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悪ふざけ どこでやっても ダメはダメ
鳥居懸垂は神の冒涜とかそう言う問題ではない。重要なのは建造物が破損する可能性を考えてなかったのかということだ。
鳥居が丈夫でよかったが、サクラの枝でやっていたら折れることもあるだろう。たまたま、壊れずに済んだというだけで、壊れても構わないと思ってないとあのような行為はできない。あるいは、壊れたら謝ればいいという安易な思考かもしれない。
電車のつり革懸垂や、エスカレータ歩行など、本人は悪気はないというが、壊れる可能性は意識している。これは悪ふざけと同じで、過信である。
日本人なら、掃除でもしてこいというところだ。神聖なものだからとかそういうことではない。民家の物干しだって同じだ。面白ければいいという価値観そのものが問題だと、本人たちはわかっていないだろう。
 




