96・ラベンダーの香りは誰のため?
96・ラベンダーの香りは誰のため?
今夜、初めて二段ベッドで寝ることになりました。木製の二段ベッドです。落ちるのが怖いので、下で寝ることに。寝るだけのお部屋なので、灯りは暗めのオレンジ。けれど、ベッドの上の段が影になっているから、ほんのり明るさを感じる程度です。
左腕でクッションを抱え込んで、右手は柵の向こうに出して… 私の目の前には、ベッドの前にしゃがみこんで、私の右腕をモミモミマッサージしてくれている冬龍君がいます。モミモミモミモミ… 大きな手はちょうどいい力加減。モミモミモミ… 右手を揉まれる気持ちよさと、ラベンダーのマッサージオイルの香りに少しうっとり。
シルキーさんのキノコパスタ、ちょっと楽しみだったんだけれどな。でも、あまりにも私達が楽しそうに遊んでいたから、時間通りには終わらないだろうっていう判断、正解だったよね。チーズソースがたっぷりかかったオムライス、すっごく美味しかったし。
モミモミしてくれている冬龍君の天頂部、濃いオレンジ色に染まったツンツンの髪の毛をボーっと眺めながら、お夕飯の光景を思い出しました。
ルシールちゃんを抱っこしたグレイスさんは、ミイラなので食べることが出来ないけれど、香りとか雰囲気はしっかり感じることが出来るそうです。だから、朝食と夕食は、八千穂さんと一緒に食卓に着くそうです。そんなグレイスさんの隣りに座った八千穂さんは、表情をかえることなくお上品に食べ進めていました。
「オムライス、美味しかったね」
沈黙に耐えきれず、様子を伺うように声をかけました。モミモミモミ… いつもの様に優しい冬龍君なのですけれど、夕食前からご機嫌ナナメなのに、私は気がついていました。いつもはちょっとした表情や仕草の違いで分かるんですけれど、今日は目に見えてムスっとしています。そんな冬龍君が気になって、気持ち良さに浸りきれません。
「ご飯、チキンライスだったね。チーズソースも良かったけれど、玉子のトロトロ加減が絶妙だったよ。ありがとう」
モミモミモミモミ… 無言です。ご飯の話題じゃない方が良いのかな? じゃぁ…
「二段ベッドで寝るの、私初めてなの。冬龍君はある?」
遅くなってしまったからと、館にお泊りになりました。お夕飯の後に八千穂さんが案内してくれたのは、博物館のスタッフさんがお泊りの時に使うお部屋でした。二段ベッドが向かい合って四台置かれただけのお部屋は、軽く圧迫感を感じました。けれど、ベッドの下の段に潜り込んでみると、何ともいえない安心感。
「小さい頃、夏虎君と使ってなかった?」
モミモミモミモミ… 無言です。無言のまま、右腕のマッサージが終わったみたいです。腕の内側や一本一本の指の間、爪先まで揉み上げられて、しっとりほんのりラベンダーの香り。
ちょっと、細くなった感じ?
揉み上げられた右腕を見つめていると、左手がスッと取られました。ポトンとお膝にクッションが転がりました。
「ねぇ、冬龍君…」
また沈黙の中でマッサージしてもらうのは嫌で、でも、何の話題だったら会話をしてくれるのか分からなくて… 名前を呼んだ声は、とっても控えめでした。
「ラベンダーの香りは、心地よいリラクゼーションをもたらせてくれるんだよ。ストレスや緊張で胃がもたれたり、便秘等の消化器系の不調を感じたとき、睡眠が上手にとれない時等の自律神経が乱れているときには、この香りを嗅ぐだけで自律神経を整えてくれて、各不調をやわらげる手助けをしてくれるんだ」
ようやく、冬龍君がお話しを始めてくれました。いつもよりずっと大人しい声でお話をしながら、左腕をモミモミ…
「不安を感じた時やイライラしている時にも、ラベンダーの香りは良いんだよ。神経を穏やかにさせてくれて、不安やイライラして呼吸が早くなっている時に嗅ぐだけでも、気持ちが落ち着いて平静さを取り戻すことができるんだ。だから、この香りを選んだのは、僕自身の為なんだよ」
冬龍君はお話しをしながら、私の腕をモミモミモミモミ… 一回もお顔を上げてくれません。
マッサージオイルは、お部屋に入る時に八千穂さんが手渡してくれたから、てっきり八千穂さんのチョイスだと思ってた。冬龍君、いつの間に選んでいたんだろう?
「冬龍君、不安なの? イライラしているの?」
まぁ、最近の冬龍君、少し変だな~とは感じていたけれど。
「…」
私の質問に、冬龍君は答えてくれません。また無言で、左腕をモミモミモミモミ…。私は、相変わらず冬龍君の天頂部をボンヤリと見ています。ツンツンしてるけれど、触ると柔らかい髪の毛なんだよねぇ。
「冬龍君、明日さ、オルゴール作ろうね。箱にする? 陶器のお人形? ピアノの小箱も良かったよね」
オルゴールも、気持ちを落ち着かせてくれるよね。せっかくオルゴールの博物館に来て、作って持ち帰れるんだから、一つずつ作りたいよね。
「せっかくだから、お揃いで作りたいな。ダメ?」
キュッ! と、冬龍君の両手が私の左手を包み込んだまま止まりました。
「和桜ちゃんが作ったオルゴール、僕にくれる? 僕が作ったオルゴールは、和桜ちゃんにあげるから」
ようやく、冬龍君が答えてくれた!
「うん! もちろん! お揃いで作って、交換し…」
冬龍君が答えてくれたのが嬉しくて、声が弾んでいたのが自分でも分かりました。けれど、そんな声は最後まで言葉になりませんでした。驚いて、息を飲み込んじゃったから。
今までベッドの柵の向こうで私の手を揉んでくれていた冬龍君が、私の体をグイっと押し倒して、中に入ってきました。二段ベッドの下、上の段があるから空間の高さはないし、横も縦もそんなに余裕はありません。だって、一人用だから。… だから、冬龍君のお顔が、体が、とっても近いどころじゃなくって、ほとんど密着状態。お鼻の頭が今にもくっつきそう。




