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侍女長の話を聞いたビアトリスも目を伏せる。
その話は、聞いたことがあるからだ。
国王夫妻や古くからの重臣が、時々口にするのである。
現在のエドウィンを見る限り、とても信じられない話なのだが、どうやら真実らしい。
「幼い頃のエドウィンさまを知る者たちにとって、今の殿下のお姿は、まさしく奇跡と呼ぶに相応しい慶事なのです! 生き生きと感情豊かに――――ときに、豊かすぎるほど豊かに生きることを楽しむ殿下のお姿は、私どもに望外の喜びと安堵を与えてくれます。……そして、それらすべてをもたらしてくださったのは、ムーアヘッド公爵令嬢、あなたなのです。どれほど言葉を尽くしても、この感謝の思いを伝えきれることはないでしょう!」
感動に目を潤ませながら、侍女長はますます深く頭を下げてくる。
ビアトリスは、無茶苦茶焦った。
(別に、私はなにもしていないし!)
「そんなことは――――」
「ございます!」
否定しようとしたビアトリスの言葉を、侍女長は途中でぶった切った。スッと音もなく、一歩距離を詰めてくる。
「間違いなく、あるのです! それだけは、たしかです。ムーアヘッド公爵令嬢は、私たちにとって救いの女神! ……そして、それをわかった上で、私は先ほどのお願いを繰り返させていただきたいのです。――――どうか、殿下のお心遣いを受け入れてくださいませんか」
鬼気迫る勢いの侍女長に、ビアトリスはタジタジとなった。
ここは大人しくドレスを選んで着るしかなさそうだ。
(ヒロインに攻略されて彼女への好感度が上がれば、エドさまは私を邪険にするんだと思うんだけど……あのエイミーじゃ無理よね)
残念なことだが、ゲームのヒロインエイミーに、エドウィンを攻略する気はまったくない。
それどころか、ヒロインのターゲットはビアトリスと同じモブキャラ、ベンジャミン。こともあろうにビアトリスにエドウィンとの結婚を勧めてくるほどの入れこみぶりだ。
(まったくとんでもないヒロインだわ! ヒロインの風上にも置けないわよね!)
自分のことは、まるっとすっかり棚に上げ、ビアトリスは憤慨した。
(ということは、今の私のこの状況も、エイミーのせいなんだわ! この私をこんな状況に追いこむなんて――――さすが腐ってもヒロインね。エイミー、許すまじ!)
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。エイミーを敵認定したビアトリスにとって、世の中の気に入らないすべてのことの原因はエイミーだ。
(空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなエイミーが悪いのよ。……まあ、この世界には電柱や郵便ポストはないけれど)
とはいえ、今現在この場にいないエイミーに敵意を燃やしても事態は好転しない。
ここでグズグズと時間をかけるより、さっさと着替えて家に帰り、できれば学園に登校したいと、ビアトリスは思う。
(そして、エイミーがベンさまに近づくのを絶対阻止するのよ!)
そういえば、先ほどベンジャミンは隣の部屋にいたようだ。直接目にすることはできなかったが、エドウィンを諫めてビアトリスを救ってくれたのではなかったか?
(そうよ! ベンさまのおかげで、私はエドさまと一緒に寝ていないってわかったんだもの! これは、お目にかかってお礼を申し上げてもいい案件じゃない?)
ベンジャミンに会う大義名分を手に入れたビアトリスは、キッと頭を上げる。
「――――真ん中のドレスにします!」
「ムーアヘッド公爵令嬢?」
「ありがたくそのドレスをお受け取りします。着替えを手伝ってくださいますか?」
ビアトリスの言葉を聞いた侍女長は、パッと表情を輝かせた。
「エドウィン殿下を受け入れてくださるのですね?」
今は、仕方ない。
(大丈夫よ。そのうち、熨斗つけてエイミーに引き取ってもらうから!)
「はい。急ぎましょう。エドさまをお待たせするわけにはいきませんわ」
ビアトリスが頷けば、侍女長は即座に動きはじめた。
「ありがとうございます。ムーアヘッド公爵令嬢。……ありがとうございます」
言葉を詰まらせ、礼を言いながらも彼女の手は止まらない。
(さすが王妃さまの侍女長だわ)
変なところに感心しつつ、ドレスに着替えるビアトリスだった。




