1
「……おかしいわ」
それは最近のビアトリスの口癖だ。
なにがおかしいのかと聞かれると困るのだが、ともかくいろいろとおかしかった。
(一番は、ベンさまと会えなくなったことよね! 一週間くらい前までは、時々エドさまのところにきている姿を見ることができていたのに)
ベンジャミンは、エドウィンやビアトリスとはクラスが違う。それでも、王子の侍従候補筆頭として、一日一回はエドウィンの元に、事務連絡やらなんやらで現れていた。その姿をこっそり眺めるのがビアトリスの一番の楽しみだったのに、ある日を境にまったく姿を見なくなってしまったのだ。
(たしか、私がエイミーと言い争った次の日だったわよね。まさか、彼女がなにかしたのかしら?)
ヒロインとはいえただの男爵令嬢であるエイミーが、今の段階でベンジャミンの侍従候補としての仕事に影響を及ぼせるとは思えない。
しかし、それでも相手は腐ってもヒロインだ。侮るわけにはいかなかった。
エイミーのことを思い出す度、ビアトリスは激しい焦燥感にかられてしまう。
(ヒロインが、私と同じ『モブ担』だなんて思ってもみなかったわ! どうりでエドさまとのイベントが起きなかったはずよ。このままじゃエドさまがエイミーに攻略されなくなっちゃう! そうしたら私も婚約破棄されなくなるじゃない!)
それは困る!
絶対困る!
ビアトリスの目標は、最愛のモブであるベンジャミンと幸せになること。
それには、エドウィンとの婚約破棄が大前提だった。
その大前提が、他ならぬヒロインエイミーのせいで、ガラガラと崩れ去りそうになっているのだ。
(エイミーがベンさまと親しくなるなんて許せない! その邪魔をするためにも、エドさまからベンさまを正式に紹介してもらおうと思っていたのに!)
今までビアトリスは、ベンジャミンを正式に紹介されたことがない。王子の侍従候補筆頭。しかも同じ学園に通う同学年ともなれば、引き合わせてもらってもなんら不思議でないと思うのだが、そんな気配は微塵もなかったのだ。
(まあ、ベンさまだけじゃなく、他の側近候補とか近衛騎士の方たちとかにも、私は紹介されたことがないんだけど。……私みたいなお飾り婚約者には、そんな必要ないってことなのかしら?)
それならそれでかまわない。ただベンジャミンだけには紹介してほしいと思う。
(それにしても、そういう扱いの婚約者にしては、私、最近いろいろな公務に引っ張り出されることが、ものすごく増えたよね?)
それがおかしいことの二番目だった。
「――――え? 今日もですか?」
まさに今、そのおかしいことを伝えられたビアトリスは、困惑しながらエドウィンに聞き返す。
「ああ、我が国と海を挟んだ南に位置する海洋国家シーバの使節団がきていることは知っているだろう? そのメンバーの商団連合が、新規の取引を求めて城で展示即売会を開くんだ。是非見てほしいと依頼されている。珍しい商品もいろいろあるそうだから、君が気に入ったならいくらでも買ってあげるよ」
非常に太っ腹な申し出だが、問題がひとつ。
「それって夜ではないのですよね?」
「ああ、午前中に実用的な衣服や用具を中心に展示、シーバの食材を使った昼食会を挟んで、午後から夕方にかけて特産品の真珠や珊瑚を使った装飾品が多く出品されると聞いている」
つまりは一日がかりの行事だ。
「思いっきり学園の授業と被っているんですけど!」
「公欠届は出してあるよ」
いつの間に?
しかし、問題はそこではない。
「私たちは、明日の公式歓迎会にも出席する予定ですよね。展示即売会は、無理に出なくてもいいのではないですか?」
少なくとも学園の授業より優先するものではないと、ビアトリスは思う。
なのにエドウィンは、平然とした顔で首を横に振った。
「経済交流は重要だよ。それに、母もビアーテと一緒に衣服を見たいと言っている」
エドウィンの母は王妃だ。『王妃殿下』と呼ばず『母』と呼んでいるところをみれば、その意向は王妃としてではなく私人としてのものだろう。
しかし、どちらにせよビアトリスに断れる選択肢はなかった。
あるのはエドウィンだが、彼に断わる気は、さらさらないようだ。
「……わかりました」
結局、ビアトリスはそう言った。
エドウィンは、綺麗な微笑を浮かべる。
「ありがとう。お礼に一番高価な真珠を使ったティアラを贈るよ。……もちろん私の個人財産でね」
そんなものまったくほしくない!
「け、結構です!」
「ゴメン。もう発注してしまったんだ」
相変わらずエドウィンは、仕事が早い。
ビアトリスは、大きなため息をついた。
殊勝に謝ってみせてはいるが、エドウィンが悪いと思っていないのは、一目瞭然である。
「――――珊瑚は、受け取りませんよ」
「……今回は、自重するよ」
『今回』ってなんだ?
それに、今の間は、絶対贈る気満々だっただろう!
「エドさま!」
思わず声を荒げるビアトリスに、エドウィンは手を差し伸べてくる。
「楽しみだね。展示即売会」
その手を取るしかないビアトリスだった。




