隙間風 何を描くか 二次・三次
表現において二次元と三次元で見る側の受け止め方が変わるのだろう。
小説は、一次元的と思う。一瞬では場面が理解できない。前の話があって、背景や人物がわかる。
漫画やアニメは二次元的だ。3D表現があっても、やはり二次元だ。空間の奥行きもだが時間的にも奥行きが感じにくい。
ドラマなど実写は三次元的。場所や演者によって、描かれてないそれまでの人生や見る側の個人的な思い出が入り込んでくる。描かれていない過去と繋がっている。
小説は、主人公目線であるが、漫画やアニメは第三者目線になりがちだ。で、ドラマは主人公目線になっている。
このことは、小説やドラマが読み手の人生感とリンクしやすいことによるものだろう。人間は人間に共感する。漫画やアニメで涙するのは共感ではなく、同情に近いものがある。このことは、漫画やアニメが読み手にとって現実離れしていることでもある。
近年の実写物もストーリーが現実離れしている。特に漫画を元にしたものは顕著だ。このことがわかりやすのは、実写のヒーローものを真似する子供たちはいるが、漫画のヒーローを真似する大人はいるが子供は少ない。
ドラゴンボールやディズニーヒロインなどニ次元コスプレーヤーは多いと反論するかもしれないが、かれらは、なりきっているわけではない。空を飛ぼうとはしないし、特殊能力があるようにも振舞わない。
解りやすく言えば、漫画の仮面ライダーは真似しないが、実写のライダーは真似をする。
やはり、読者の目線が異なるのだ。だから、第三者目線の漫画をそのまま主人公目線の実写にするには無理がある。だから先ほどのライダーも漫画と実写では別物になる。漫画では精神的葛藤が十分描けるが、実写では描ききれない。それは、第三者としては理解できるが、本人としては未経験のことだから。
実写において重要なのは、オーバーな脚色があっても、あるある感だろう。いかにあるある表現が出せるかが演出家の腕ではないだろうか。




