入学や 規則は契約 マナーは文化
規則とマナーの区別がつかない大人が多い。規則というのは一種の契約だ。違反すれば処罰を受ける。そして、どこかに属するということは、その規則を一旦は受け入れたということになる。
国会議員になった以上、国会に出るというのは規則。野球で塁を離れてタッチアウトになれば、どんなに苦情を言おうが、アウトだ。それが嫌なら最初からそこに属さないことだ。そしてそこには時代遅れかもしれないが何らかの理由もある。
それに対し、マナーというのは長い間かけて作られた共通認識であり、厳格な理由がないことも多い。なので、罰則はないが、守らなければ注意を受けてもしかたがないし、理由がわからないからといって無視していいものでもない。
高校球児のパフォーマンス。これがマナー違反ということであれば、注意を受けても仕方が無い。
仲間内の規則というのは、仲間内で変えることができる。しかし、マナーというものは、自分達で簡単に変更していいものではない。それは、長い年月をかけて先人達が決めてきたことだ。
規則というのは権限があれば誰でも変えることが出来る。それに同意できない参加者は退会するしかない。一方マナーは大多数の賛同が無ければ変えることはできない。それは、マナーが文化だからである。
将棋の対局でノーマスク、あるいは飛行機内でのノーマスク。これは規則だ。だから罰則があるし、反する人には処罰がある。しかし、飲食店での迷惑行為は、主にマナー違反なのでそれ自体で処罰はできない。が、動画を拡散することで営業妨害等の法律という規則の違反になる。
マナーを自分達で決めさせろというのは、おかしいことである。文化というのは誰かが決めるものではなく、長い時間をかけて培われていくものなのだから。




