棚ぼたや こちとらだますが どげんした
予言者たちは予言したとは言わない。予言とは成就することをしっていなければならない。だから、予言ではなく予見とか予測。
元々、シャーマンの予言というの推測でしかなかった。しかしいつしか、予言は必ず起こるものとなった。
なので、予見を予言だとさわぐのは、日本人ぐらいだ。そのほうが出版社には都合がいい。さらに、元が外国語なら適当に訳しても誰もわからない。間違いだと指摘することは、かえって営業妨害といわれる。
不幸にも、この国には、人々の不安を煽ったという罪はない。何かをさせるような指示をしない限り、罰せられない。言ったもの勝ち。
2025年7月についてもほとんど騒いでいたのが数ヶ月前までだ。かれらもだんだん色々なところのネタをまぜて明言を避け、逃げに転じている。最初の釣りの餌は具体的なほうがいい。しかし、逃げをうつにはあいまいなほうがいい。
「こちとらだます」に惑わされないことが大切だ。信じるのではなく、理解すれば虚飾の部分が見えてくる。そのためには、多くのソースを見比べる必要があるが、普通はそれで洗脳されてしまう。だから、嘘を暴こうなどとはしないことだ。与太話と思ってみる。99%の嘘のなかにも1%の真実が見つけられたら幸せだ。
 




