花嵐 散って楽しむ 花絨毯
水原問題の本質は、
「銀行システムは完全との思い込み」と「語り手の損得」
にあると思う。
昔のことだが、銀行の末端だがシステムに関わった経験がある。システムというのは心を持たない。擬似的に持たせることは可能だが、そんな面倒なことはしない。
かつて鉄人28号という漫画があった。アニメにもなったが、
「良いも悪いもリモコンしだい」
という歌詞が主題歌にある。
銀行員が絡んだ不正。最近ではアマゾンの社員が自社システムを不正操作なんてこともあった。
ほとんどのシステムというのは、性善説で成り立っている。操作権限を与えるのはシステムではなく、人間だ。権限さえあれば、不正なんていくらでも可能だ。
人間とシステムどちらを信じたかで、どんな話を信じたかが変わる。人間を信じるとうことは、単純な詐欺にあいやすい。知識人といわれる人は単純な詐欺にあいにくい。
なのに、なぜ知識人が騙されたのか。それは一般人には大谷を信じても得はないが疑うことは損なことであり、知識人にとってシステムを疑うことは無知と思われ損なことだった。さらに大谷を疑う発言によって表に出る機会も増え得をした。
この個人的損得勘定が、心眼を曇らせた。判断を間違ったことは恥じることではない。多様性といいながら、自分と違う意見に謝罪しろというのは横暴だ。そういうやつらは、自分に謝罪しろという連中だ。
「お前に謝罪するいわれはない」
人気商売では、そう反論できないのがつらい。謝罪というのは一瞬の言葉ではない。その後の行動だ。言葉ではなく行動で示す。これが、日本人の美徳だった。外国人からは重過ぎる社会的制裁といわれた。
大人が信じようが信じまいが気にしてないだろう。彼は器の大きい人間だ。子供たちに信じてもらえればハッピーなんじゃないかな。人を疑って生きていくより信じて騙されるほうがいいと彼は言うだろう。




