暴風雨 どちらが怖い 「死ね」「消えろ」
台風で風と雨のどちらが怖いかは人によるだろう。通常は、自分にとって現実味のあるほうが怖い。
「死ね」と「消えろ」もどちらが怖いかは人による。「死ね」といわれてもそうそう死ねるものではない。しかし、「消えろ」は実現可能だ。そう考えると、「消えろ」のほうがより怖いものに思えてくる。
また、「死ね」は本気でない場合が多い。しかし、「消えろ」は本気の可能性が否定できない。なので、開き直ることができない。
実は、安易に「消えろ」ということのほうが傷が深くなることもある。
どの言葉は人に向かって言うべきではないということは、軽々しくいうものではない。褒め言葉ですら、イヤミになることもなる。逆に言えば、使った言葉によって非難されるということもあってはならない。それは、言葉のもつ本当の意味は、人によって異なるからだ。
要は、CMではないが「そこに愛があるか」だ。思いやりがあっての「馬鹿」とイヤミの「天才」ではどちらがいいかなんて比べようもない。言うほうに愛があっても、受け取るほうが違ってしまえば、その言葉は暴力に成りうる。だからといって、口を閉ざす必要は無い。
Xでトラブルが多いのはそのためだ。英語圏ではネット上で、顔文字のような文字で絵をつける文化があった。日本人は顔文字から絵文字になった。顔文字は文字として機能していたが、残念ながら絵文字はもはや機能していない。
短い文章ほど、難しいし、意に反しいて相手を傷つけることが多い。自分が正義ではなく、相手もまた正義で発していると考え、その真意を見極める眼力が必要だろう。国会の野次はいただけないが、単なる野次も、その場を盛り上げようとしているのかもしれない。
炎上するのは、つい一対多であることを忘れて、一対一での会話になってしまった時だろう。
ある人に寄り添ったつもりが、他者を非難する結果に陥る。




