
そんな中、ぱちんっと扇を閉じる音が、広い会場の中に響き渡った。
「承知いたしました。王家と我が侯爵家の間で結ばれた婚約につきましては、両陛下と侯爵家当主によって然るべき手続きを踏む必要がございますが、私個人といたしましては、殿下のご意向に添いたいと存じます」
アリエノールの桜色の唇からすらすらと綴られる言葉に、レーモンは我が意を得たりとばかりに胸を張った。
「ふん! ようやく貴様も自身の罪と、置かれた立場を理解したか。愚鈍な女め。ではこれより、貴様の罪を贖うための罰を……」
「つきましては!」
「なっ……」
仮にも王族の言葉を遮るなどという侯爵令嬢らしからぬ不作法に王子が絶句している間に、彼女は壇上の二人にくるりと背を向け、会場に揃った貴族達に向けて美しい礼を取って見せた。
「皆様、王妃陛下主催の夜会をお騒がせし、申し訳ございません。ご迷惑ついでに、もう少々私の我儘と茶番にお付き合いいただければ幸いでございます」
アリエノールが視線でお伺いを立てたのは、息子の愚行に怒り心頭の王妃その人だった。
彼女は今にもへし折りそうだった扇を広げ、アリエノールの申し出に対して了承の意を表した。
「格別のご高配を賜り感謝申し上げます。改めまして、トゥールーズ侯爵家が娘、アリエノールでございます。父は外務大臣の任を拝しておりますトゥールーズ侯爵、母は隣国の公爵家の出身であり、私の髪の色は母譲りです。皆様がご覧になった通り、只今レーモン第一王子殿下より婚約破棄を言い渡されました。まだ正式な手順は踏んでおりませんが、王家が主催される会で、国を支える皆様の面前での宣言ですので、おそらく覆ることはないでしょう」
がたがたと、またもや立ち上がる音がしたが、すぐに鋭い打撃音と共に音は止んだ。
椅子に沈み込んだ国王の広い額が赤くなっていることも、王妃が無惨に折れた扇を侍女に交換させていることも、貴族達は気付いていない。いや、気付いてはいけないのだ。
「私は侯爵家の一人娘として、婿を取る立場となります。つきましては、私と共に侯爵家を盛り立ててくださる志ある方を募りたいと思います」
「ハハハッ! 婚約破棄された直後に婿を募集とは、気でも違ったかアリエ……」
「条件は三つ!」
「聞けよ!」
「一つ、現在配偶者および婚約者がいらっしゃらない方。ただし、婚姻後数年を経た後には愛妾を持って頂いても構いません。お二人の間に生まれた子には侯爵家に関する財産や爵位を継ぐ権利はございませんが、子が学園を卒業する年齢までの生活については保証いたします」
「その言い方であれば、過去に婚姻歴のある者でも資格があるように聞こえるが、どうなのかな」
手を挙げて口を挟んだのは、アリエノールの実家とは異なる侯爵家の次男。昨年浪費家の前妻との離婚で社交界を騒がせた彼は、アリエノールより十ほど年上である。
「婚姻歴は問いませんが、過去の配偶者や婚約者の方とのトラブルを当家に持ち込むわけにはまいりませんわ」
「……なるほど。過去を清算して身綺麗にしなければ、トゥールーズ家には迎え入れられないということだね。正論だ」
彼の元妻が未練がましく復縁を迫っていることは、社交界でも知られている。
離婚で気力を使い果たしたこともあって逃げに徹していたのだが、明確な目標があるとなれば話は変わってくる。
実家の実務を取り仕切る名補佐役が浮かべる意味深な笑みに、近くにいた元妻と弟に頼りきりの侯爵家現当主が青褪めていたのだが、話を続けるアリエノールは与り知らぬことである。
「次に、私が女侯爵となることを認め、支えてくださる方。かつ、支える能力のある方、ですね。得意分野は問いません。何らかの形で当家と国に貢献いただける方を求めます」
「き、貴様が女侯爵だと!? ふざけるなよ! 女は黙って夫を立てて……」
「アリエノール嬢ー。それって侯爵夫人のご実家との貿易の絡みだったりしますかー?」
「おい! 不敬だぞ、貴様!」
軽いノリで王子の言葉を遮ったのは、学園でアリエノールと成績――特に外国語でトップを競い合った同級生の伯爵家の三男だった。
「はい。隣国で生産される絹糸の九割は母の実家の公爵領で生産しております。我が国が他国よりも安価に、高品質の絹糸を輸入できるのは、私の両親の婚姻に因るところが大きいのです」
「だよねー。アリエノール嬢、あちらの公爵家の皆様からも愛されてるものねー」
彼の実家は国内で最も大きな港を領地に持っており、外務大臣を務めるアリエノールの父とも関係が深い。
語学力と対人スキルの高さを買われ、卒業後は外務に携わることが内定している彼にとって、上司の娘婿の座は大変魅力的だった。
美人で聡明な奥さんと出世がセットでついてくるなんて最高じゃんと、満面の笑みを浮かべる伯爵令息を後目に、壇上ではそれまで王子の背後に隠れていた男爵令嬢が声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってー! 絹糸の値段? 何で? だってアリエノール様のお母様って、何年も前に離婚して国に帰られたんですよね?」
甘ったるい安物のシロップのような声音で他家のスキャンダルを語る令嬢に、周囲の、特に王子の親世代より上の貴族達が息を呑む気配がする。
しかし王子は、令嬢を窘めるどころか、彼女の語る話に全力で便乗した。
「そ、そうだ! 侯爵家の婚姻で絹糸の値段が変わるなら、侯爵が離婚した時にとっくに……」
「離婚、ですと?」
その瞬間、会場の一角からぶわりと冷気――正確には殺気もしくは怒気――が溢れ、壇上の二人は「ひっ」と声を引き攣らせた。
「お父様」
アリエノールの父であるトゥールーズ侯爵は、話題の隣国産の絹糸で作られた礼服が良く似合う、上品な紳士である。
些か早足気味に愛娘へと駆け寄った侯爵は、妻と同じ色の髪を愛おしそうに撫でながら、たった一人で戦った娘の労を労った。
「遅参してすまなかったね、アリエノール。事の経緯は聞いているし、婚約破棄もやぶさかではないが、大事な点は訂正させておくれ」
「もちろんです」
「では……レーモン殿下。失礼ながら、私と妻は離婚などしておりません。妻は事情があってこの国では暮らせないため、実家に戻っているのです。私が隣国に赴いた際には必ず出迎えてくれますし、社交シーズンが終わればあちらで親子水入らずで過ごす時間も作っております」
「な、何だそれは! そんなもの、夫婦とはとても……」
「っ……おやめなさい、レーモン!」
その場に割って入ったのは、バルコニーから身を乗り出す王妃だった。
侍女と侍従が必死に止めているが、王妃は取り乱した様子で声を荒げた。
「トゥールーズ夫妻が共に暮らせないのは、彼らの責ではありません! ブランシュが……私の親友がこの国を去ったのは、国王陛下のせいです!」
「はぁ!?」
王妃の発言に目を向く王子だが、王妃の隣に座る王はだんまりを決め込んでおり、彼と同世代の貴族達も気まずそうに王子から視線を逸らすばかり。
恐る恐る侯爵の方を窺うと、彼は大変凄みのある笑みを浮かべながら、聞かれる前に最愛の妻について語り始めた。
「ブランシュは隣国の公爵家の出身で、あちらの国の先代の王弟殿下と、我が国から嫁がれた王女殿下の間に生まれました。その縁もあって我が国の学園に留学しておりまして、私達は学園で知り合い、恋に落ちました」
家族から愛されていた末娘の恋は、トゥールーズ侯爵の将来性に目を付けた隣国の王家の後押しもあり、政略結婚という形で叶うことになった。
ところがそこへ、学園の同級生だった当時の王太子――今の国王が横槍を入れた。
「彼女は大変愛らしく、聡明で、心優しい女性でしたから、想いを寄せる者も多かった。しかし、大半の者は我々が相思相愛の間柄であると知れば、喜んで身を引き、祝福してくれました。ただお一人、陛下を除いては、ね」
「……」
「とはいえ、陛下はすでに王妃陛下とのご婚約が調っておりましたし、ブランシュは側妃とするには身分が高すぎました。先王陛下や王太后陛下も説得に当たられ、淡い恋心は青い日々の思い出と共に捨て去られた、私達はそう信じておりました」
「と、トゥールーズ……もうその辺で……」
「それなのに、仮にも一国の王が、王妃を訪ねて王城を訪れた臣下の妻に無体を働こうとするなど、言語道断! ……そうは思われませんか、レーモン殿下?」
「あ、あう……」
バルコニーの国王も、壇上の王子も、上から侯爵を見下ろす格好だ。だが、侯爵から発せられる圧は、確実に二人を上から押さえつけ、反論する気力を奪い去っていた。
「私は妻の身に危険が及ばないよう、彼女の実家で守っていただくことにしました。本当であれば娘もあちらに預けたかったのですが、その時にはすでに、娘は殿下の婚約者に内定しており、国外に出すことは叶いませんでした。……ですがやはりあの時、無理を押してでもアリエノールも逃がしてやるべきだった。我が娘を、ブランシュとの間に唯一授かることができた最愛の宝を、こんな目に遭わせるなど……!」
「お父様……」
愛娘を抱き締める侯爵に、周囲はかける言葉もない。
国王の醜聞は、同世代以上の貴族の間では周知の事実であった。
幸い、すぐに駆け付けた近衛兵らのおかげでブランシュの貞操は守られたが、自国の王に無体を強いられた恐怖と、夫や王妃への申し訳なさに苛まれた彼女は、心身を病み、今も実家で療養している。
公爵家だけでなく、王族からも大切にされていた最愛の末娘に対する暴挙は、当然国際問題に発展するところだった。
それを抑え、夜会の盛装に欠かせない絹糸を他国よりも安価に仕入れられているのは、偏に私情を捨てたトゥールーズ侯爵による尽力の賜物なのだ。
親友夫婦が国益のために払った犠牲が大きかったからこそ、王妃も親友を奪われたという私憤を抑え込み、王妃として国王を支え続けてきた。
第一王子とアリエノールの婚約が持ち上がった時、王妃は親友そっくりの娘を義理の娘にできることを喜んだ反面、すでに父親似の気質が見え隠れしていた息子に宛がうことに不安を覚えていた。
しかし国内外の情勢を鑑みても、王家と隣国の公爵家、そして歴史あるトゥールーズ侯爵家の血を受け継ぐアリエノールを逃すという選択肢は取れなかった。
王妃として下した決断に後悔はない。しかし、隣で震えるばかりの夫の姿を見るにつけ、王妃は痛む額を押さえるしかなかった。
「本当にごめんなさい、ブランシュ。せめてあなたの娘は幸せにしたかったのだけれど……あなたにはもう、合わせる顔がないわね……」
さて。周囲の空気が自身に味方していることを感じ取ったアリエノールだったが、自分を抱き締める父親の腕の強さから、彼がこれ以上の茶番を望んでいないことを薄々感じ取っていた。
「お父様、続けてもよろしいかしら」
「……もう良いんじゃないか? さっきの二つの条件だけでも、候補はある程度絞れるだろう?」
母を愛する父は、彼女によく似たアリエノールに大変甘い。これ以上、彼女を晒し者にするのが耐えられないのだ。
「ですが、最後の条件が……」
「いいじゃないですか、叔父上。アリエノールの人生に関わることなんです。徹底的にやらせてあげるべきですよ」
「まぁ、お従兄様!」
取り囲む貴族の間から出てきたのは、アリエノールと同じ黒い髪を高い位置で結い上げ、隣国の正装に身を包んだ青年。
アリエノールの母方の実家である隣国の公爵家の五男である。
「久しぶりだね、アリエノール」
「はい。去年はお会いできなくて残念でしたわ。確か皇太子殿下の外遊に同行されていらっしゃったとか」
「それが俺の仕事だからね。でもおかげで今年はこちらに来ることができたし、仕事モードの叔父上の姿を間近で拝見することができたからラッキーだったかな。ブランシュ叔母上への良い土産話になったと思ったんだけど……まさかここへきて、こんな見世物を見る羽目になるとはね」
「あ……」
隣国の外交官でもある彼は、同業の先達であるトゥールーズ侯爵を尊敬し、大変懐いていた。
「叔父上、前から祖父様達が勧めてるみたいに、いい加減我が国へ移住してくださいよ。叔母上も喜ばれますし、うちの親父達も、叔父上に手伝ってもらいたい仕事が山ほどあるって手ぐすね引いて待ってるんですから」
「ははは。そうだね。……それもいいかもしれないな」
これまではアリエノールが王妃となるのであれば外戚として支えていかねばとがんばってきたが、それももはや過去の話である。
妻を奪われ、娘を蔑ろにされたトゥールーズ侯爵個人としては、この国に拘る大きな理由の一つが消えたのだ。
「もちろん、侯爵家や侯爵領の民のことは心配でしょう。でも、アリエノールが侯爵になるなら、俺が婿に入るって手がありますよ」
「お、お従兄様!?」
アリエノールが目を丸くすると、従兄は「ん?」と眉を上げた。
「割といい案だと思わない? 俺の祖母はこの国の王女だから、縁も所縁もしっかりあるし、国は違えど家の取り回しなんかは一通り仕込まれてる。外交官として叔父上の穴埋め……とまではいかないけど、この国と国交のある国は粗方回ったことがある。それに……皆様がお好きな絹糸の貿易も、今以上の便宜を約束できるよ?」
最後の一言はアリエノールではなく、会場にいた貴族達に向けられていた。
さすがは外交官という交渉術を見せつけた従兄は、呆けるアリエノールの頭をよしよしと撫でた。
「ほら、アリエノール。最後の条件をどうぞ? 俺ならどんな条件でもクリアしてみせるから、どーんっと言ってやりなよ」
「ちょっとー外交官殿ー。抜け駆け禁止ですよー」
「そうだね。アリエノール嬢は我が王国の宝なんだ。そう易々と掠め取られるわけにはいかないな」
先ほど手を挙げた伯爵令息と侯爵令息も参戦し、間に挟まれたアリエノールは赤面し、言葉を失くしている。
すっかり空気と化した壇上の二人に目を向ける者はなく、会場中の関心は黒椿とそれを取り囲む貴公子達のさや当てへと移っていた。
「な、何なんだあれは……」
唖然とする王子の呟きに、虚無の顔で箒を手に取り、紙吹雪を集めていた側近が淡々と応える。
「王国の黒椿は凛と咲く……国外では、トゥールーズ侯爵令嬢についてそう謳うそうですよ。あの外交官殿が従妹の置かれた立場を嘆いて、あちこちで吹聴して歩いてるみたいで。特に隣国では、トゥールーズ侯爵夫人の悲劇が有名ですからね。余計に話が広まるのでしょう」
「って、貴様! 何を他人事みたいな顔してるんだ!」
「はい?」
「貴様、トゥールーズ侯爵家の後継のくせに何だその様は! 一人娘のアリエノールが王家に嫁ぐ代わりに、分家から養子に入ったのだろう!? アリエノールが女侯爵になったら、貴様の立場なぞ吹っ飛ぶだろうが! 何とかしてこい!」
「何とかと言われましても……殿下がようやく婚約を破棄してくださったから、あるべきところに収まっただけなんですけどね」
「な、何だと……」
掃き掃除を終えた側近は、近くにいた従者に箒とゴミを預けると、虚無の顔のまま身だしなみを整え始めた。
「トゥールーズ侯爵夫人が今もこの国にいらっしゃれば、お子様は何人もいらっしゃったはず……ってところまで話を戻しても仕方ないですけど、トゥールーズ侯爵家のことだけを考えれば、現時点ではこれ以上の権力は求めていないし、アリエノール姉様を不幸にしてまで王妃を輩出したいという野心もないんです。あ、これは伯父上――侯爵様だけでなく、うちの父も含めた一族の総意です」
側近は王子には目もくれず、胸ポケットから取り出した手鏡を覗き込み、髪も整えていく。
礼服に合わせてしっかり真ん中で分けられていた前髪をしばらく見つめた後、彼はなぜかそれを崩してしまう。無造作に乱された前髪は、どこか幼さを感じさせる仕上がりとなった。
「アリエノール姉様は優秀ですし、学園や侯爵様の外交に同行して培った独自の人脈もあります。補佐役としてそれなりの婿をつければ、女侯爵として充分やっていけるんですよ。殿下との婚約は王妃陛下と侯爵夫妻の友情に免じて継続していただけで、そう遠くないうちに解消される……そう読んでいる家は多かったと思いますよ」
「お、おい……いったい何を言ってるんだ……」
「おや。まだお分かりになりませんか? 次男以下とはいえ、どうして国内外の優秀な人材が、婚約者も決めずに残っていたのか。ご実家で使い潰されることに危機感を覚えてらした侯爵令息様の離婚も、このタイミングで従兄殿が外交官としていらっしゃったのも……まさか、全て偶然だと思っていらしたんですか?」
ようやく王子の方へと向けられた側近の表情はやはり虚無で、その瞳には何の感情も、色もない。
「まったく。そんなことだから、僕以外の側近候補がみんなお傍から離れていくんじゃないですか。といっても、皆さん徐々に気配を消して静かーに離れていかれましたから、そちらのご令嬢に夢中だった殿下は気付いてもいらっしゃらなかったでしょうけど」
「ば、バカなことを言うな! 私は父上の唯一の子で、唯一の王位継承者……」
「ではありませんよ? 先頃、王弟殿下が妃殿下を迎えられたでしょう? あなたはそちらのご令嬢とのデートにかまけて、顔合わせの席もすっぽかされましたけど」
「だから何だというのだ!」
「ですから、これまで三十年余り、独り身を貫いていらした王弟殿下が、妃殿下を迎えられたのです」
「あの気難しい叔父上に添おうという物好きな令嬢が現れたから、何なんだ! 私には関係ない!」
「……嘘だろ。これ本気で言ってんのかな」
思わず宙を仰いだ側近は、幼子に言い聞かせるように、少々不敬を交えながら説明を試みた。
「王弟殿下が独身でいらしたのは、王位継承者として担ぎ出されることを防ぐためです。ここ数代、代替わりの度に国内が荒れましたからね。自身が御子を持たないことで、それを防ごうとなさったんです。おかげでこれまで、国王陛下もレーモン殿下もその地位を脅かされることなく、安穏と過ごすことができたでしょう? 御旗がなければ旗手は何もできませんからね」
「御旗……」
「えぇ、御旗――王弟殿下がようやく重い腰を上げられた。きっかけは、どうもそちらのご令嬢だったようですけど」
「わ、私!? 王弟殿下って、あのちょっと神経質そうなイケオジだよね? もしかして、どこかで私に一目ぼ……」
「我が国の宝花ともいうべきアリエノール嬢を蔑ろにして、よりにもよってあんな娘を選ぶようなボンクラに、国を任せられるか! ……そう叫んでおいででしたよ、侯爵家の応接間で」
「なっ……」
「僕は泥酔なさっている王弟殿下にお水を勧めながら感心したんです。あなたもたまには役に立つんだなって。あなたという存在が、不動の王を動かしたのです。きっと歴史書にも残る快挙ですよ。よかったですね」
相変わらず虚無の表情のままそう賛辞を贈った側近は、「さて」と襟を正すと、王子に向かって深々と頭を下げた。
「僕の役目もこれまでです。長い間、大変お世話をさせていただきました」
「は?」
「王弟殿下――いえ、王太弟殿下のお傍に侍るには些か若輩者ですが、これまでの苦労と経験を買っていただき、学園卒業後は侍従の職をお約束いただきました。その点においては、殿下に深く感謝申し上げます。あなたが問題を起こせば起こす程、その尻拭いをする僕の評価が上がっていきましたからね。本当に、いくらでも無限に上がっていくんですからははは」
顔を下げたまま平坦な笑い声を上げる側近。王子と令嬢が不気味に思いながら見つめていると、不意に彼の笑い声が途切れた。
「おっといけない。アリエノール姉様が最後の条件を出される。ただでさえ雑事にかまけて出遅れてしまったんだ。ここから挽回しなければ。では、失礼いたします。……アリエノール姉様ー! お待ちくださいー!」
「はぁ!?」
王子が声を上げるのも無理はない。それまで長年に渡り、虚無の顔しか見せなかった側近が、突然きゅるんっと庇護欲をそそるような幼い表情を浮かべ、聞いたこともないトーンの声でアリエノールを呼びながら走り去っていったのだ。
――トゥールーズ侯爵家の分家筋から数多のライバルを蹴散らして選出された彼の役目は、アリエノールが自由の身となるまでトゥールーズ侯爵家次期当主の座を守ること、そして、彼女に害を為すであろう王子の側近となり、事前に王子の動きを察知することでアリエノールを守ることだった。
ようやく役目から解放された彼は、アリエノールと一つ屋根の下で暮らした時間と、一族からの推薦を武器として、晴れやかに売り込み合戦に参戦するのだった。
そんな舞台裏など露知らず。アリエノールは次々と婿入りを志願してくる顔見知りの貴公子達に圧倒されながらも、明晰な頭脳をフル回転させて状況を分析していた。
当初の想定では、外交官志望の彼のように伯爵家の次男以下が一人か二人手を挙げてくれれば御の字だと考えていたのだが、予想以上の大物がほいほいと釣れる現状に、アリエノールは不信感さえ覚えていた。
何せ自分は、婚約者から悪女と呼ばれて婚約破棄され、謂れなき罪で断罪されかかるほど嫌われていた女である。
こちらに探られて痛い腹はないとはいえ、瑕疵ありと判断され、買い叩かれても仕方ないとまで覚悟を決めていた。
それでも少しでも早く侯爵家のためになる婿を探さねばという思いから、このような茶番に打って出たのだ。
ところがどうしたことか。いざ募ってみれば、父が次代の外務大臣候補と期待をかける学友に、辣腕で知られる侯爵家の補佐役。諸外国から高い評価を受ける隣国の公爵家出身の従兄、さらには神童と名高い一族期待の星の義弟まで名乗りを挙げるとは。
彼らはいずれも、アリエノールが婚約者以外で親しくしていた数少ない異性である。
王家主催の夜会という場で恥をかかされたアリエノールのことを慮って手を挙げてくれたのかと思ったのだが、それにしては先ほどから売り込みに妙に熱がこもっている。
――婚約破棄された傷物令嬢の婚約者なんて、そんなに良いものではないでしょうに。それだけトゥールーズ侯爵家が有力な家だということよね。がんばらなければ。
少々ずれた方向で気合を入れ直したアリエノールは、売り込みから討論会へと発展しそうな婿候補達の間に入ると、わざと高い音を立てて扇を広げた。
「皆様の熱意、しかと受け止めました。いずれも有能な方ばかりで、有難い限りです。……そんな皆様に多くのことを求めるのは心苦しくもありますが、最後の条件をお伝えいたします」
「いいとも」
「何でも言ってごらん」
「アリエノール嬢の我儘なんて貴重だよねー」
「姉様、お願いします」
婿候補達の熱い視線を受けながら、アリエノールは扇で隠した口許から、これまでより幾分小さな声で最後の条件を述べた。
「私、お父様とお母様のような夫婦に憧れておりますの。例え離れ離れになっても、お互いを想い合い、愛し合える、そんな夫婦に。……私には過ぎた夢ですし、至らない点も多いかと思いますが、せめて歩み寄る努力をしていただければと……」
「「「「もちろん、喜んで!」」」」
「え……?」
わぁっと歓声を上げ、さらに売り込みに力の入る婿候補達を前にして、アリエノールは呆然と立ち尽くす。
「家宝でも差し出せと言われるのかと思えば……何て可愛らしい条件だろうね」
「あなたの前妻じゃあるまいし。アリエノールはうちの祖父様達からの贈り物にも恐縮するような慎ましい女の子なんですから」
「あーやっぱりアリエノール嬢ってば天使だなー。ますます好きになっちゃう」
「アリエノール姉様、いっそのこと何人か婿を取っちゃいません? 我が国では一夫多妻も一妻多夫も合法です。侯爵家を盛り立てるなら優秀な人材はいくらでも欲しいですし!」
「え、えーっと……」
「……アリエノール。君はもう少し、自己評価を上方修正し、自身の影響力を正しく客観視する必要がありそうだね」
「お、お父様……」
……幼い頃より婚約者から罵倒され、冷遇されてきたアリエノールは、その立場もあって他の男性からあからさまな秋波を送られた経験も少ない。
敵意に対しては首を落とす勢いで切り返せる黒椿だが、真っ直ぐ向けられる好意にはとことん弱く、椿の花のように頬を染めるばかりになるのだ。
その後、一人ずつ蹴落とすよりも一妻多夫に持ち込んだ方が勝率が上がると計算した婿候補達が共謀してアリエノールに迫ってくるのだが……彼女が生涯の伴侶を選ぶのは、もう少し先になりそうだ。
続きは連載版で!