南海決戦 了解じゃないのよ 理解は
日本語は難解だ。
処理水放水。役人は「理解」が得られたというが、猟師は「理解」してないと言う。
この場合、何を理解したかが問題だ。内容を理解していなければ反論はできない。一般的に相手の理解というのは「了解」のことだ。しかし、政治家は「説明を聞いた」ということを理解という。
みんな、自分の都合のいいいように言葉を変える。省略していいのは、互いにわかっているからであって、そこに勝手な言葉を入れていいわけではない。
24時間テレビで「世界」というワードが物議をかもしているが、国や地域を指すのか、ジャンルを指すのかで変わってくる。「世界を超えたつながり」と言えば後者である。前者では「国を超えた」であり、「世界を超えた」は、宇宙規模になってしまう。
解釈違いは、言葉を映像として理解していないことから起こる。正しい映像として記憶しておけば、間違った再生をしたときに、矛盾が発生する。ところが、ニュアンスで記憶していると、都合のいいように再生してしまう。
最近の野党は、揚げ足を取ろうとして、事前に補間しない。与党の言うことに、都合のいいように補間して喧嘩する。事前に確認してないから、逃げられる。そこで嘘つきという。なぜそうなるかというと、事前に確認すれば、物事が停滞する。そうなれば利権を持っている連中からつきあげられる。だから停滞させず、あとから騙されたとさわぎ、賛成派反対派両方にいい顔をする。
与党はいかに騙し、野党は騙されたふりをするか。今の政治は、こんな狐と狸だらけになってしまった。




