足踏みし 芋煮の大鍋 震え待つ
避難民の炊き出しの映像を見ていて、寒い中を、市で汁を買うために並んだことを思い出した。できあがるまで待つのも寒いし、早く食べたくじっとしていられないというのもあった。
まずは、味より温まりたい。ロシアへ逃げた人たちは、もてなされると専門家はいうが、果たしてどこまでできるだろう。
逃げた当初は、具無しの汁でも、そりゃうれしいだろう。しかし、収容所に入れられれば、そんな汁はまずくて飲めたもんじゃないとなる。ロシア国民さえ困っているのに、避難民に十分な食料が配れるわけがない。プロパガンダ用の映像が取れた後は、どうなるか想像できるだろう。
おまけに、情報統制されている。ナチスだって、収容所間で待遇差があった。国民に見えないところでは大量虐殺すらあったのだ。
ロシアだって多くの難民を抱えてられない。難癖をつけて命の選別がなされる。
ハッカー集団、アノニマスは違法だろう。だが、ロシアとの戦いを非難できるだろうか。ロシアは進攻は合法なのかもしれない。だからといって、許容できるだろうか。
法とは、特定の人間が決めた身勝手な制約である。その精神は尊重されるべきものかもしれないが、その字面だけを見て生きることが正しいことなのか、改めて考えなければならない。
例えば、デマは良くないが、政府に都合の悪いことがデマという運用は問題である。




