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「選ぶのはセシアじゃないか?」
ロバートがそう言ったところで、水場からセシアが戻ってきた。
「ロバート卿、片付けまでしていただいて申し訳ありません……!」
訓練場が片付いていることを見て彼女が駆け寄ってきたところで、マーカスの存在に気付いて驚いて脚を止める。
「……殿下」
さっ、と臣下の礼をとったセシアのつむじを眺めて、マーカスは僅かに微笑む。
二人を交互に見遣ったロバートは肩を竦めた。
「セシア、私は先に出るがお前はクールダウンしてから戻りなさい。マーカス殿下、この子が無茶をしないように見張っておいてくださいますかな」
真面目な顔をしてそう言ってのけたロバートに、マーカスが鷹揚に頷く。
「承知した」
「ロバート卿!無茶などしません、殿下のお時間を割いていただくわけには……」
セシアが慌てて言い募ろうとするが、マーカスが先に返事をしてしまったので言葉が宙に浮いてしまった。
簡単に挨拶をして、ロバートは本当に訓練場を出て行ってしまう。後に残されたセシアは、居心地悪い気分で地面に視線を落とした。
仕事や訓練に没頭している時は心の隅に凝っている感情が、マーカスに会った途端に大きく膨らんでしまう。
マーカスに恋をしたところで、どうなるものでもないのだ。
彼はあのジュリエットと結婚することがもう決まっているし、そうでなかったとしてもド平民のセシアに万が一にも恋が成就する機会など来ない。
自覚のない頃ならば、もっとフラットな気持ちでマーカスと話しが出来ていたが今は少し気まずい。
「……そういえば、お前まだ屋敷を決めていないだろう」
「あ」
「忘れてたのか……クリスが手続きを進められない、と困っていたぞ」
「だって、家って平民の住む2部屋とかの家だと思ってたんですよ……庭とかちょっとあったら嬉しいな、ぐらいの……あれは家じゃないです、お屋敷です」
セシアは困った表情を浮かべてマーカスに言った。
クリスがピックアップしてくれた、現在王城が様々な理由で所有している王都の屋敷は、どれも元は貴族が住んでいたものばかりで、一番小さなものでも例えるならば、総二階建て5LLDDKK、ぐらいの規模だった。
セシアには過ぎたものだ。
「あんなの貰っても困ります……」
「王女を助けた褒賞に、アパートの一室をやるわけにもいかんだろう……」
マーカスは首を捻る。使わないのならば、一度受け取った後に売買の手続きまでクリスに任せられることを告げると、ようやくセシアは選ぼうという姿勢を見せ始めた。
「もう一年近く経つからな、早く決めろよ」
「うう……押し付けてくるのも間違ってると思います」
「褒賞といえば、後が閊えているぞ。アクトン侯爵が是非お前に礼をしたいと、頻繁に申請がくるんだ」
「あくとんこうしゃく」
ぽつりと呟いたセシアに、マーカスは呆れた表情を浮かべる。
「まさか忘れてるのか?お前の浅慮で結果的に助かった、エイミー・アクトン侯爵令嬢の親だよ」
「忘れてませんよ!失礼な!……そうじゃなくて、侯爵にお礼をされるほどのことをしたかな、て不思議だっただけです」
慌ててセシアが反論すると、どうだか、と疑うように彼はセシアの瞳を覗き込む。そういう仕草は、やめてほしい。
「侯爵は奥方に先立たれてから、末子である一人娘のエミリー嬢を溺愛していたんだ。それこそ我儘三昧に甘やかして、社交界で評判が悪くなってしまうぐらいにな」
確かに、以前潜入先の夜会で聞いたエイミーの噂は、あまり芳しくなかった。それでも第二王子の婚約者候補だったというのだから、確かにアクトン侯爵は娘を溺愛し、なんとしてでも彼女の地位を押し上げてやりたかったようだ。
「先の一件以来、エイミー嬢は薬を抜く為に療養院に入っているし、アクトン侯爵もそろそろ長男に家督を譲って、娘のいる院の近くに移り住む予定なんだと」
「……エイミー様は、容体は?」
「あまり良くないな。無理矢理摂取させられていた所為だろう。……だが国としても最大限治療を進めている」
楽観視出来ないマーカスの言葉に、セシアは顔を伏せた。あの時、もっと早く踏み込んでいれば。
過去に巻き戻ることはないし、そもそもあのタイミングよりも早くエイミーを助ける機会なんてなかったというのに、セシアはついつい考えてしまうのだ。
こうした後悔の積み重ねが、彼女を訓練へと駆り立てる。あの場にいたのが、マーカスならきっともっと良い方向に事態は動いていた筈だ。
マーカスになることは不可能だが、彼の半分でも、その更に半分でもいいから、出来ることを増やしたかった。
「おい」
ぺちん、と額を叩かれて、セシアはハッと顔を上げた。マーカスは僅かに苦く笑う。
「あのまま一旦引いていたら、エイミー嬢は今頃どうなっていたか分からん。少なくとも、今より悪い状況になっていた筈だ」
マーカスの言葉は、大海の中で寄る辺なく佇む小舟のようなセシアの心に、そっと道を示してくれる。
「出来なかったことを悔やむのは大切なことだが、出来たことを誇りに思うこともまた、大切なことだぞ」
「はい……」
「それがいつか、お前を支える礎になるんだからな」
ぽん、と頭を撫でられて、セシアは自分はまだまだだ、と感じる。
マーカスはきっと、セシアよりももっと悔しい気持ちを味わってきたのだろう。
たった2歳年上なだけなのに、マーカスが焦っているところをセシアは見たことがない。
恋をしているけれど、きっと恋をしていなくても、セシアはマーカスの役にたちたかった。




