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しかし――――。
校門近くの馬車停めから、入学式が行われる講堂までの距離はおよそ三百メートル。
どんなに遅く歩いても五分で着くような距離はあっという間で、気づけばビアトリスは、講堂で受付を済ませてしまっていた。
(え? え? え? ――――ちょっと! ヒロイン、どこいった?)
ここまでは一本道。エドウィンとビアトリスは、誰にも邪魔されることはなく、誰かにぶつかられることも誰かを転ばせることもなかった。
つまりヒロインは現れなかったのである。
(なんで? どうして? 強制イベントが起こらないなんて! ここは、乙女ゲームの世界じゃなかったの?)
頭の中は『?』マークだらけだ。
「ビアーテ、どうかしたのかい? 早く席に着こう」
王子であるエドウィンと彼の婚約者のビアトリスは、新入生代表で挨拶を行うことになっている。このため席が特別に用意されていて、そこに座るのだ。エドウィンは、きちんとそこまでビアトリスをエスコートしてくれようとしている。
「え、ええ。エドさま。……あ、でも、その――――」
式場内には、すでにほとんどの新入生が集まっていた。
エドウィンとビアトリスは注目の的で、この中で、まだヒロインがこないから席に座りたくないのだとは、言えるはずもない。
まあそれ以前に、式場に入っている段階で、これから出会いイベントが起こる要素もないのだが。
周囲を見回しても、大勢の新入生の中にヒロインらしき人物は見当たらなかった。
(たしか、ヒロインは金髪で青い目だったわ。ヒロインを乗せた馬車が遅れて、制服も受け取れず、場違いな町娘の服装をしているのよ)
そんな目立つ姿の女子生徒は、どこにもいない。
「誰か気になる人がいるのかい? でも、式がはじまってしまうからね。挨拶は後にしよう」
再びエドウィンに促されたビアトリスは、渋々とだが自分たちの席へと歩きだした。
仕方なく座って、何気なく入り口の方に視線を向ける。
「あ! あぁ~!」
とたん、思わず声がでた。
「ビアーテ?」
驚いたエドウィンが声をかけてくるが、それに返事をすることもできない。
ビアトリスの視線の先、式場入り口付近には、遅刻ギリギリでたった今駆けこんできた男子生徒と女子生徒がいる。
男子生徒は茶髪で茶色の目。どこにでもいそうな平凡な顔をしていた。
一方、女子生徒は金髪で青目。遠目でもハッとするほど可愛らしい顔をしている。
(ヒロインよ! ヒロインだわ。きちんと制服も着ているし、イベントも起こしていないけど……でも彼女はヒロインよ! このゲームに嵌まっていた私が見間違えるはずがないわ!)
ビアトリスには絶対の自信があった。
おかしいことだらけだが、ようやくヒロインが学園に現れたのだ。
しかし、ビアトリスが驚いたのはヒロインの登場だけが理由ではなかった。
それより、もっともっと衝撃的な事実がある。
(ヒロインと一緒に入ってきたあの平凡顔の男子生徒って――――)
急に声を出したビアトリスが気になったのだろう。彼女の視線を辿っていたエドウィンが、入り口に立つ二人を見て微かに眉をひそめた。
「あれは、ベンじゃないか? こんなギリギリの時間にくるとは、なにをしていたんだ?」
エドウィンが『ベン』と、愛称を呼ぶ人物。
茶髪茶目で、平凡な容姿の目立たない――――そう、まさしくモブキャラみたいなその男子。
(キ、キタ――ッ! モブ友人B! 私の理想! 愛しのモブキャラ、ベンさまよ!)
それは、間違いなくビアトリスが結婚したいと願うモブキャラだった。
バクバクバクと、心臓が鼓動を早める。
目の前――――というには、少し遠い距離だが、同じ式場内に憧れのモブキャラがいるのだ、無理もない。気分は、一般でいうところのアイドル歌手のコンサートにきたファンのごとし。
(ああ、私、推しキャラと同じ空気を吸っているわ!)
もう、それだけで天にも昇れそうなくらい感動していた。
本当なら、人目もなにも気にせずに、一直線に推しの元に駆けつけて、この感動の一欠片でも伝えたいところなのだが――――。
(絶対無理よね。そんなことをしたら、ベンさまに多大なご迷惑をかけてしまうわ)
なんと言っても、今はまだビアトリスは第一王子エドウィンの婚約者なのだ。迂闊な行為は慎まなければならない。
(それに、彼女よ! どうしてヒロインが、私のモブキャラ、ベンさまの近くにいるの?)
カッ! と目を見開いて注視していれば、ヒロインが彼に笑顔で話しかける様子が目に入った。
ビアトリスの尊い推しであるモブキャラが、なにがおかしかったのか、ヒロインに笑い返しながら何事かを話している。
(キィィィ―――ッ! 悔しいっ! 私の推しなのに!)
あらためて言うまでもないだろうが、ビアトリスは、同担拒否のモブ担だ。
今のこの状況は、彼女の神経を金たわしでゴシゴシとこすっているも同然のこと。
「ビアーテ、遅く入ってきた彼らが気になるのはわかるけれど、大丈夫、職員が案内してくれるはずだから。私たちは私たちの役目に集中しよう」
エドウィンから気遣わしそうに声をかけられたビアトリスは、なんとか視線を引き剥がした。
どうやらエドウィンは、ビアトリスがヒロインたちを心配していると思ったらしい。
「それに、ベン――――ベンジャミン・キーンは、ああ見えて私の側近候補だからね。こういった際の立ち回りは心得ている。心配いらないよ」
続けて教えてもらった情報に、ビアトリスはドキン! と胸を跳ねさせた。
ようやく知り得た憧れのモブキャラのフルネームに、感動する。
(ベンジャミンさま! ああ、なんてモブっぽいピッタリのお名前なのかしら!)
――――いや、それは、褒め言葉なのか?
まあともかく、今はそれで満足することにして、ビアトリスは前を向いた。
今から入学式なのだ。エドウィンの婚約者として無様な態度は見せられない。
(特にベンさまには、私の立派な挨拶をご覧いただかなくっちゃ! ……エドさまとヒロインとの邂逅イベントが起こらなかった理由と、ヒロインがベンさまと一緒に現れた理由は、この後徹底的に究明することにして、今は式に集中よ!)
心に言い聞かせながら、ビアトリスは入学式を乗り切った。