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「メイ、一人で来たのか?こんな端まで」
二課室は資料室なので、城の端に当たる。
勿論王女である彼女を害する者が、このエメロードの城内にいるとは思いたくないが今は他国から来賓も多く訪れている。まして今はこんな事態であり、危険だ。
「お兄様。今が緊急事態なのはわたくしにも分かりますわ、議会を招集しましたでしょう?セシアがジュリエット様を襲ったことを話し合うには随分と大掛かりですこと」
メイヴィスは真っ直ぐ兄を見上げる。
彼女は、マーカスに向かって包みを差し出した。
クリスがそれを受け取り皆の前で開く。中にはごく普通のポットが入っていて、それを見た者は首を傾げた。
「殿下、これは一体……」
レインが不思議そうに訊ねながらポットに触れようとすると、メイヴィスの鋭い声が飛ぶ。
「触ってはダメ!」
ピタリ、とレインの手が止まった。それを見て、マーカスはピンと来る。
「……ジュリエットが襲われた際に使われたポットか」
「はい」
メイヴィスが真剣な表情で頷くと、今度はキースが驚いて口を開いた。
「割れたのでは?」
「セシアがバルコニーから飛び降りる前に巻き戻しの魔法を掛けていったの。……高等魔法でも外から放てば室内に魔法を掛けられるなんて、警備の穴だわ」
メイヴィスは王女らしい難しい顔でそう言い、首を横に振る。
あの時。セシアがバルコニーから飛び降りる直前に、室内に向かって放った魔法は巻き戻しのそれだった。
「それにしても、凶器のポットの破片がなくなっていては怪しまれたでしょう。よく持ち出せましたね」
レインの言葉に、メイヴィスは申し訳なさそうに視線を下げた。
「……咄嗟にセットになっている他のカップ達をテーブルクロスごと落として割ったの。捜査の邪魔をしてしまった罰は後で……真相が明らかになってからきちんと受けるわ」
「殿下……」
皆の視線は、メイヴィスを咎めているのではなく、何故彼女がそこまでするのかを疑問に思ってのものだった。ポットが元に戻っていれば護衛の者が捜査担当者に渡してくれただろう、わざわざ王女であるメイヴィスが証拠品を持ち出す理由はない。
メイヴィスの真っ直ぐな視線が、黙ったままの兄を真っ直ぐに見据える。
そうすると、兄妹はあまりによく似ていた。
「わたくしは真実が知りたいのですわ、お兄様」
「……知ることで、お前が傷ついてもか?」
マーカスの声は、怒りを抑えているかのような響きがあった。彼は、妹が傷つくことを悔しく感じているのだ。
しかしメイヴィスは毅然として頷いた。
「わたくしはこの国の王女です。今、この国に起こっていることを知る義務があります」
痛ましそうに目を細める兄の手を、嫋やかで小さな手が握る。この手を、この小さな妹を守るのが兄の務めだとマーカスはずっと思っていた。
だが、今、彼女のなんと強いことだろう。
「大丈夫ですわ、お兄様。お兄様が今まで大切に守ってきてくださったから、わたくしは強くなれたのですもの」
握られた手は、温かい。マーカスは妹の、自分と同じ色の瞳を見つめて心を決めた。
「ロイ、痕跡を辿ってくれ」
「了解しました」
すぐに進み出たロイが、クリスの持つポットに手を翳す。
実はロイは、辺境伯の子息で類稀な魔法の才能を持っている天才だ。
セシア同様、マーカスがスカウトしてきた人材で、明らかに小柄な体躯ながら経理監査部二課に所属しているのは、魔法の能力を買われたからだった。ロナルドに扮していた魔道具を見抜き、擬態を解いたのも彼だ。
古今東西あらゆる魔法に関する知識欲を有し、給料はすべて王都の専門書を取り扱う本屋につぎ込む魔法オタク。おかげで、彼を地位ある辺境伯子息だと気づく令嬢などは稀だった。
ちなみにセシアの魔法の師匠でもあり、彼女が妙に高等魔法に詳しいのは彼の趣味だ。
魔法の出力調整が抜群に上手いセシアに高等魔法のコツを教えて、さして魔力の多くない者でも高等魔法が使いこなすことが出来ることを証明し、ロイは論文まで書いていた。
やがて金の粒子がポットの持ち手に集まり、そこに最後に触れた者の手が痕跡として浮かび上がる。それに、既に用意しておいたジュリエットの手の痕跡を重ね合わせるとぴったりと一致した。
「ロイ」
レインの呼び掛けに、ロイは頷く。
「ジュリエット王女の痕跡と一致しました。このポットを最後に持ったのはジュリエット王女です!」
ロイが断言すると、場の空気が緊張しメイヴィスが口元を手で覆う。
しかし、フェリクスは眉を顰めた。
「でも、これってセシアじゃなくジュリエット王女がポットに最後に触った、と言う証明が出来ただけだろ?セシアの無実を証明するには弱くないか」
「馬鹿、これで証明したかったのはセシアが嘘をついていなかった、ということだけだ」
キースが恐ろしい程暗く真面目な顔で言う。危機にあっても、いつも飄々とした姿勢を崩さない彼の珍しい姿にフェリクスはギクリとする。
「……それって」
フェリクスは、蒼ざめて口元に手を当てたまま固まるメイヴィスを気遣わしげに見遣った。
「誰が嘘をついているのか、これでハッキリしましたわね」
彼女の唇が絶望に慄く。
ポットをマーカスに提出した時点で、覚悟をしていたのだろう。メイヴィスの翡翠色の瞳は潤んでいたが、涙を流すまいと耐えていた。
「ジュリエット様がわざとポットを落としたのならば、セシアが何もしていない、と言うのが真実。あの場にいた者で嘘をついていたのはジュリエット様ともう一人、彼女の証言を裏付ける証言をした….」
「アニタ。わたくしの侍女長….」
そこで、耐えきれなかった涙が一粒、ぽろりと床に落ちた。
マーカスが黙ってメイヴィスを抱き寄せると、静かに啜り泣く声が部屋に停滞した。
メイヴィスは、マーカスや二課が追っている内容を正確には知らない。ジュリエットが、自分を誘拐した組織の黒幕だとは知らない。
だが、アニタがセシアを陥れたことだけは分かった。それがとても悲しかったのだ。
しばらくして、泣き止んだメイヴィスは二課の面々に向かってこう願った。
「どうか、真実を明らかにして。それが、アニタを救うことになると思うの」
彼女の言葉にレインは眉を寄せたが、マーカスは頷いた。
クリスがメイヴィスを部屋の隅のソファに導き、温かいお茶を淹れる。少し離れた打合せ用のテーブルを囲んで、二課の面々は再び顔を突き合わせた。
「アニタさんが……確かに王女の侍女長ならば、ある程度の情報は手に入りますね」
ロイは悲しそうにそう呟く。彼自身は直接アニタとの関わりはなかったが、セシアの淑女教育の基礎を教えたのは彼女だ。
同じくセシアにものを教える身として、一方的に親近感を持っていた。
「だが彼女がグウィルトの王女に情報を渡すメリットはなんなんだ?」
フェリクスが言うと、他の面々も首を捻る。
今まで内通者は、国内の有力者でありグウィルトに情報を渡すことによって利益を得る立場の者にばかり目を向けていた。アニタの立場は、言われてみれば確かに内通者に適任かもしれないが、動機が浮かばない。
「とはいえ、これからどうします」
キースが言うと、レインがマーカスを見る。
「……秘密裏にアニタを拘束して、話を聞きましょうか」
この場合、アニタを拷問に掛けると彼は言っているのだ。フェリクスとロイが青褪めるが、レインは涼しい顔をしている。
彼はマーカスに忠誠を捧げている元傭兵で、マーカスの為ならば手段を選ばない。
しかしマーカスは首を横に振った。
「アニタが内通者であることに我々に気づいたとジュリエットが知れば、早々にグウィルトに帰国してしまうだろう。彼女は王の名代で来ている体だが、使節団には外交官も抜かりなく連れてきていたので、体調が悪くなっただのなんだのと言われて仕舞えば、こちらに引き止める手段はない」
そう、ジュリエットを捕まえるチャンスは彼女がエメロードにいる今の間だけ。
国外に逃げられてしまっては、これまでの犯罪組織の頭目達同様、否、それ以上に外国の王女である彼女を捕らえる機会は永遠に失われてしまう。
「殿下、それでは我々はどうすれば….」
フェリクスが悔しそうに言うが、むしろマーカスには光明が見えていた。
「ジュリエットは用心深く、用意周到。此度のエメロード訪問に際して自分が犯罪組織の黒幕である証拠は一切持ってきていないだろう」
上司が何を言い始めたのか推し量りつつ、他の面々は頷く。
「だが、ずっとこの国にいるアニタの方はどうだ?」
皆ハッ、と顔を上げた。
「アニタはずっとエメロード国内にいた、そして城内の動向を探り犯罪組織にその情報を流していた。……その証拠を見つけられないとは言わせない」
マーカスがハッキリと言うと、皆首を垂れた。
「御意」




