糸
目の前に、糸が垂れ下がっている。
……なんだ、この糸は。
蜘蛛の糸…にしては、はっきり見える。
縫い糸にしては…細すぎる。
釣り糸にしては…透明感がない。
……どこから垂れ下がっているんだ?
糸の先を追うも…不明瞭だ。
天井がわりと高くて…よく見えない。
結構薄暗いので…はっきりしない。
目が悪くなければ、見えたかも?
背が高ければ、見えるかも?
電気が点く場所なら、見えそうだけど。
いきなり目は良くならないだろうし、急に背も伸びるはずがなく、つるりとした廊下の天井が突然割れて照明が出てくるようなドッキリが仕掛けられているでもなし…、目の前で微妙に揺れている、糸。
なんで、こんな所に。
なんで、気付いたんだ?
なんか、違和感があって…立ち止まったんだった。
ぼんやり歩いているようで、視覚ってのは…自動的にピントが合うようにできているのかもしれないな。
こんなほっそい糸に気が付くなんてさ。
せっかく気付いたんだし、触っとくか?
……いやいや、触ったところでどんな得があるんだ。
せっかく気が付いたんだ、引っ張ってみるか?
……いやいや、引っ張ったところで、何が起きると?
せっかく気が付いたけど、スルーしておくべきだな。
……関わることで、何かが起きる可能性はゼロじゃない。
目の前に垂れ下がる糸を避け、薄暗い廊下の先へと向かう。
ああ、大きな窓から、光がさしこんで…明るくなってきた。
……キラキラ光っているのは、さっきの糸か?
……ずいぶん多いな、どれだけ垂れ下がっているんだ。
……こんなにいっぱい垂れ下がっていると、気持ち悪いな。
……避けて通るか。
極力糸に近づかないよう、窓際を通って…慎重に進む。
ああ、ようやく、出口の、ドアが……。
『……残念』
「……え?」
びゅ、びゅぅウウウウ!!!
ドアを開けた途端に強い風が吹いて…思わず、目を閉じた。
……強すぎだろ、ブロワーの風直撃は!!!
「おかえりー、どうだった、今年のホラーハウス!!!」
ニコニコした兄ちゃんが、俺を見て笑っている。
くっそー、人の気も知らないで、いい気なもんだ!!
こっちはイベントの参加人数減の原因を探るべく、わざわざ入場料金を払って子供だましのお化け屋敷に足を運んでやったんだぞう!!
「ボチボチだけど、パンチが弱いな。入り口の怖い絵は迫力あったけど、やっぱり人がオバケ役として入んないとダレるよ…、今どき流血メイクをしたマネキンなんかじゃ怖がらないし」
「ええー?!俺めっちゃ頑張って柔らかい床作ったのに!!!」
「僕の力作なんだけどなあ、カズコちゃんは…」
このあたりでは、毎年10月の終わりに、町内市民祭りを開催している。
商店街の店が公園内に特別メニューの屋台を出し、有志が広場でお楽しみイベントを開き…、おおいに盛り上がるのである。
「今年のお化け屋敷は失敗かなあ、やけに人気がないっていうか…」
「去年のお化け屋敷ブームが異常だったんだよ、内容はほとんど変わってないのにさ」
「最後の意味深な廊下も去年やったし、拍子抜けしてる…手抜きがバレてるのかも?」
毎年かなりの集客があるものの、ブームのようなものがあるらしい。
昨年多数入場して記録を打ち立てたお化け屋敷なのに、やけに閑古鳥が鳴いていて、製作者一同はガックリきていたりする。30分待ちなんてざらだったのに、フリーで入れるくらい不人気で…完全に赤字だ。もう来年はやれないんじゃないだろうか。
「でもさあ、あの糸…わりと微妙に気持ち悪くなかった?」
「思わず触ろうかと思ったんだけどね、コロナも気になるし、我慢したww」
「ああ…気にはなったよね。あれ、誰が仕込んだんだろ?」
去年抽選で出場者を決めたくらい人気だった腕白チャンバラなのに、たった四人しかエントリーしていないし、大げんかが起きたのが信じられないほど穏やかにお菓子のつかみ取りイベントが進行している。昨年人気だったコーナーがやけに不人気だったりして、運営側としては少々戸惑う部分が多い…。
「あんなの触る人いるのかな?気持ち悪くない?」
「やんちゃなやつだったら引っ張るだろ…たぶん」
「この辺りには…やんちゃな子供がいないからなあ。誰も引っ張らないよ」
なんというか、最近の子どもたち、おとなしい子が増えたよなあ……。やけに手作りブースや風船コーナーが人気で、完全に読みが外れたというか。
「触ったとたんに釣り上げられちゃうかもしれないし、ああいうのは触らない方が良いでしょ」
「何それwwどこの三流ホラーマンガだよwww」
「よくあるじゃん、釣られてしまった人間は、最初からこの世に存在していなかったことになる的なさあ!!用心はするに限るんだって!!」
用意したドリンクが余ったとかで、来場者にプレゼントをしているのが見えるぞ。
そうか、そもそも問題として…子どもの数が減ってるって事なんだなあ。
そういえば、ずいぶんイベントの手伝いの人数も…少ない。去年はもっとずらっとハッピを着たスタッフがいたはずなのになあ。
……町内会イベントに参加する子ども達のみならず、携わろうとする若者も年配者も…減ってしまったんだな。
ああ……イベントも、今年で最後になってしまうかも、知れない。
今日は、思いっきり…楽しむことに、しよう。
俺は衰退していく町を憂いつつ…ぬるいお茶をごくりと飲んで。
人っ子一人いない、千本引きコーナーに向かったのだった……。