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その後、仕度を終えたビアトリスは、ドレスが似合うとべた褒めしてくるエドウィンと一緒に朝食をとる。
どこもかしこも豪華絢爛な王宮にしては落ち着いた雰囲気の食堂には、国王夫妻も同席していた。
急に泊まったことを謝れば、気にせず『もっと頻繁に泊まってくれてもいい』と言ってくれる。
「城での公務も増えていることだし、いっそのこと城内に私室を設けてはどうかな?」
国王の提案に、ビアトリスは、危うくベーコンを喉に詰まらせるところだった。
慌ててオレンジジュースを飲んで落ち着こうとしたところに、嬉しそうな王妃の声が続く。
「まあ、いいですわね。ちょうどエドウィンの隣の部屋が空いていますわ!」
それは、王子妃用の部屋のことではないだろうか?
ビアトリスは、今度はジュースを吹きだしそうになった。
「うっ……ゴホッ、ゴホッ!」
軽くむせれば、エドウィンが背中をさすってくれる。
「母上、ビアーテを驚かせないでください」
「ごめんなさいね。でも、準備は早いほうがいいでしょう?」
「そんな心配は無用です。もうとっくに準備してありますから」
「え?」
驚き見上げれば、しまったという表情のエドウィンが、露骨に視線を逸らした。
「……まったくもう。父上と母上のせいで、サプライズが台無しではないですか」
いやいやいや、そんなサプライズいらないから!
舌打ちするエドウィンの横顔を凝視する。
王妃は、申し訳なさそうに謝ってきた。
「まあ、そうだったのね。本当にごめんなさい。まさかもう終わっているなんて思わなかったのよ。……それで、壁紙は当然張り替えたのよね? どんな感じにしたの?」
「白地に淡黄色の小花を散らした模様です。あまり派手ではなく落ち着いた雰囲気の中にも可愛らしさを感じられるものを選びました。先日、私の宮の改装打ち合せのときにも、ビアーテはそういったものを選んでいましたから。好みはすべてそのときに把握済みです。もちろん、防水性、防湿性、吸音性等々に優れた最高級品質ですよ」
「あら素敵! 家具は?」
「壁紙に合わせてすべて入れ替え済みです。設計から材料選びまで私自身で監督しましたから手抜かりはありませんよ」
「照明は?」
「国内に気に入ったものがなかったので外国から取り寄せました」
「なら――――」
延々と続く王妃とエドウィンの会話に、ビアトリスは口を挟めない。
(え? なんでお城に私の部屋が準備されていて、しかも全部改装されていること前提なの? この前の王子宮の改装打ち合せに出させられたのも、ひょっとしてこのせい? それに、どうしてみんなそのことを疑問に思わないの?)
国王は、嬉しそうに王妃とエドウィンの会話を聞いているし、侍女や侍従、警護の騎士たちもみんな普通に仕事を続けている。視線が合えば、誰からも満面の笑みを向けられた。全員、この話を喜ばしいと思っているのは間違いない。
「――――がいいよね?」
呆然としていれば、なにかをエドウィンに確認された。
ハッとしたビアトリスは、エドウィンに視線を向ける。
「はい?」
決して了承の意味での「はい」ではなく、疑問の意味での「はい?」である。
しかし、エドウィンは前者の意味に受け取ったようだった。
「ほら、母上。ビアーテも毎日部屋を飾る花を選ぶのは私がいいと言っていますよ」
「う~ん、残念。でも三日に一回くらいは、私にも花を選ばせてほしいんだけど」
「絶対ダメです!」
「だったら、五日に一回。ううん、十日に一回でもいいから!」
なんと、エドウィンと王妃は、ビアトリスの私室に飾る花を選ぶ権利を争っているようだ。
「ダメですよ。だって母上は、花は選んでも切るのは庭師か侍女にさせるでしょう? 私はすべて自分でやりますから。ビアーテの部屋に飾る花に誰ともわからぬ他人の手が触れるなど、あってはならないことですからね」
――――いや、庭師か侍女と言ったではないか? 誰ともわからぬ他人ではありえない。
「エ、エドさま?」
ここにきて、はじめてビアトリスは不安になった。
(これって、普通の婚約者に対する態度とは、かなり違っているんじゃないかしら?)
いくら仲のよい婚約者でも、相手の部屋の内装や飾る花にまでこだわる人は、そうそういないと思う。
(ドレスのときも尋常じゃないって思ったけど……ひょっとして、私ってエドさまにかなり好かれていたりするの?)
……今さら? と、呆れないでほしい。
ビアトリス――――いや、千愛にとって、身近な女性に男性がいろいろなプレゼントをするのは、なんら不思議なことではなかったのである。
(だって悠兄はそうだったもの。幼なじみの悠兄があんなにいろいろくれたんだから、政略上とはいえ婚約者のエドさまがプレゼントをしてくれるのは当然よね? ……そりゃあ、エドさまは王子さまだからいただいたものは高価だったけど、でも種類や回数なんかは悠兄と同じ感じだったわよね?)
…………悠人を基準にしていることが、そもそものビアトリスの敗因である。
(でも、さすがに今のエドさまの態度は普通の婚約者に対するものとは思えないわ。……私は悪役令嬢のはずなのに……ひょっとして、ひょっとしたら、私…………溺愛されているの?)
グルグルグルと思考が回る。
「エ、エドさま――――」
思考の迷路に嵌まったビアトリスは、エドウィンの名を呼んだ。
なにを聞こうとか、なにを言おうとか考えたわけではない。
ただ、とてつもなく困ってしまって、そうしたら口が勝手に動いたのだ。
「なんだい、ビアーテ?」
優しく微笑みながらエドウィンが聞き返す。
『なんだい、千愛?』
その姿に、その声に、なぜか悠人が重なった。
(――――え? 悠兄? ……あ、ってことは、大丈夫なんじゃないかしら? 悠兄と私は恋人同士じゃなかった。ああ、なんだよかった。そんなに心配することじゃなかったんだわ)
だから、悠人を基準とするのが間違いなのだが、ビアトリスにそれを教えてくれる人はいない。
ホッとした途端、ビアトリスは恥ずかしくなった。
「な、なんでもありません。……ただ、お名前が呼びたかっただけで」
(もうっ、もうっ、私ったら溺愛されていると勘違いするなんて! 図々しいにも程があるわ)
恥ずかしすぎて心臓の鼓動が早くなる。熱くなった頬を隠すように俯いた。
「アハハ、なんだい、それ? でも、嬉しいね」
優しい声が降ってきて、頭を撫でられる。
悠人もよくこうやって頭を撫でてくれたものだった。
(恥、恥ずかしいです! エドさま)
そう思いながらも、その手をどけられぬビアトリスだった。




