関が原の枯れススキ 徳川の世 来るか
自民党にとって、次回の衆院選は「関が原の戦い」となるだろう。
徳川家康の肖像画によく似た人物がいる。武将たちに人気の無さまでそっくり。さて、当人が自覚があるなら、味方を増やす画策することだろう。家康は人気があったわけではない。豊臣に加勢しないようにさせることで、敵の兵力を削いだ。
この手法が当てはまるかはわからないが、もしそうなれば派閥の資金力はなくなる。徳川の政治はいかに各地の大名の資金力を削ぐかに注力したものだからだ。
忠誠なんて幻想だ。そんなものより、地方権力の弱体化が必要だ。しかし地方経済まで疲弊したら一揆が起きる。
地方経済を守りつつ、権力だけをなくす。庶民にとっては、自由が増す。
野党は政権交代と騒いでいるが、自民党が第一党であることはかわらないだろう。理由は、今の国民の怒りは議員個人への怒りであって、政治への怒りではない。自民党が腐敗しているというより、岸田が何もしないとか、誰も責任をとらないとか議員個人の態度に不満があるのだ。
そもそも議員は地元以外にいくらきらわれようと落ちることは無い。どんなに悪人でも、地元にとって義賊であれば支持される。
真っ当すぎて頭の固いリーダーは身内に嫌われる。彼が本当の家康になれるかどうかは、どこまで身内に非情になれるかにかかっているのかもしれない。




