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入浴を済ましようやく寝室に入ったセシアを出迎えたのは、ロザリーだった。
「……まだいたの」
「ご挨拶ですこと」
「違う……あなた、忙しいんでしょう?結婚式の手配とか……だから今日はもう帰っていいって夜会前に伝えておいたのに」
セシアは力なく首を横に振って、のろのろとソファに身を沈める。今日はもうクタクタだった。
その様子を見て、ロザリーはハーブティーを淹れる。
「わたくしはどこかの誰かさんと違って無計画ではないので、一日ぐらい準備が遅れても問題ありませんわ」
ツン、と言ってみせるが、やはり準備を止めてしまったのだ、とセシアは察する。
実はロザリーは、もうすぐ結婚する予定だった。
相手は王城に勤め始めてから知り合った、騎士団に籍を置く子爵家の長男。その隙のない人選もロザリーらしい、とセシアは聞いた時に思わず笑ってしまった。
令嬢としての箔をつける為に侍女として働き生家の伯爵家よりは家格は劣るもの、代々騎士を輩出している歴史を誇る子爵家の嫡男を射止めた手腕は見事としか言い様がない。
その為、元々仕えていた第一王女が他国へ留学する際に同行しなかったのだという。結果役目が空いていた所為でジュリエットの臨時侍女に抜擢されてしまったのは気の毒なことだったが。
ジュリエットがあんなことになり、今だ第一王女は留学中。再度役目が空いた為、令嬢としても侍女としても経験豊富な点を買われてセシアの侍女に抜擢されたのだ。
勿論ロザリーは結婚後は家庭に入る為、それまでの期間限定だ。
ロザリーはセシアの過去を知っているし、同い年なこともあって一度打ち解けてからは随分話しやすい存在だった。
二課の執行官としてならばさほど接点はなかったままだろうが、王子の婚約者となったセシアにとってロザリーはいい手本であり学ぶべきことの多い淑女だった。
そうして共に過ごす内に、何故あれほどまで在学時に目の敵にされていたのかも分かってきた。
セシアは、貴族の慣習や矜持をそれこそ無駄なもの、と断じていた。それが彼女達、貴族令嬢にはたまらなく気に障ったのだ。
無駄を省いて効率重視、どんどん新しいものを取り入れていき、それを是とするセシアの庶民的な考え方は伝統と暗黙の了解を守り続ける貴族とは相いれないものだった。
基本的な考えは変わらないセシアだが、この一年王城に仕官して曲がりなりにも貴族達と関わってきて、見えて来たものがある。
確かに効率重視は大切なことだが、省いた項目には人への気遣いや敬意があるのだ。目に見えない、文字に残らない理由が、たくさんあった。
一概に全てが無駄だと断じるのはセシアの方も物を知らず、彼らが大切に守ってきたものを無意識に踏みにじっていたのだと学んだのだ。勿論本当に無駄でしかないものも、あるのだが。
「随分大人しいわね」
「……疲れてるだけよ」
差し出されたハーブティーのカップを、礼を言ってセシアは受け取る。
仕事と結婚の準備で多忙なロザリーが、セシアの帰りを待っていてくれたのは当然心配してのことなのだろう。イジメっ子だったくせに、優しくて泣いてしまいそうだ。
向かいのソファに座り、ロザリーも自分の分のカップを傾けている。
僅かに茶器が擦れあう音だけが、静かな部屋に響く。
まだ自分の考えが纏まっておらず語る言葉を持たないセシアに、ロザリーの沈黙とハーブティーはとても有難かった。
翌日。
セシアは昨夜夜会だったので、と午前中のレッスンが休みだった。その為、気分を変えようと差し入れを携えて久しぶりに二課室を訪れていた。
ノックして部屋に入ると、部屋には書類がたくさん積まれていて忙しそうな雰囲気なのに人がいない。
「誰だ?お?カトリンじゃねぇか!久しぶりだな」
そこへ庭へと続く大窓から部屋へと入ってきたのはキースで、彼はセシアを見るなり破顔して歓迎してくれた。
「ご無沙汰しています、キース先輩」
「おうおう、えらく別嬪になって。殿下に大事にされてんだな」
嬉しそうに笑うキースに、セシアは肩から力が抜ける。いつものように親し気にくしゃくしゃとセシアの髪を撫ぜてから、キースは慌てて手を離した。
「やっべ、殿下に怒られるか?」
「何言ってるんですか、殿下はこんなことで怒りませんよ。むしろ髪をくしゃくしゃにした私自身に謝ってください」
実際マーカスはこの程度のことでは怒りはしないだろうけれど、恋する男の思考は繊細だ。キースは危ない橋は渡らないでおこう、とささっと彼女の髪を整えて一歩下がった。
その様子にセシアは唇を尖らせたが、すぐにここに来た目的を思い出して持参のバスケットを差し出す。
「差し入れです。すみません、ずっとこちらに来れなくて……」
「お、サンキュ。いや、気にしなくていいぞ、春に新人入ってきたし、そうそうあんな潜入捜査だのなんだのねぇから」
言って、キースはさっそくバスケットの中から焼き菓子を取り出して頬張る。彼は大酒飲みだが甘党でもあるのだ。
「新人!女子もいますか?」
「ああ、一人な。気のつよーい奴で、お前と気が合うかもな」
それを聞いて、セシアの表情が明るくなる。王子妃になるのならば、二課からは籍が抜けるのかもしれないが後輩女子の存在は嬉しい。




