センスを仰ぐ推し活 うちは金子(きんす)
人を賞賛するときは概ねその人のセンスに感銘を受けた時だろう。優れた業績があっても、センスが感じられなれければ、ファンにはなれない。
ただ、才能勝負の芸能人はともかく、イーロンマスクやホリエモン、ひろゆきといった実業家に賛否両論が多いのは、個人のセンスだけの問題だろうか。そこには、少なからず利権が見え隠れする。利害関係によって推しが変わる。政治家ともなればなおさらだ。
金子目当てで仰ぐ連中に、正論など通用しない。
「多額の税金を納めている。」
といって、えらそうにしている連中をみると滑稽だ。なぜなら、その原資は消費者によるものだろう。なら、お客様は神様のはずだ。だが、そんなやつらに限って、客を軽視する。
「文句があるなら買わなくて結構。」
現在の地位は自分の才能と思っているのか?才能はあるだけでは役に立たない。その才能を買ってくれる人がいて初めて商売として成り立つ。爺のように読者に良い意味での迎合すらしない者は大衆の支持は得られない。それは信念を曲げるのではなく、相手を楽しませる努力だ。それには他者の作品を研究する必要がある。
爺の努力は、商売ではなく、趣味の範囲でだ。間違った事は避けたいが、金のために書きたいことを控えられるか。そんなセンスは今の所ない。




