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レインは、元々は国に属さない傭兵だった。
戦争を渡り歩き、その中で大勢の人を殺して生計をたててきた。その後疲れ切って戦争のないエメロードに来て、職にあぶれて盗みをしようとしていた彼を見つけたのがマーカスだったのだ。
最初は彼を護衛として雇い、知識と教養を授けた。そして今の穏やかだが芯の強いレインが出来上がったのだ。
その経緯からマーカスはレインが、マーカスの人を育て許す精神をよく理解してくれていると思っていた。しかし、違ったのだ。
レイン自身が傭兵としての仕事であったとしても大勢の人を殺すという罪を犯していて、そんな自分が彼の重荷になりたくない、という考えがずっと根底にあった。
その為に、二課長代理として努めて冷静に振る舞い、セシアや他の後輩たちの指導に当たり、マーカスに迷惑を掛けないように、そして彼の役にたつようにと励んできたのだ。
そんな彼にとって、セシアの存在は爆弾そのもの。都合が悪いことに、マーカスとセシアは確かに愛し合っていて、秘密裏に過去のことを指摘した程度では隠蔽されて彼女との関係を続けることを選ぶ可能性があった。
勿論、レインとてマーカスが聖人君子だとは思っていない。清濁併せ持っているところも彼の美点だ。
けれどいつか、その愛によってセシアを選んだ所為でマーカスが誰かに責められるところを、レインが見たくなかったのだ。
その所為で、マーカスが自分を責めるかもしれないことを危惧したのだ。
その為、これまで噂をばら撒いたりと消極的ながら周知させようとしていたのだが結果は芳しくなく、レインとしてもこのやり方は上手くない、と自覚しつつもセリーヌの夜会での暴露、という方法を取らざるをえなかったのだ。
これならば、確かにセシアは逃げも隠れも出来ない。
マーカスの名誉も傷つくかもしれないが、レインがこちらで彼を引き留めておけば後で知らぬ存ぜぬを貫き通すことが出来る。
何せ、マーカスは既にジュリエットという罪人と婚約していた事実がある。二人目の婚約者も残念ながら軽犯罪を犯していたとして婚約破棄をすることは容易だろう。
セシアはその後法の裁きを受けたところで、また平民として暮らしていけばいいのだ。レインとてセシアの罪が死罪になるような大罪だとは考えていない。
けれど、罪を犯したものが王子妃になるのはまた話が違ってくる。
一生マーカスの弱点として存在することを、レインは許せなかった。
「……お前の言い分は分かった。そこをどけ」
「殿下、何も分かっておられません」
レインは扉の前で構えた。マーカスも拳を握る。
元々戦闘要員だったレインと戦って押し通れるかどうかは、分からない。だがこのまま状況を指を咥えて見ているつもりなかった。
マーカスはセシアと結婚する。セシアが戦うのならば、共に戦うのがパートナーの務めだ。
「俺は俺の望みを曲げない。民の為に尽くすし、愛する女のことも守る」
「その女は、誰か別の者でも構わないでしょう?他にも素晴らしい女性はいる筈です、あなたに相応しい、あなたの愛を得るのに相応しい女性が」
レインの言葉に、マーカスは思わず笑ってしまう。
「世界中を探しても、セシアの代わりなんて俺にはいない。人を愛するとはそういうことだろう?」
「殿下!こちらにいらっしゃいましたか」
そこにロイが慌てた様子で飛び込んで来て、さすがにレインも驚く。その隙をマーカスは見逃さず、拘束魔法をレインに掛けた。
「殿下……!!」
レインはマーカスを責めるように声を上げるが、彼は首を振ってロイの方を向く。
「ロイ、レインを見張っておけ」
「は、はい!?何が何やら……あの、マーカス殿下。これ……」
何が何だか分からないながらも、ロイの上司はマーカスだ。彼がそう言うのならば、ロイは拘束されたレインを見張るしかない。
それからロイが持って来たのは、レインの机の上にあった警備部からの報告書だった。ジュリエットの事件の際に、逃亡したセシアの身元を警備部が調べた結果である。
さすがというべきか、セシアがセリーヌに扮していた決定的な証拠こそ掴めてはいないようだったが調査の結果ほぼ全貌を把握しているかのような書き方だった。レインはこれを見て、休暇を取ってディアーヌ子爵の領地まで赴きセリーヌに接触したのだろう。
書類のページを捲り、マーカスは器用に片眉を吊り上げる。
「レイン、書類はこれで全てか?」
「は……?ええ、そうですが」
拘束されていても、レインの尊敬する上司もマーカスだ。彼は質問の意図が分からないながらも首肯する。
「警備部め。最後まで調べてから報告書を上げろ……いや、当時はセシアは平民の執行官だったから、ここまでしか上げなかったのか?」
ブツブツと呟きつつ、マーカスは書類をロイに返す。
「殿下?」
「……レイン、お前らしくもないな。少し焦っていたのか?自分で裏付け調査もしないなんて……」
マーカスがそう言うと、レインは怪訝な表情を浮かべた。
「何を……?まさか、警備部の調査内容が嘘だとでも?」
「いいや、これは正しい。だがこの調査結果を出した奴は途中までしか調べていない……まぁあの事件の際には仕方がなかったのかもしれないが」
確かにその通りで、この調査書は事件が終わってしばらくしてから事後報告の体で課長代理のレインに届いたものだったのだ。
マーカスは溜息をついて、扉に手を掛ける。
「レイン……事を起こす前に、俺に直接相談して欲しかった。俺ならばきちんと説明出来たし、こんな風に他の者を巻き込むこともなかったのに……」
残念そうにマーカスが言うと、レインも悲しそうな表情を浮かべた。
「……俺も出来れば、あなたを悲しませたくなかったんです」
「…………もっと俺を信じていて欲しかったな。お前の主は、恋に狂って事実を捻じ曲げたりしない」
「それは、そうかもしれませんが……」
レインの声はだんだんと小さくなっていく。彼自身も何度も自分に問いかけたのだろう。
その上で、セシアという不安要素を放置しておくことがどうしても出来なかったのだ。
「そして、その上で俺は愛する者を守る」
彼は意識してセシアが悪童のよう、と称する悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。この茶番が既に始まってしまい、セシアが舞台の上に無理やり登らされたのだとしたら、マーカスも馳せ参じるべきだろう。
「弱点をそのまま放置しておくと思うか?俺を見縊るな、レイン」




