表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
348/699

月夜のジム 使わぬ能力 なぜ欲す

 最近は、体幹や筋肉を鍛える健康志向番組なども多い。

「普段使ってない筋肉をきたえよう。」

 などというが、その健康基準はどこからきているのだろうか?


 人間に限らず、生物は環境に順応しながら進化するものだ。筋肉は能力である。かつては使っていたが、使わなくなった能力を手に入れて何をしようというのだろう。


 健康に必要な筋肉だというが、使ってないのに健康も何もないだろう。確かに老化による特定部位の筋肉の急速な衰えということならアンチエイジングの意味はあるだろう。しかし、問題はそこだろうか?


 生活に必要な筋肉は、日々の生活で最低限維持されている。生活スタイルを変えるなら別だが、生活を変えないなら、不要だろう。

 むしろ問題は、日々車にのって移動しているのに、休日は山に登りたいという非日常的な行動のためだったり、誰かへのアピールだったりするのではないか。


 健康長寿の人というのは、同じ生活をいつも送り、それ以外のことは極力しない。毎日店先で働く店主は、旅行なんかいかない。田舎は自然が多いからというが、それは不便だからと同じである。不便だから、非日常的なことは極力行なわない。


 野生の動物たちは、日常を淡々と繰り返すだけだ。人間も長寿でいたければ、日常を繰り返していればいい。体が順応する。


 車にのり、ジムに通う。なんと理不尽なことだと思う。スポーツ選手はスポーツをすることが日常であるが、万一に備え大怪我をしないために、滅多に使わない筋肉を鍛えている。かれらは、非日常に備えて鍛え続ける必要があるのだ。


 さまざまな業界の広告にまどわされて、非日常のための能力を手にいようとすれば、まあ体に無理が生じるのもやむを得まい。


 長寿を望むなら非日常体験を諦める。非日常体験を望むなら長寿は諦めよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ