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「……なに」


「いいえ。なんだか随分殊勝になったのね、わたくしに水をぶっ掛けてきた人と同一人物だなんて思えないわ」

「ロザリーこそ、口が悪くなってきてると思うけど」

「ああ、きっとあなたの悪影響ね」

「……性格が悪いのは元々だったわね」

 言って、セシアは顔を顰めたが、ロザリーはフン、と笑う。


 本当に珍しくセシアが疲弊している姿を晒しているのが、ロザリーには珍しかったのだ。今までの彼女ならば多少無理をしてでも、意地を張ってなんでもないことのように振る舞っていたのに。

 少しは気を許してくれているのかしら?とロザリーは考える。

 彼女から見ても、セシアは他の侍女やメイドの前では一挙手一投足に気を配っているのが分かる。まだそれを上手く隠せるほど慣れてはいないが、所作としては十分及第点だ。


 そんなことを考えている間に、セシアは大きく伸びをした。しなやかな背中、結われた黒髪のおくれ毛が白い項に落ちている。

「よしっ復活!ねぇ、聞いておきたいんだけど、さっきエラベル伯爵夫人からお菓子を勧められたじゃない?ああいう場合は……」

 と、すぐに先程の復習に入る。


 教本に載っているようなことは習得済だが、社交界ではあらゆることに暗黙の了解や条件によって答えが変わることばかりだ。地位の高い者ならば、大抵のことは許されるがセシアは今や国中の人から監視されている身。出来て当たり前、が要求されている。

 失敗は少ないに越したことはない。

 その為に、令嬢としても侍女としても経験を積んでいるロザリーが侍女に選ばれたのだ。アドバイスを惜しむつもりはない。

「さっきのやり方で正解よ。でもこうした方が相手に敬意が伝わるわね」

 ロザリーは空の茶器で実践して見せながら説明する。その様子をセシアが真剣に観察する様子は、母親の真似をする子供のようだ。


 かつて、ロザリーは彼女を虐めていた。

 しかし彼女が虐めていたのは“セリーヌ・ディアーヌ”であり、セシア・カトリンではない。セシア自身がそう主張している以上、セシアにロザリーが虐めの件で謝ることは出来ない。

 代わりに淑女教育への協力を存分に果たすことで、借りは返すつもりだった。ロザリーは誇り高い貴族令嬢なのだから。


「……うう、季節によって所作が微妙に変わるとかおかしくない?お茶を飲むだけよね」

「茶葉や茶器を季節によって変えたり、それによって提供の仕方や戴き方を合わせるのは持て成しの基本。相手への敬意よ」

 セシアの弱音に、ロザリーはぴしゃりと応える。

 実際のところ確かに細かく煩雑なものだとは改めて思うが、貴族に生まれた者は幼い頃からごく日常として行って来たことなのでさほど苦労する者はいない。

 セシアは今まで貴族としての生活を送ってこなかった為に難しく感じるのだ。こればっかりは慣れとしか言いようがなかった。


 何せ理屈で考えればおかしなことや無駄なことも多いのだ。慣例、の一言の元にそれが今も続いている。

 エメロードは近隣諸国に比べて自由でそういった慣例に対して寛容な面が強い。少し季節を先取りした演出をしても、粋だと称されることもある程だ。

 しかし、セシアが成るのはただの貴族夫人ではなく王子妃。慣習に厳しい他国の来賓を持て成すシーンもあるかもしれないのだ、最初にきちんと学んでおくべきだった。


「……でも、残ってきたものにはそれなりの理由があるわ。否定するよりも、まずは出来るようにならなくては」

「そうね」

 ロザリーの言葉に、セシアは頷いて再度茶器を持って所作に挑む。ぎこちなくはあるが、全ての動きをきちんとこなしていった。


 ロザリーは茶器がきちんとテーブルに戻ったのを見て、頷く。

「ええ、今ので問題ないわ」

「よかった!じゃあ次は……」

 ぱっ、と笑顔になったセシアが言うのを、ロザリーは止めた。

「男爵様。今日はここまでにしましょう、あまり詰め込んでも身にならないわ」

 そう言われて、確かに、とセシアは頷く。無理やり進めても、全て取りこぼして何も残らないのでは困る。


 そうして今度は実際にロザリーが淹れてくれた休憩用のお茶のカップを手にして、セシアはそれを一口飲んだ。

「はぁ……美味しい。さっきのガーデンパーティでは、お茶の味なんて分からなかったわ」

「あら勿体ない。あれは東国産の今年の初摘みのものだったのよ」

「えっと……最高級に指定されてるやつね。確かに香りは新しい葉の匂いだったけど……」

 感想が野生動物のようなセシアに、ロザリーは呆れる。勘は間違っていないので、逆に頼もしいのかもしれない、と誤魔化しているところにノックの音がした。


 ロザリーが出迎えると、部屋と廊下の間の控えの間にいるメイドが取り次ぎをする。

「男爵様、マーカス殿下がまもなくいらっしゃるとのことです」

「あ、はい。分かりました」

 いちいち取り次ぎが来ることに、セシアはまだ慣れない。

 マーカスは二課にも訓練場にもいつもひょっこり現れたし、会いたいと思うよりも前に彼はいつもセシアに会いに来てくれていた。


 メイド達がささっと新しいお茶の準備や、セシアの身繕いを手早く整える。まるで彼を待ち侘びているかのように見えないだろうか?と少し照れ臭かった。



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