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幼い頃、エドウィンの世界は色あせていた。
比喩ではない。文字通りの意味だ。
だからといって、色覚異常というわけではなかった。色の区別はきちんとできるし、見えにくいなんていうこともない。
ただ、その色に鮮やかさを感じられないだけ。
エドウィンの目にはすべての色は煤けて見えたのだ。
どんな色にも、彼の心は動かない。
最初、エドウィンの異常に、周囲の誰も気づけなかった。なにせ、彼の目は普通に見えていたのだから、仕方ない。
しかし、あまりに冷静で無感動な子どもに、大人たちは違和感を持ちはじめた。
結果、いろいろな調査をしてようやく異常が突き止められたのだ。
確証となったのは、エドウィンの描いた一枚の絵。幼児が描いたにしてはあまりに正確な風景画は、すべてくすんだ色でまとめられ、技術はあっても感動のない空虚な絵となった。
「この子に見えている世界が、こんなものだとしたら! あまりに哀れだわ!」
母である王妃は嘆き悲しみ、国王や忠臣、侍従たちも胸を詰まらせる。
もっとも、当のエドウィンだけは、事実をそのままに淡々と受け入れていた。
彼には、自分の病の原因がわかっていたからだ。
それは、エドウィンの持っている前世の記憶。前世で彼は、溺愛していた幼なじみを目の前で殺されてしまうというショッキングな事件に遭っていたのだ。
しかも、原因は彼自身なのだから、救いようがない。
前世の彼に心酔していた愚かな女性が嫉妬に狂い、彼の大切な幼なじみを刺し殺してしまったのだ。そうすることが、彼のためになるのだと信じて疑わずに。
その日から彼の心には、大きな穴が空いた。
世界のすべてが、彼にとって無意味なものになり果てたのだ。
本当は、死んでしまいたかった。
それほど彼は幼なじみを愛していたから。
――――幼なじみの名前は千愛。
物心もつかない子どもの頃から慈しみ、大切にしてきた、一歳年下の可愛い子だ。
はじめて見たときは赤ちゃんで、小さなその手で彼の指をギュッと握った。
その力強さが、彼が覚えている最初の記憶だったりする。
そればかりではなく、彼が思いだせる記憶のほとんどに、千愛がいた。
無邪気な笑みと彼に向けられる絶対の信頼。笑顔も泣き顔も、怒った顔でさえ最高に可愛くて、一緒にいるだけで心癒される存在は、彼女だけ。
守ってやりたいという庇護欲が、成長するに従って恋愛感情に変化したのは、彼の中ではごくごく自然なことだった。
彼の容姿のせいで迷惑をかけ、関係がギクシャクしたこともあったけど、大学を卒業し確固たる生活基盤を築いたら、正式にプロポーズするつもりでいた。
自分の人生に彼女がいないなんて、考えられなかったから。
――――なのに、そのすべてがあの一瞬で砕け散ったのだ。
千愛を喪った後、彼が死ななかった理由は、ただひとつ。彼女の両親が、彼に生きることを望んだからだ。愛娘を殺され、その原因となった彼を恨んでも当然なのに、彼らは『千愛の分まで長生きして』と言ってくれた。『きっと、千愛もそれを望んでいるから』とも。
……だから、彼はその後、ただただ生きたのだ。
大学を退学し、誰もが眉をひそめるような過酷な仕事に就き、働いて得たお金は、最低限の生活費を除いてすべて千愛の両親に送る。彼らからは『そんな必要はない』『そんなことをしてもらうために生きろと言ったわけではない』と叱られたが、無理やり受け取ってもらった。
そうしてもらえなければ、生きていけないのだと懇願して。
それでも、どうしても受け取ってもらえなかったときは、そのお金を犯罪被害者への寄付金に充てた。余分な金は、手元に一切残さない。
金銭はもちろん、喜びも悲しみも、彼の生には不要なものだったから。
ただ、生きるためにだけ生きる日々。
一心不乱に仕事をし、食べて寝るだけの人生が、その後どれだけ続いたか、彼は覚えていない。
未成年で初犯だったため死刑にならなかった幼なじみを殺した女性が、刑期を終えて出所し、彼の生き様を見て絶望して自殺したと聞いたから、何十年かは生きていたのだろうが――――。
そんな凄惨な前世を送った彼が、転生したからといって、まともな人間になれるはずがなかった。
(きっと、壊れているのは俺の目ではなく、心だ)
今も彼の心の隙間は埋まっていない。
千愛のいない生など、どんな世界であろうと意味がないし、輝いて見えるはずがないからだ。
周囲の嘆きをよそに、エドウィンは淡々と生きる。
この生もまた、前世のように生きるためにだけ生きればいいのだと思っていた。