42
夜。
なんだかんだでようやく一日が終わりに近づき、セシアが雑用メイドとしてジュリエットの傍に侍る今日の時間が終わろうとしていた。
他のメイド達と共に部屋の隅で水や湯を準備しながら、セシアはチラリと鏡台の前に座るジュリエットの髪を侍女が梳いているのを眺める。
この後ジュリエットは入浴する為、その準備をしているのだ。
櫛を手に、ジュリエットの金の髪を梳くのはロザリーだ。
ジュリエットの連れて来た侍女はほんの些細な雑用もしないどころか、エメロード側が寄越したメイド達に自分達の世話もさせる始末だ。主人が主人ならば、部下も部下。揃って評判は悪い。
そんな侍女達が、ニヤニヤと笑っているのに気付いてセシアは不思議に思う。
主人に嫌なところばかりそっくりなグウィルトの侍女達は、主人の権力を笠に着てエメロード側の侍女やメイドに偉そうに振る舞っていて、ジュリエットもそれを容認していた。けれど、今この時、何か彼女達の嗜虐心を煽るような出来事があっただろうか。
気をつけて見ていると、ロザリーの持つ櫛がジュリエットの髪に引っかかる。ぴん、と伸びた金の髪に、ジュリエットは怒鳴り声を上げた。
「痛いわね!お前、髪を梳くことも出来ないの!?」
「申し訳ありません!」
ロザリーはすぐに謝ったが、ジュリエットは何がそんなに腹が立つのか、ロザリーの手を弾き彼女の体を押して床に転ばせる。
「きゃ!?」
そんな乱暴な扱いは受けたことがないのだろう、ロザリーは驚いて目を丸くし、恐怖の表情を浮かべた。
「本当に、エメロードから派遣された使用人達は使えない者が多いわね。お前といい、あの女といい」
ひょっとして私のことかしら、などと暢気に考えつつ、セシアは手を動かす。
落ちて転がってきた櫛を拾うと、それには細工がしてあって必ず髪にひっかかるように出来ていた。
こんな小細工をしてまで積極的にロザリーを陥れようとするのは、どうやら彼女が優秀な為グウィルト側の侍女は気に入らなかったようだ。仕事もせずに嫌がらせに勤しむなんて、給料泥棒め。
比較的役にたつ、と思っていたロザリーの失敗がジュリエットからしても大層気に入らず、他の者に対してよりもキツい癇癪になったのだ。期待されていないセシアならば、この程度の失敗は恐らく罵倒で済むだろう。
「ジュリエット様、申し訳ありません……!」
「許されるわけがないわ」
「そうよ、殿下の御髪を傷つけたのよ?」
床に膝をついたまま、ロザリーは許しを乞う。しかしグウィルト側の侍女がここぞとばかりに言い募る。
部下がそんな風に言うものだから、ジュリエットとしてもキツい罰を与えて面目を保つ必要が出来てしまった。なんという悪循環だろう、櫛が髪に引っかかった程度だというのに。
「そうね。賓客であるわたくしの髪を傷つけたのだもの。鞭打ちぐらいの罰が相当かしら」
ひゅっ、とセシアは悲鳴にならない声を上げる。
幸い誰にも聞きとがめられなかったが、あまりのことに信じられない思いで彼女達を見た。言いがかりもいいところだ。
こんな下らないことで、伯爵令嬢を鞭で打とうと言うのか。やり過ぎである。
セシアが細工された櫛を見せても、グウィルト側の者は誰もこれを認めないだろう。
「ど、どうかお許しください……!」
平身低頭の体で謝罪するロザリーに、セシアは思わず湯の温度を調節する為に準備していた水の桶を掴んだ。
浅慮はするな、と脳内でレインが渋い顔をしているが、今ここでクビになったとしても、この展開を見て見ぬフリをするよりはマシだと思った。
まったく、自分はどれほど訓練しても根っこは変わらない、とセシアは内心で自分に呆れる。一応、クビにならない考えがあるのが、以前よりは成長した点だろうか。
桶の縁をしっかりと掴んだセシアは、綺麗な一投で中身の水をロザリーにぶっ掛けた。
「!!???」
「きゃあっ!」
ばしゃんっ、と水を掛けられたロザリーは驚いて硬直し、床に座り込んだまま呆然とセシアを見上げて来た。
魔法を使って、ジュリエットやグウィルトの侍女には一滴も水が掛からないように操作したセシアは、桶を片手に素早くロザリーに目配せをする。
こんな時だけ素早く動いた給料泥棒の侍女が乗馬用のやけにデコラティブな鞭を持ってきていて、それを手にしたジュリエットは水浸しの床とロザリーを見て、さすがに驚く。
「ちょっと何するのよ、馬鹿メイド!」
それでも、すぐに意識を立て直した彼女は、セシアを怒鳴りつけた。
もはやお馴染みの罵声を受けて、セシアはさっ、と礼を取る。
「申し訳ありません、ジュリエット様。風邪を召されてはいけません、ちょうど湯の用意も整いましたのでどうぞ風呂場にご案内します」
「水なんて掛かってないわよ。わたくしが言っているのは、何馬鹿なことをしているの馬鹿、ということよ」
イライラとジュリエットが鞭をしならせる。
あんなもので人を叩こうとするなんて、過ぎた暴力以外の何ものでもない。家畜のように人を扱うことも、セシアは絶対に許せなかった。
「申し訳ありません。ロザリーがジュリエット様に無礼を働きましたので、反省を促す為に水を掛けました」
「……お前、頭がおかしいのではなくて?」
ジュリエットは眉を寄せる。
お前にだけは言われたくない、と思いつつ、セシアは頭を下げたまま言葉を重ねた。
「ロザリーはエメロードの侍女。ジュリエット様のお手を煩わせることよりも、エメロード側の私が速やかに罰を与えるべきだと判断しました」
目には目を、歯には歯を。狂人には狂人を。
セシアはジュリエット達の行き過ぎた行為よりも率先してロザリーに水を掛けることで、彼女達よりももっと狂った行為をする人間だということを見せつけたのだ。
高級な絨毯の敷かれた貴賓室は水でびしょびしょ。ロザリーはぐっしょりと水を浴びて濡れている。
セシアの傍にはまだ水の入った桶がいくつかあり、これ以上部屋を水浸しにされても煩わしい、とジュリエットは考えた。
セシアのような頭のおかしな女に、理屈が通用しないだろう、とも。
「……いいでしょう。ロザリー、反省したのならば二度とわたくしの体を傷つけないことね。次はお前の命で贖わせるわ」
「は、はい。申し訳ありませんでした……」
春先とはいえ、まだ水を被るには寒い時期だ。ロザリーは恐怖と寒さに震えて、頭を下げた。
そのみすぼらしい姿に留飲を下げたジュリエットは、部屋自身が冷えてしまったので急いで風呂場に向かう。
「セシア!勝手なことをした罰は後で追って沙汰するわ。今はこの部屋をわたくしがお風呂から上がる前に元に戻しておきなさい!」
最後に勿論、セシアにも罰を与えて。




