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「――――でも殿下、ちょっと方向性が違うのではないですか?」
順風満帆だと思っていたエドウィンに、そう言ってきたのは、一年前から彼の従僕候補として側にいるキーン伯爵家の次男だった。
名前はベンジャミン。茶色の髪と茶色の目を持つ目立つところのない平凡な容姿の少年だ。
しかし、そこそこ優秀で野心もないため、側に置いて都合がいい。歳は、エドウィンやビアトリスと同じ十歳。五年後には一緒に王立学園に入る予定になっていた。
「方向性?」
「はい。プレゼントもいいですが、それより愛の言葉を囁くとか、抱きしめるとか、キスをするとか。ごく一般的にご自分の想いを言葉や行動にして伝える方がいいと思いますよ。殿下の感情は、城内の者には丸わかりですが、肝心のムーアヘッド公爵令嬢には今ひとつ伝わっていないように見えますから」
エドウィンの胸にグサッ! と見えない言葉の剣が刺さった。
実は、常々そんな気がしていたエドウィンである。
ギュッと眉間にしわを寄せて、ベンジャミンを見返す。
「そんな恥ずかしいことはできない。それに、万が一、ビアトリスにいやがられたりしたら……立ち直れないし」
ベンジャミンは、呆気にとられたようだった。
「ええ? 恥ずかしいって……それくらい、好意を寄せる婚約者がお相手なら、普通ですよね? ……え? ひょっとして、殿下はご自分の気持ちを、ムーアヘッド公爵令嬢に、はっきりとお伝えしたことがないんですか?」
エドウィンは、フイッと横を向く。
(前世でも告白できなかったのに、こんな子どもの体では、まだ伝えられるはずがないじゃないか!)
――――正確に言えば、告白できなかったのではない。
悠人は、千愛に心からの愛を誓い、同時にプロポーズもしている。
ただし、それは悠人四歳、千愛三歳の初夏の日のことだった。
千愛から可愛い笑顔付きのYESの返事をもらい、意気揚々と双方の両親に報告した悠人だが、当然許可が出るはずもない。
『どうして? 俺と千愛は相思相愛なのに!』
『早すぎるに決まっているだろう!』
血相を変えて叱る悠人の両親に対し、千愛の両親は『子どもの言うことじゃないですか』と微笑ましそうに宥めてくれた。
しかし、悠人の父はきっぱりと首を横に振る。
『子どもだからって高を括っちゃだめです! だって、こいつは俺の子ですから!』
悠人の両親は幼なじみ。父が母に最初にプロポーズしたのは小学校一年生だったそうだ。
『俺でさえ小学校に入ってからだったのに! どうしてお前は、そんなところばかり俺に似たんだ?』
悠人の母は美人でハイスペック。悠人はどちらかと言えば母親似だ。
お叱りの言葉と一緒に悠人に課せられたのは、『大人になって自分で生活費を稼げるようになって、それでも同じ気持ちでいられたのなら、そのときもう一度プロポーズすること』という、お達し。しかも、その時点でも、千愛がNOと言えば当然結婚は認められないというものだ。
なおかつ、あまり早い段階での、悠人から千愛への告白も止められた。
『お前、絶対千愛ちゃんを言いくるめて、独占して、他を見ないようにするつもりだろう? 千愛ちゃんがしっかり自分の考えを持って判断できるようになるまで、待ちなさい!』
……それは、父の実践談だろうか?
心なしか母の父を見る目が冷たくなったような気がする。
――――このとき父に図星を指されて反論できなかったことを、悠人はずっと後悔していた。
(おかげで、さっさと恋人同士になって、千愛をいじめる奴らから堂々と守ることができなかった。もちろん、影ながら守っていたし、いじめた奴らには相応の報復をしていたけれど、ああいった輩は後から後から湧いてきたからな)
その結果が、悔やんでも悔やみきれないあの事件だ。
それを思えば、早めの告白も有りかとは思うのだが、前世の父の言葉がまったく間違っているかと言えば、そうでもない。
現在、婚約から五年経ったとはいえ、エドウィンもビアトリスもまだ十歳。
深い――――我ながら深すぎると思うほど深い愛情を伝え、真剣に受け取ってもらえるには、もう少し彼女の成長を待たなければならないと、エドウィンは思っていた。
幸いにして、ビアトリスは周囲の誰もが認めるエドウィンの婚約者だ。前世のように彼女を害しよういう者など一人もいない。
(急いては事をし損じる。俺は絶対彼女を逃がしてあげられないんだし)
万全を期すためには、慎重すぎるくらい慎重な方がいい。
エドウィンは、そう思っていた。
そんな彼の様子を見たベンジャミンは、頭を抱えてしまう。
「どうりで、お二人の熱量に差を感じるはずだ。一緒にいようと誘うのも、いつも殿下からばかりだし。おかしいと思っていたんですよね。……あ、でも手ぐらいは握っていますよね? エスコートのときみたいな形式的なものではなく、それ以外で、ですよ」
「……出会ったときに握った」
小さな声で答えるエドウィンの耳は、赤い。
見たことのない王子の姿に、ベンジャミンは驚愕した。
「へ? マジですか? あんなに惚れこんでいて、私のような者が、お側に近づくことさえ警戒しているのに?」
いまだにベンジャミンは、ビアトリスに紹介してもらっていない。それどころかエドウィンは、彼女の視界に自分以外の男を入れることさえ不快そうにしているのだ。たとえそれが、老人や赤子であっても。
こと婚約者に関してだけは、エドウィンの心は猫の額より狭かった。
「それほど嫉妬深いのに、ご自分から想いを伝えられないとか。……いったいどれほどヘタレなんですか? そんなことをしていると、今に嫌われてしまいますよ」
グサッ! グサッ! と、再びベンジャミンの言葉の剣がエドウィンの胸に突き刺さる。
「そんなことはない!」
「ありますよ。現に先日も、ムーアヘッド公爵令嬢から『将来婚約破棄されることになっても決してもいやがりませんよ!』と、遠回しに言われたと嘆いておられたじゃないですか」
グサッ! グサッ! グサッ!
三度突き刺さる幻覚が見えた。
忘れてしまいたい記憶だったのに。
「……お前、主に対して不遜じゃないか?」
「私に不遜にされるより、ムーアヘッド公爵令嬢に嫌われる方がおいやでしょう? だったら多少は我慢なさってください。私は次男ですが、兄の他に姉が三人、妹が一人います。女性の本音には詳しいですよ」
キーン伯爵家は、子だくさん。姉と妹に揉まれて育った次男坊は強かだ。
だからこそ、彼はエドウィンの従僕候補に選ばれたのかもしれなかった。
「…………わかった。どうすればいい?」
ベンジャミンは、ニンマリ笑う。
「ではまず、言葉と行動を惜しまないことが重要です。言わなくてもわかってくれるというのは、男の幻想だそうですから。プレゼントもいいですが、必ずそこに優しさと労りの気持ちを一筆加えて渡してください。雰囲気作りも大切です。女性に緊張を強いるなんてもってのほか。相手がリラックスできて心安らげる空間を作らなければなりませんからね。あと――――」
延々と続くベンジャミンの言葉に、目の回る思いのエドウィンだった。