哀れなり 米を出さずに 愚痴を出す
愚痴を言ってる米屋は、はやい話が「ルールを変えるな」といってるわけだ。
どこの世界にそんな保守的な商売がある?
日々変化する状況に、対応しながら商売や製造をしている。自分達だけが、今まで通りで儲けさせてくれと言ったところで、物笑いになるだけだ。
ルールは変わるし、それが国の仕事でもある。既得権益により偏った富を再配分するのが国の役目だ。つまり、「自分達の既得権益を侵すな」というわけだ。
言葉をより本音に置き換えていけば、彼らがいかに、客という言葉を使って、自分達を守ろうとしているかがわかる。
本来なら、自分が売るかどうかではなく、「皆さんに届いてよかった」が第一声だろう。その先は言うべきじゃあない。自分がその中で、どう生き残っていくかは自分で考えることだ。
極端な話、米屋が無くなって、今の消費者が本当に困るかと言えば、大半が困らない。困る客は、そもそも値段じゃあない。信用を買っている。お前らは、何を売っているのか。米を売るだけなら、信用など捨ててしまえ。信用を売りたいなら、そもそも安いものになど関心はないだろう。
どうせ、どっかの政治家の手先だろう。前の無能か、他の政党か。そもそも町の米屋そのものが時代遅れの遺物になろうとしていることに気付くべきである。
 




