熱帯夜 眠れぬ夜に 善意の中傷
匿名の誹謗中傷の多くに悪意があるとは思えない。だが、書かれた方は、真実を知らないで好き勝手に書いていると受け取るだろう。
そして、悪意の見える書き込みは、読んでも意外に落ち込まない。それは相手が間違っていると確信できるからだ。問題は善意による中傷である。読み手は、自分が間違っているのかもと思ってしまう。
「あなたのため」「家族のため」は、詐欺の常套句である。
そのような真意のわからぬ言動を、誹謗中傷として制限や拒絶することが正しいとは思えない。そういう見方もあるんだ。そう感じる人もいるんだ。と、受け止める必要がある。ただ、それは少数意見である。
悪意の無い人ほど、自分の意見があたかも多数派である、あるいは世間を代表していると思いがちだ。しかし、そんなことはわかりっこない。大規模なアンケートをとったわけでもなく、せいぜい周囲のわずかな人間に恣意的な質問をして得た意見にすぎない。だから、意見を書く側も単なる一個人の感情でしかないと知ることが重要だ。
「みんなが」とか「世間は」という連中に限って、大抵うそっぱちで、自分を大きく見せようとしている。
不快感というのは人間あるいは生物の本質的感情なので、これを排除することも否定することもできない。そもそも感情論に理性で対応しようとしても、悪化するだけである。非論理的な嫌悪感や不快感はあるということを前提に議論はされるべきだ。
「わたしは、あなたの生き方が嫌いだ。」
この感情は誰も否定できないし、是正もできない。だが、その感情はその人だけのものであって、「みんな」が同じではない。
「みんな、あなたが嫌いだ。」
これは、表現としては間違いである。あなたの何が嫌いかを言わない。言わないことで多数派を形成しようとする。
理由を聞くと、千差万別である。具体的に書くほど少数派になる。だから具体的に書かない。そして、色々な意見が出ても否定しない。まあ、個人の具体的な生活など赤の他人が知るよしもないので、そもそも書くことはできないのだが。
100人が不快感を示しても、たかだか一億分の百だと割り切ることが大切だ。悪意があろうが無かろうが中傷する人物の多くが相手を屈服させたいと無意識だとしても望んでいる。だから、意見を単に拒絶することは火に油を注ぐ結果になる。しかし、受け入れられたと思われれば、クレームがエスカレートしていくことだろう。
自分のことを解って欲しい。そう思っても、己の全てをさらけ出していない以上、それは無理である。だから、SNSに書かれていることは集団の意見ではなく、あくまで個人の意見や感情でしかないという認識があれば必要以上に恐れることも迎合する必要もなくなる。
いいねを集めて集団を形成しようとする行為を見ても、自分の意見に自信が無いんだと思う。
皆が少数派で、言いたい放題言っている場。そんな認識でSNSに向き合えば、大幅な規制をしなくても済むのではないだろうか。なぜなら、この世には雄弁な悪魔より無口の天使のほうが数が多いのだから。




