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グウィルトから謝罪と賠償が支払われると、ジュリエットは早々に帰国の途に就くこととなった。
まだ残務処理のある本物のペック伯爵は、王女を見送りに港まで来ていた。
よく晴れた、風の穏やかな出航日和である。あちこちで船員が忙しく立ち働いていて、護送に来た兵士以外に大罪人であるジュリエットに注意を払う者はいなかった。
「ご苦労だったわね、ガーラン子爵」
ジュリエットが嫌味たっぷりに言うと、ガーラン子爵と呼ばれた“本物のペック伯爵”は口元に人差し指を当てて笑う。
「殿下、此度のツケは高く付きますよ」
「……わたくしにそんな物言いをするなんて、偉くなったものね、ガーラン子爵」
忌々し気にジュリエットは唇を歪める。彼女は拘束こそされていないが、罪人としてエメロードからグウィルトに引き渡されるので、服装も質素なドレスであり帰国の船も王女が乗っているとは思えない程質素なものだ。
ペック伯爵を名乗っていた男は国賓でもなく、勝手に外交官を名乗っていた罪人だったとしてグウィルトに返還されることはなくエメロードの地下牢獄に繋がれている。必要な情報を聞き出し刑が確定するまではそのままだが、王子を二人も誘拐しておいて生き永らえることが出来るほどエメロード司法は甘くない。
ジュリエットの棘のある物言いにも、本物のペック伯爵が微笑みながら黙っていると彼女は少し気まずげに眉を顰めた。
「……でもそうね、まずは国王陛下に話す問題点と改善点の話を纏めなくては」
フン、と鼻を鳴らして彼女が言うと、そこでペック伯爵はようやく口を開いた。
「弁明の機会があるといいですねぇ」
「この……っ!子爵風情が、わたくしに向かって偉そうな口を聞いて後で後悔しても遅いわよ」
カッとなったジュリエットがそう鋭く叱責するが、彼はちっとも揺らがない。それどころか、ニヤリと笑ってジュリエットを蔑むように見た。
「殿下の方こそ、口を慎まれますよう。私は陛下から正式に授爵した、正真正銘のグウィルト外交官・ペック伯爵なのですから」
「!!……では、今エメロードに捕まっている彼は……」
「伯爵の名を騙った、ただの罪人ですねぇ」
その罪人を連れて来たジュリエットも。という言葉の外に秘められた意味に、彼女は青褪めた。
既にこの男がグウィルトを出る前に“ペック伯爵”として授爵していたということは、グウィルト国王は元ペック伯爵であった男を見限った、ということ。
ではいくら実の娘だからといって、国に大きな損害を与えた罪人の王女を、あの冷酷な王がまだ必要としているだろうか?
「……ヒッ」
ハッとして護送してきたエメロードの兵に向かって叫ぼうとしたジュリエットは、グウィルト側の兵に丁重かつ強引に船に乗せられる。ガタガタと震える彼女にはいつもの冷静さがない。
常の彼女ならば、自分が今乗り込んでいる船に乗る船員が異常に少ないことや、自分の宝飾など価値のある荷物が一緒に乗せられていないことに気付けた筈だった。罪人とはいえ、何故ここまで質素な船に乗せられているのかを。
「それでは殿下、よい旅路を」
にっこりと微笑んで、ペック伯爵はジュリエットの出航をいつまでも見送っていた。
後日エメロードには、ジュリエットと少数の供を乗せた船はグウィルト領海に入ってしばらくして嵐に見舞われ座礁した、という報せが届いた。
よく晴れた、穏やかな日の出航であったにも関わらず。
面会を申し込まれた時間にマーカスが訓練場に行くと、セシアは一人椅子に座って道具の手入れをしていた。訓練用の刃を潰した剣や棒術用の棍など最近ではマーカスよりもセシアの方がここを使用している時間が長く、彼の記憶よりもかなり使い込まれている。
マーカスに気付くと、彼女は慌てて立ち上がって礼をとった。
「お時間いただいてありがとうございます」
「ああ」
「その……ジュリエットや…………アニタさんのことを聞きたくて」
ジュリエットが海難事故で亡くなった報はエメロード国内でもさまざな憶測を呼んでいたが、事はグウィルト領海で起きていて当然真実は知ることが出来ない。皆それぞれに思うことはあったが、当のジュリエットの口から聞き出す機会は永遠に失われてしまったのだ。
アニタは現在も警備部の取り調べを受けていて、一時的に二課と協力関係にあったと言っても警備部がおいそれと教えてくれるものではない。素直に供述している、とだけ知らされていて彼女が今どんな様子でいるかまではセシアに知る術はなかった。
「ああ……警備部の聴取にはとても協力的で、彼女の部屋から見つかった証拠についても詳しく話しているようだ」
そう。ジュリエットは決定的な証拠をエメロードに何も持ち込んでいなかったが、アニタの方はまるできちんと保管していたかように部屋に隠し持っていたのだ。
マーカスが警備部の協力をスムーズに得ることが出来、港でもグウィルトの船をあれだけの大人数を招聘して追い詰めることが出来たのは、アニタの保管していた証拠のおかげだった。グウィルトからの使者が来るまで黙秘を続けていたジュリエットと違い、アニタは聞かれたことには淀みなく答え、今やジュリエットの計画の全貌は把握されつつある。
「…………私にはまだ、何も割り切ることが出来ません」
セシアの言葉に、マーカスは頷く。
精査する必要もないほど整頓された証拠の数々は彼女のエメロードでの五年を記録していて、簡単には言葉に出来ない様々な感情が込められているようにマーカスには感じられた。
ジュリエットへの恩義、エメロードでの自由、メイヴィスとの信頼関係。仕事を誠実にこなせばこなすだけ返ってくる、やり甲斐と喜び。
ジュリエットに救われたことは本当だが、アニタの中でエメロードでの日々は確かに幸せだったのだ。
だから彼女は、最後にジュリエットから囮として残ることを命じられてそれを引き受け、一方で部屋にあれだけの証拠を残していた。割り切れることの出来ない愛惜が、そこにはあった。
「……アクトン侯爵令嬢を見つけることになった、あの夜会の招待状はメイから紹介されたものだった。あれも今思えば、アニタが誘導していたのだろうな」
「…………いつだったか二人で話していた時……アニタさん、ジュリエットのことを”姫様”て呼んだんです」
唇を噛む。声を出すと、泣いてしまいそうだった。
アニタは、メイヴィスを誘拐したりエイミーを薬漬けにしたり、ロナルドを殺そうとした女の手先だ。
ずっと、嘘を吐かれていたのに。
「でも、別の時にメイ様のことも、そう呼んでた……」
彼女が言葉の合間に吐息をつくと、ぽろりと涙が零れた。マーカスが黙ってセシアを抱き寄せる。
ジュリエットはいなくなり、黙秘を続ける元ペック伯爵はグウィルト側からかの国とは関係のない男だと正式に回答を得ていた。グウィルトが賠償を支払った以上、捜査にはアニタの残した証拠で十分であり彼女の聴取がすべて終われば、彼女の刑は執行される。
素直に聴取に応じていることと、彼女の証拠が捜査の決め手になったことを鑑みて死刑執行人による処刑ではなく、毒杯を賜る温情が掛けられた。
それを聞いて、セシアは静かに泣き続けた。なかったことには出来ない、助けられるとは思っていない。
けれど今はただ、友人を失う悲しさに泣いていたかった。




