94・逃げろ!
94・逃げろ!
工作室は、玄関ホールの階段を上がれば工作室はすぐ近くだそうです。でも、階段には『追いかけるグループ』のドールさん達が居るので、まずは喫茶店の真下の部屋の展示室にコソコソと行きました。そこにあったのは、配膳用のエレベーター。今はあまり使われていないそうですが、中はお掃除が行き届いて綺麗でした。配膳用のエレベーターに乗って、緊急時ボタンを押して電動から手動に切り替えて、ハンドルを回して回していっぱい回して、息が上がってジンワリと汗をかいた頃、ようやく二階の喫茶店のキッチンに到着です。
喫茶店のキッチンもホールも、数時間前にあんな騒動があった形跡は微塵も無くって、初めて足を踏み入れた時と全く同じでした。
「綺麗になってる…」
「ここのスタッフは優秀」
私の思っている事が分かったみたいで、ルシールちゃんが少し得意気に言いました。
喫茶店の入り口から、そっと隣の工作室を見てみました。入り口を塞ぐように、二体のアンティークドールさんが立っています。しかも、鉄砲を持った兵隊のドールさん。
「さて、どうしようか?」
一度、喫茶店に体を戻してルシールちゃんとお顔を見合わせた時でした。視界の隅に、キラっと光るものがありました。それは一番手前の席、テーブルの猫足のすぐ近くに落ちていて、私が気が付くとコロコロ… とこちら側に転がってきました。
逃げて!!
本能が叫びました。
その叫び声に弾かれたように体が動きます。手にしていた靴を投げ捨てて、咄嗟に隣にいるルシールちゃんを抱きしめて、喫茶店から飛び出しました。
「あっ! ナオとルシールだ!!」
もちろん、工作室の入り口に立つ兵隊のドールさん達には、すぐに見つかっちゃいました。
でも、もう「負けちゃう!」なんて言っている場合じゃないよ! て、本能がチカチカと赤信号を出しています。それと同時に、後ろで何か良くないモノが膨らんでいるのが分かります。
きっと、私を狙ってくる。下に行っちゃ駄目だ!
直感でした。直感で階段を降りることを避けて、工作室に向かいます。けれど、絹の靴下がツルツル滑って、思うように走れません。転ばない様にするのが精一杯!
「逃げて! 皆、逃げて!!」
私の叫び声が響いて、周囲がざわつくのが分かりました。
「逃げるって、どこに?」
「何から?」
「とりあえず、ナオとルシールを捕まえちゃえ」
私の方に向かってくる兵隊のドールさん達や、工作室からも数体のドールさん達が出て来ました。
「こっちに来ちゃ駄目!」
ルシールちゃんを抱いたまま、叫びながら片手で靴下を脱いだ時でした。私の後ろで、何か黒いモノが弾けたのが分かりました。
「なんだ、なんだ?」
「変なのが出て来たぞ!」
兵隊さん達が銃を構えます。他のドールさん達はワラワラと逃げ出します。私はギュッとルシールちゃんを抱きしめて、後ろを振り返ってしまいました。
「お腹が… 空いたぁ…」
それは、モゴモゴとした声を発する、ぐにゃぐにゃとした大きな蜘蛛さんでした。きちんと形を保てない蜘蛛さんは、それでも長い脚をモアモアと動かして、私に向かってきます。暗い廊下より暗いのに、灯りは無いのに、真ん中に『青い瞳』があることが分かりました。
「逃げて! 逃げて! 逃げて!!」
右足は素足で左足に靴下を履いたまま、ルシールちゃんを抱きしめて一生懸命走りました。追いかけて来る蜘蛛さんに、兵隊のドールさん達が発砲します。空気鉄砲のような軽い音を聞きながら叫びます。
「撤収!」
発砲された弾が弾かれたのか、廊下にコン! コン! コン! と小さく音が響くと、兵隊のドールさん達が逃げ出しました。
「ナオ、右!」
工作室の前まで来た時、ルシールちゃんが声を上げました。思わずそっちの方を向くと…
「いるいるいるいる~!!」
工作室の奥から、後ろにいる蜘蛛さんと同じようなモノがこちらに向かって来るのが見えました。もちろん、中央には『青い瞳』が光っています。
青い瞳って… もしかして、昼間の大きな青い蜘蛛さんの瞳かなぁ~。それだったら、六個あったはず…
「ナオ! 上!!」
ルシールちゃんの慌てた声に、今度は上を向きました。向いて、すぐに後悔しました。向いた事を。
「いやぁ~!!」
昼間の大きな蜘蛛さんは怖くはなかったけれど、今はダメ! この子達はダメ!! 怖いとか怖くないとかじゃなくて…
存在しちゃ駄目なモノだ。
「ケロケロケロ!!」
恐怖心がさらに膨らんだ瞬間、胸元にしまっておいたお守りから、三匹のカエルさん達が緑色に輝きながら飛び出してきました。
「腹へったぁ…」
「餌ぁ…」
廊下と天井と、大きな蜘蛛さん達に囲まれてしまったのはほんの瞬間でした。
「ケロ!」
カエルさん達は、天井に逆さまにくっついた蜘蛛さんを見上げました。そして、体がひっくり返っちゃうんじゃないかって思う程大きくお口を開けて、ビローン! と伸ばした舌で蜘蛛さんを絡めとると、パックン! と一飲みしちゃいました!!
お腹、壊さないかな?
そんな心配が的中? しちゃったのか、カエルさん達は置物の様に動かなくなってしまいました。緑色の輝きも無くなって、真っ黒の石の置物みたいです。
「ナオ、来る」
どうすればいいのか戸惑って足が動かない私の胸元を、ルシールちゃんの小さな手が引っ張りました。
ルシールちゃんだけでも、守らなきゃ。
「兵隊さん、受け取って!!」
小さな手の感触に、咄嗟にルシールちゃんだけでも逃がそうとして、階段を降り始めていた兵隊のドールさんに向かって投げました。
「ナオ!」
「食べたい…」
ルシールちゃんの悲鳴のような声。目の前に迫りくる、ぽっかりと空いた大きな穴。暗くなっていく視界…
冬龍君…
迫って来る闇の穴の中央に、いつもの冬龍君のお顔が浮かびました。優しく、静かに微笑む冬龍君のお顔。
会いたいよ… 会いたい、冬龍君…




