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――――という前世を、五歳の公爵令嬢ビアトリス・ムーアヘッドは、唐突に思いだしていた。
場所は豪華絢爛な王宮の大広間。
今日は、同じ歳の第一王子の誕生日パーティーが開かれており、彼女はそこに招かれている。
(え? いや、ちょっと、待って、待って! 転生とかマジなの?)
怒濤の勢いで蘇る記憶に、ビアトリスは大混乱。
幸いだったのは、子どもの招待客に考慮して、全員が椅子に座らせてもらっていたことだろう。おかげでなんとか昏倒しないですんでいる。
この場には、ビアトリス以外にも、主立った貴族のご令嬢が多数招待されていた。要は、王子のお見合いパーティーみたいなもので、この中から彼の婚約者が選ばれるのだ。
王子の婚約者に選ばれれば家門の誉。幼いとはいえご令嬢たちは、誰も彼もがガッチガチに緊張して、この場に望んでいる。
そんな張り詰めた空気の中、どうしてビアトリスが突然前世を思いだしたのかといえば、それはひとえに王子のイケメン顔のせいだった。
(間違いなく、攻略対象者のエドウィンの顔だわ。ゲームよりずいぶん幼いけど、この世界では珍しい黒髪黒目は特徴的だもの)
ゲーム――――そう、エドウィン・ハイランドは、千愛が最後に嵌まっていた乙女ゲームの攻略対象者なのだった。
つまり、千愛は乙女ゲームの世界に転生したのだ。
ちなみにビアトリスは、エドウィンルートを選んだ際の悪役令嬢。王子と親しくなるヒロインをいじめまくり、断罪された後は国外追放になる役どころだ。
(乙女ゲームの世界に転生なんて、ホントにあるの?)
なかなか信じられないビアトリスは、エドウィンをまじまじと見つめてしまう。
幼いながらも、見れば見るほどイケメンだ。
あまりに見つめすぎたのだろう、エドウィンも彼女をジッと見つめ返してきた。
射貫くような視線を向けられて、ビアトリスは慌てて下を向く。
(不敬だったかしら? でもショックが大きすぎるんだもの、仕方ないわよね)
誰だって、急に前世の記憶を思いだしたあげく、その転生先が乙女ゲームの世界だとわかれば、平静でなんていられない。
むしろ大声を上げたり倒れたりしなかった分、ビアトリスは冷静な方だった。
ましてや、彼女は前世で刺殺され、それも思いだしたのだから。
(ううん。殺されたからこそ、私は思ったより落ち着いて転生を受け入れられたのかもしれないわ。前世の自分の死が確実だったから、転生したってことはショックでも、拒絶とかは、感じないもの)
千愛は死んだ。それは事実だ。
だったら、ビアトリスとして生きていくしかないではないか。
(ああ、でもよりによって悪役令嬢はないわよね? ……そりゃぁ、転生するならヒロインより悪役令嬢がいいと思ったことはあったけど)
あれはあくまでもありえない仮定としての考えだ。現実に我と我が身に降りかかるとわかっていれば、答えは自ずと違ってくる。
(それでも、断罪後の悪役令嬢が死刑になるようなゲームに比べれば、まだましなのかしら? どの道、私は攻略対象キャラに興味はないんだし)
そう、ビアトリスはエドウィンなんか眼中になかった。
なぜなら、千愛は『モブ担』だったから!
早々に現実を受け入れたビアトリスは、王子から視線を逸らしつつ、自分が転生した乙女ゲームのモブキャラを思いだしていた。
この乙女ゲームでの千愛の一推しは、エドウィンの友人Bというモブキャラだ。
Bといっても、A、Bという順番のBではなく、愛称のベンからとった頭文字のBである。
(ゲームではフルネームが出てこなかったから、どこの家のご子息かもわからないけれど、たしか伯爵家の次男って設定だったわよね。王子の取り巻きの一人でセリフもほとんどなくて、偉そうに話す王子の後ろで黙って立っていることが多かったの。……あの目立たなさっぷりが、誰より最高だったわ!)
千愛はイケメン嫌いだ。キラキラと眩しいイケメンと関わっても、ろくな結果にはならない。
彼女がこよなく愛するのは、あくまで地味で控えめなモブキャラであり、転生してビアトリスになった今も、その嗜好は変わらなかった。
(ゲームのシナリオ通りなら、私はこの後王子の婚約者に選ばれてしまうんだわ。正直言ってごめんだけど……でも、そうなれば王子の友人Bであるベンさまとも会えるようになるはず。最終的には王子に婚約破棄されるから、その後でベンさまと結婚を目指すのが、私的にベストじゃないかしら!)
そう思いついたこの瞬間、ビアトリスの未来は、虹色に輝いた。
キラキラキラと、想像上の未来図に光が乱舞する。
目がチカチカして……ハッとした。
(え? 待って、ホントに眩しいんだけど?)
パチパチと瞬きすれば――――なんと、目の前にエドウィン王子が立っている。
まるで耽美主義の絵画から抜け出てきたような美少年が、ビアトリスに微笑みかけていた。
「……へ?」
「はじめまして、ムーアヘッド公爵令嬢。少しお話してもよろしいですか?」
王子に話しかけられたビアトリスは、ポカンと口を開ける。
貴族令嬢としてはいささか恥ずかしい態度だが、それもやむを得ないだろう。
今日の誕生日会は、あくまでも王子と婚約者候補の令嬢たちとの顔合わせ。親に連れられた令嬢たちは王子に挨拶はするものの、それ以外の会話などは想定されていなかったからだ。
(私は、婚約者候補筆頭だけど……それでも、この段階で、一対一で会話するとか予定外よね?)
周囲を見回せば、ビアトリスの両親はじめ誰もが驚いた表情で王子を見ていた。国王陛下なんて玉座から腰を浮かしかけている。
であれば、きっとこれは王子のスタンドプレーなのだろう。
いったいなんのつもりで、こんなことをしでかしたのか?
(でも、どうせ私が婚約者になるのなら、この展開もありなのかもしれないわ? 後日あらためて個人的に会う場を設定するとか、そういう面倒なステップをいろいろすっ飛ばせそうだもの)
きっとエドウィンもそういう雑事を嫌って行動したのかもしれない。
そういえば、ゲームの中の彼は、優秀で効率第一の合理主義者だった。それが変化し優しい人間になるのは、ヒロインに出会ってからだ。
(王子がそのつもりなら、乗ってやろうじゃない)
ビアトリスは、座っていた椅子から、ぴょこんと立ち上がった。
「はい。殿下、よろこんで」
ニッコリ笑ってそう返す。教えられたカーテシーを精一杯披露した。ちょっとぐらついてしまったが、五歳の令嬢なのだし、ご愛敬だ。
「ありがとう。ムーアヘッド公爵令嬢」
「どうぞ、ビアトリスとお呼びください」
「では、ビアトリス。私のこともエドウィンと呼んでください」
「はい。エドウィンさま」
五歳の少年少女は、大人顔負けの会話を交し、優雅に微笑みあう。
周囲の大人たちは、右往左往するばかり。
王子から手を差し伸べられたので、ビアトリスはその手に自分の手を重ねた。
ギュッと、思いのほか力強く握られる。
(なんだか、縋りついているみたいな力の入れようね)
彼の小さな手の感触が、心に残った出会いだった。