春の音 つたなきものこそ 哀れなり
アートというのは自己表現だ。当然好き嫌いがある。
つたないストリートピアノに苦情をいう輩は、タダで一流の演奏を聴こうというのだろうか?投げ銭もしないで、苦情をいうのはお門違いだろう。
現代音楽では、何分もピアノの前で座っているだけというのもある。これに苦情がいえるだろうか?
つたない演奏にこそ、ものの哀れというものを感じないだろうか?つっかえたら、聞くいてる人たちはおもいっきり笑えばいいのである。ストレス発散できる。
何を期待しているのかわからないが、演奏者には明確な目的がある。一流の演奏家が、ちょっとうまい素人の演奏が流れていたら聞くに堪えないだろう。もし、心地よい演奏が聞きたいというのなら、自分で一流の演奏家を連れてくればいい。
公共の場で、話し声も苦音である。靴音も。苦情をいう人は、一切音をださないのだろうか?さらには、三流のファッションも苦景かもしれない。ブスも不男も。それとも自分は美形で一流のスタイルで街に出てきているというのだろうか?
苦音があるなら苦景もある。苦臭もある。一般人にとって一流の香水は苦臭であることがある。スッピンで歩くなとか、不細工なメイクで表に出るなと一緒である。
結局は、八つ当たりしたいだけだろう。




