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体重をかけ、手の付け根で背中全体をゆっくりとさする。
このとき力を入れすぎないのが、マッサージのコツである。
(あんまり力一杯すると、かえって痛くなることがあるのよね)
そんなことになったら、たいへんだ。
ビアトリスは、気をつけながら丁寧に手を動かした。
エドウィンの疲れが癒えますようにと、心から願う。
しばらくすると、エドウィンは、「ホーッ」と気持ちよさそうな息を吐いた。
「ああ……いいね。とても楽になる」
その言葉が聞きたかった。
「本当ですか? エドさま」
「嘘なんてつかないさ。君にしてもらうのが、一番疲れが取れるよ」
――――どこかで聞いたようなセリフである。
「背中には健康にいいツボがたくさんあるんですよ。自分では手の届かない場所も多いから、いっぱい刺激しておきますね」
「ビアーテは物知りだね」
「そんな。それほどじゃないですよ」
前世で悠人が喜んで褒めてくれたから、ネットでいろいろ調べた結果だ。
(もう悠兄には二度とマッサージできないんだもの。その代わりってわけじゃないけれど、エドさまには、私のマッサージで少しでも楽になってもらいたいわ。……そして、気の抜けたところでベンさまの情報を聞き出すのよ! まずは、馬車で聞き損ねた好きな色。好きな食べ物に、あと好きな異性のタイプとかわかったら最高よね!)
今か今かとチャンスを窺いながら、ビアトリスはマッサージを続ける。
ところが――――。
「ありがとう。今度は私がビアーテにマッサージするよ」
チャンスがくる前に、エドウィンがそんなことを言いだした。
「え? いえ、そんな私は!」
「遠慮しないで」
断わろうとしたのに、あっという間にエドウィンは起き上がり、体勢を入れ替えてしまう。
(ちょっ、ちょっと待って! いったいどうやってこうなったの?)
とんでもない早業だ。
「エ、エドさま」
「大丈夫。私に任せて」
背中に大きな手のぬくもりを感じたと思ったら、その手がゆっくりと動きだす。
強すぎず弱すぎずの絶妙な力加減で、エドウィンの手がビアトリスの背中を撫でていった。
(……うぅ、悔しいけど、気持ちいい!)
そういえば、前世でも千愛のマッサージの後には、必ず悠人がマッサージ返しをしてくれた。なんでもできる悠人のマッサージは上手くって、いつもトロトロになっていた千愛だ。
(エドさまったら、こんなところまで悠兄と同じだなんて。やっぱりイケメンは似るものなのね)
緊張で強ばったビアトリスの体から、徐々に力が抜けていく。
「あ、あぁん。……そこ、いい」
肩甲骨の真ん中辺りを押されて、思わず声が出た。
「ここかい? たしかに凝っているみたいだね」
「ひゃっ、エドさまっ! そんなっ……あぁん」
あまりの気持ちよさに、喘いでしまう。
「ん……んん、あぁ!」
「やっ、お願いっ……そんな、しないで」
一度声が出てしまうと、止められなかった。
「あ、あ、あっ……んぁ、もっと!」
「エドさまっ!」
――――ビアトリスは、もはや自分でもなにを言っているのかわからなくなっていた。
最高に気持ちよくなったビアトリスが、眠ってしまったのは不可抗力だと思う。
ユラユラと霞む意識の向こうで誰かが話していた。
「は? エドウィンさま、どうなさったのですか? お顔が真っ赤ですよ!」
ずっと会えなかったベンジャミンの声みたいに聞こえる。
(……え、ベンさま? 本当に?)
ならば、なんとしても起きなければ! と思ったビアトリスの耳に別の声が聞こえてきた。
「うるさい! 愛する婚約者のあんな声を聞いて、平常心でいられるはずないだろう!」
それは間違いなくエドウィンの声だ。
しかし、いつもと違い、感情的に上擦っている。
(……なんだ。私ったら夢みているのね)
エドウィンが、こんな口調で、こんなことを言うなんて、ありえなかった。
ドッと力が抜けていく。
(今、私たちの仲は良好だけど、乙女ゲームが順調に進めば婚約破棄されるんだもの。『愛する婚約者』はないわよね?)
自意識過剰もいいとこだ。
(はっ! ひょっとして、私ったら、無意識にエドさまにそう言ってもらえることを望んでいるのかしら?)
夢は願望の表れだと、どこかで聞いたことがある。
(ううん。夢は夢よね。私の推しはベンさまだもの。……深く考えてはいけないわ)
フルフルと首を横に振る。
「え? ビアーテ、起きたのかい?」
夢の中で、エドウィンが聞いてくる。
(いいえ、エドさま。寝ています)
そう返事をしたビアトリスは――――本当に眠った。




