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「リビード王国からきました、イェルド・リングビストです。ハイランド王国は、はじめてですので、いろいろ教えていただけると嬉しいです」
深紅の長髪を背中でひとつに結び、細身の黒縁眼鏡をかけた背の高い男子学生が、人好きのしそうな笑顔を浮かべる。
折しも教室の窓にサッと光が差しこんできて、彼の眼鏡にキラリと反射した。
レンズの奥の瞳は、神秘的な紫だ。
季節外れの転校生を迎え、誰もがざわざわと落ち着かない中、ビアトリスは動揺を隠すため下を向いていた。
(なんで? なんで、隠しキャラが転校してくるのよ!)
机の下の手をギュッと握りしめる。力を入れすぎた拳は、きっと震えているだろう。
そう、今まさしく教室の前で挨拶をしているイェルド・リングビストは、乙女ゲームの隠しキャラだった。特定の条件を満たすことでルートが派生し、攻略可能になる人物である。
(ものすごく面倒くさいキャラだから、絶対会いたくなかったのに!)
チラリと隣に座るエドウィンに目を向ける。
背筋を伸ばし、前を向く王子の顔は、一見いつもと変わらない。
しかし――――。
(うわぁ~、ものすごく不機嫌そう)
他の者ならいざ知らず、長年一緒にいるビアトリスには、彼の感情が一目で見て取れた。
(それもそうよね。イェルドは隣国の第二王子。まだ公式の場では会ったことがない人物だけれど、情報通のエドさまが彼の事情を知らないわけがないもの)
イェルドは、少々――――いや、かなり難しい立場の王子だ。
彼の母は、隣国リビード国王の寵愛を一身に受ける平民上がりの妾妃。当然正妃からは親子共々忌み嫌われている。しかも、イェルドは文武両道に優れ、見目麗しく国民から人気のある王子で、対して、正妃の産んだ第一王子は、容姿も能力も十人並み。まったく目立たない凡人だ。
このためイェルドは、第一王子の地位を脅かす者として、正妃とその一族から目の敵にされていた。面識のないハイランド王国に留学してきたのも、暗殺の危機から逃れるためだ。
(一応、身分は隠すみたいね。リングビストは母親の姓だし、あと、あれって伊達眼鏡よね。……まあ、美形なのは隠しようもないけれど)
少しでも目立たないようにしたいのだろうが、眼鏡はまったく役に立っていない。どころか、どこからどうみても、イケメンインテリ眼鏡さまで、無駄にキラキラしい。
隣国のお家騒動の種が、自国、しかも自分の通う学園に現れては、エドウィンの機嫌がいいはずもなかった。
(実際、イェルドのルートは面倒ごとばかり起きるんだもの。……あ~あ、どうしてこんなことになっちゃたのかしら?)
そう思いながらビアトリスは、視線をエイミーの方に流す。
理由はわかっているのである。
(絶対、エイミーのせいよ!)
ビアトリスは、隠しキャラルートの派生条件を、ひとつだけ覚えていた。
それは、エドウィンを攻略しないことだ。
(つまり、エイミーが真面目にヒロインの役目を果たして、エドさまを攻略してさえいれば、こんなことにはならなかったはずなのよ! もう! 後できっちり文句を言ってやらなくちゃ!)
ジロリと睨みつける。
しかし、当のエイミーには、ビアトリスを気にかける余裕なんてどこにもないようだ。顔面は蒼白、身体はプルプルと震えていて、視線はジッと下を向いている。
よほどイェルドが怖いのだろう。
そういえば、ゲームのイェルドは背景も複雑だが、性格も複雑怪奇なキャラだった。
(どこでどう育ったら、そんな風になるの? っていうくらいのひねくれ者。彼の行動には二重も三重も裏があり、面倒なら面倒なほどテンションが上がるっていう、本当に面倒くさい人物なのよね)
正直、理解できない。
君主危うきに近寄らず。
関わりにならずに済むのなら、それが一番だ。
(とはいえ、そんなわけにもいかないし。だって、このままなにもせずに放置すれば、隣国はお家騒動から内戦に発展し、最終的に滅んでしまうのだもの)
他国とはいえ、すぐお隣なのだ。確実にとばっちりは飛んでくるし、関係ありませんと知らん顔をしているわけにもいかない。
(ああ、本当に面倒だわ。エイミー、許すまじ!)
フツフツと湧いてくる怒りを表面に出さないように抑える。
できるだけ早く彼女を捕まえ、この怒りをぶつけようと決意するビアトリスだった。




