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爽やかな空気をビアトリスは胸いっぱいに吸いこむ。
同時にガヤガヤという喧噪も聞こえてきた。
それは、まさしく学園という雰囲気で、前世の記憶の中でいえば、中学高校みたいな感じだった。
(この学園は、十五歳で入学して十八歳まで三年間通うのだから、高校とほぼ一緒だわ)
――――今日、ここから乙女ゲームがはじまる。
ビアトリスは、気持ちを引き締めた。
(最初のイベントは、入学式に向かう途中の校庭だったわよね。周囲の景色に見とれていたヒロインが、うっかりエドさまとぶつかるの)
転んでしまうヒロインと、それに「大丈夫かい?」と優しく声をかけ、助け起こしてくれるエドウィン。
そして、その様子を見た悪役令嬢ビアトリスは、ヒロインを怒鳴りつけるのだ。
(たしか――――『無礼者! 恐れ多くも第一王子殿下にぶつかるだなんて、万死に値しますわ! 殿下のお体は、貴女のような一般生徒が触れていいものではありませんのよ。即刻学園を出ていきなさい!』――――だったかしら? いくら王子の婚約者でも生徒を退学させる権限なんてないのに、滅茶苦茶高飛車だったわよね)
当然ビアトリスは、エドウィンから『学園内では、みんな同じ学生だよ』と注意される。
一方、ヒロインはそんなエドウィンに好感を持つのだ。
たいへんベタな出会いシーンなのだが、それでもビアトリスはわくわくしていた。
(出会ったヒロインとエドさまは、この後最高の愛を育んでいくんだもの。そして、私は三年後に婚約破棄されて、憧れのモブキャラと結婚できるのよ!)
もちろん、ことはそんなに簡単ではない。
『婚約破棄=モブキャラとの結婚』という方程式は成り立たないし、この時点では、ヒロインの攻略する相手がエドウィンだと決まったわけでもないからだ。
ヒロインには他の攻略対象者との出会いイベントもあり、エドウィン以外のルートにいく可能性もあるのである。
その場合、エドウィンはヒロインに片想い。攻略対象者の中では一番身分の高いエドウィンだが、優しく真面目な彼は、決して自分の想いをヒロインに押しつけることはなく、最後は黙って身を引いてしまう。
なお、そうであっても、ビアトリスはヒロインをいじめ、エドウィンに婚約破棄されることになっていた。自分では決して得られないエドウィンの好意を受けながら、それに応えないヒロインを、ビアトリスは憎悪する。
(要はエドさまの関心を引いた時点で、ヒロインはビアトリスの敵になるのよね。少なくともゲームではそうだったわ。そして、高潔なエドさまは、嫉妬にかられいじめをしたビアトリスを許せなかった。……ただ、今の私とエドさまは、ゲームの二人より仲がいいみたいだから、どうなるかわからないけれど)
ヒロインと両想いになり彼女を王妃にするためならば、エドウィンはビアトリスとの婚約を破棄するはずだ。
しかし、そうでなく片想いだった場合は、どうだろう?
果たして今のエドウィンが、他に結婚したい相手がいない状態で、ビアトリスを切り捨てることまでするだろうか?
先に馬車を降りたエドウィンから手を差し伸べられ、その手に掴まりながらビアトリスは、眉間にしわをよせた。
馬車のステップを降りる彼女を注意深く見つめるエドウィンの黒い目は、慈しみに溢れている。
「いこう。式場はあちらのはずだよ」
馬車から降りても、ビアトリスの手は解放されず、そのままエドウィンは歩きだす。つまり、二人は仲良くお手々を繋いで歩いている状態なわけで、しかもそこに不自然さは一切なかった。
(まあ、そうよね。いつものことだもの)
あれは十歳のときだっただろうか? ビアトリスが王宮の広大な庭園で迷子になるという事件が起こったのだ。それ以降、エドウィンは外出の都度彼女と手を繋ぎ、迷子にならないように気づかってくれるのが常となっている。
彼の温かな手は、ビアトリスに対する思いやりと好意をしっかり伝えてくれていた。
(うん。優しすぎるくらいに優しい人だわ。ここまで優しくて婚約破棄なんてできるものかしら?)
まあ、その優しさゆえに、婚約者のいじめを許せなかったのかもしれないが。
(なんだか心配だけど……ヒロインに頑張ってもらうしかないわよね)
エドウィンはメイン攻略対象者だ。とんでもないイケメンで、身分は王子さま。しかも性格も文句なしのスパダリである。
(大丈夫。普通の女性なら絶対エドさまを選ぶわ! そうでないなら、その人はとんでもない偏屈か、へそ曲がりに決まっているもの!)
自分のことは棚に上げ、ビアトリスはそう思った。
ヒロインがエドウィンを選びさえすれば、婚約破棄は確実だ。
その場合、ここまで優しいエドウィンなら、ビアトリスを国外追放にしないだろう。
それどころか、自分の友人Bとの結婚を祝福してくれる可能性もあるかもしれない!
(多少心配要素はあるけれど、一応目標通りになりそうなんじゃないかしら? だとしたら、まず重要なのは、この後のエドさまとヒロインとの邂逅イベントよね! 私もしっかり悪役令嬢の役割を果たさなきゃ!)
「――――ビアーテ、そこの小石に気をつけて」
考え事をしながら歩いていたビアトリスは、エドウィンから注意されたものの小石に蹴躓きそうになった。
それを間一髪、エドウィンが自分の方へ引き寄せることで回避する。
「ああ、ほら……危ないからこのままでいこう」
いつの間にか、ビアトリスと繋がれていたエドウィンの手は、彼女の腰に回されていた。
そのまま引き寄せられ、エスコートされて歩きだす。
(……えっと? こんなにくっついていたら、ヒロインがぶつかってきたときに、私もダメージを受けるんじゃないかしら? ……あ、でも、だから逆上して怒鳴りつけるのかな?)
ふと疑問に思い、首をひねった。
そもそも、あの出会いイベントで、ビアトリスはこんなにエドウィンの側にいたのだろうか?
(あれはヒロイン視点で描かれていて、彼女はキョロキョロしてよく見ていなかったから、画面ではわからないのよね。まあ、イベントが起これば、なんとかなるでしょう)
そう思ったビアトリスは、今か今かと待ち構えながら、式場に向かって歩いていく。
(ああ、まだかしら? 早くこいこい! ヒロイン!)
ずっと、そう思って歩いていた。