春うらら 融通の国 日本
「日本人は経済では貧しいが、心は豊かである」
これは、人々が融通しあう極めてフレキシブルな社会だからである。
「文明から取り残された民」
ともいえるかもしない。しかし、その文明ってなんだろう。
文明は文化ではない。文化は生活スタイルである。では、文明の目的は?
本来は、生活を楽にするものだ。しかし、今の文明は「搾取システム」となってしまった。
「余暇を増やす」といいながら、「隙間バイトしよう」という。
多くの日本人の価値観は、「生きる」=「働く」である。自らが楽をするための文明ではなく、他者を楽にする文明といってもいい。
「融通」とは「いたわり」といってもいいだろう。それには、個人裁量が必要だ。
「個人裁量」=「自身の利益」
というのは西洋的で、日本人にとっては
「個人裁量」=「自身の不利益」=「他者の利益」
なのである。
なぜ、日本人はあえて不利益なことを進んで行うのか?それは、「助けておけば助けてもらえる」という価値観だ。昔話の多くが、そのような内容になっている。
「助け合いの国」=「融通の国」
そのために、個人の裁量もかなり認められてきた。黙認かもしれないが、それは招致の上でのことだ。ちょっとの悪に目くじらをたてるより、多くの善を享受しようということだ。
これを日本の良さとみるか、悪さとみるか。永住前提には良いシステムだ。しかし、中期の滞在者が増えると、与える側と与えられる側に偏りが生じる。つまり都市部では破綻する。
会社も同じ。定年まで雇用がつづけば、融通型になる。しかし、流動型になれば、融通はきかなくなる。
心と体は別人格だ。若いときには体が心に従っていく。しかいs、歳をとればそれまでの労をねぎらうように、心が体にあわせて生きていかねばならない。
誰が誰に合わせて生きていくのか。日本人の価値観が問われている。




