人命を 軽んずる者に 春は来ず
今回の件でロシアは第二次世界大戦を引き起こしたするナチスや日本を非難できなくなった。暴走した独裁者は市民では止めることができないことがわかったはずだ。しかも、情報統制で市民は盲目的に戦争支持をする。
軍は相手国の市民を攻撃する。国は総力をあげて、うそをばら撒く。
たとえ戦闘に勝ったとして、ロシアは世界に対してどのような賠償を行なうのだろうか。国土を分割されるのか。それとも、多額の借金を背負わされるのか。経済制裁だけではおわらないだろう。武力で制圧した地区の強制開放となれば、中国もロシアを庇い続けると、やがて香港、マカオを手放すことになるかもしれない。
さらに長い目で見れば、共産主義思想が独裁国家を生むとされ、国家体制の見直しを迫られる可能性すらある。
日本も他人ごとではない。共産党がどんなごたくを並べようが、防弾チョッキ供与に反対したことは、人命を軽んじる行為と受け取られる。他の共産主義国と同じく見られてもしかたがない。コロナで人命の大切さが叫ばれる中、他国の人命を軽んじる行為は、どんなに主義主張が正等であっても、批判を受けることは必至である。
来ぬを「春はこぬ」を「春はきぬ」と逆に読まれてしまうので「来ず」に変えました。来てしまったんだという失望にとららえることも可能ですが。「春ぞ来ぬ」ならいいらしいが、きっとわかりづらい。




