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それから時間が経ち、お腹が膨れてほどほどに酔ったセシアのことは、クリスに寮まで送らせることにした。
「マ……マリア、さん、は……どうなさるんですか」
クリスがもごもごと言い難そうに、マリアに訊ねる。
そんな真面目な彼を見て、ちょっと笑ったマリアは白い指先で続く路地をひらりと指した。
「せっかく城下に来たんだし、少し酔い醒ましに歩いてから帰るわ。ちゃんと馬車を拾うから平気よ」
マーカスは魔術師としてかなりの腕を持っているが、勿論体の方も鍛えている。
そして王子のお忍びなので、当然目に付かない位置に複数の護衛が付いているのだ。
クリスは護身術程度なら出来るが、職は執事なのでハッキリ言って荒事には役立たずだ。
手配した帰りの馬車で、主の大切な友人を連れて帰るのが最適解だろう。
「分かりました、明日も定刻に執務室でお待ちしています」
「……セシアをお願いね。可愛いからって襲っちゃ駄目よ、オニイチャン」
「襲いませんよ!」
「……酔ってても後れは取らないわよぉ……」
馬車の座席に埋もれながら、セシアが路地で喋る二人を睨みつけた。
口は悪いが、頬を酒精に赤らめてうだうだしている姿は年相応に可愛らしいものがある。
マリアはルージュの引かれて薄い唇を吊り上げて微笑むと、半身だけ馬車に入った。ふ、と頭上に影が出来て、セシアは不思議そうに顔を上げる。
「マリア?」
「おやすみ、セシア。今日は楽しかったわ」
ちゅっ!と音を立てて手の甲にキスをされて、セシアの頬が酔いの所為ではなく紅潮した。
「あんたねぇ……」
じろっとセシアはマリアを睨んだが、そんなことで怯んでくれる相手ではない。
「お仕事頑張ってね、また遊びましょう」
にこにこと微笑んでひらりと手を振られてしまっては、セシアの方だって別れ際に文句で終わりたくない。彼女は渋々唇を歪ませると、無理矢理笑ってみせた。
「今日はご馳走様。今度は東地方の郷土料理のお店がいいわ!」
堂々とたかるようなことを言うが、これは素直になれない彼女からの“またね”の合図だ。
マリアは柔らかく微笑んで、
「探しておくわ」
そう答えた。
クリスにもう一度きちんと頼んで、マリアが見送る中、馬車は王城の方向へと走り出す。
時刻は深夜というにはまだ早い時間、平日の夜であっても大通りにはあちこちの店から漏れる灯りと酔漢の賑やかな声が届く。
「少し回る」
マリアがそう呟くと、かすかに動く気配がした。陰に隠れている、護衛の者だ。
動きやすい、踵の低い靴を履いた細い脚が人目の多い路地を歩き出す。
賑やかな大通りは、一歩路地を外れてしまえば途端に暗く静かになる。マリアはあちこち店を見て回るようにふらふらと歩いていった。
が、いくらも行かない内に途中の細い路地から腕が伸びてきて、突然連れ込まれる。
「きゃっ!」
わざとらしく悲鳴など上げてみるが、すぐに口元を手で覆われて更に奥に連れて行かれた。そのまま壁に押し付けられて、体を弄られる。
どうやら相手は酔っ払いで、一人でフラフラしているか弱そうなマリアに目を付けただけのようだ。
「……嫌がる女性を力任せに無理矢理襲うとは、卑劣だな」
マリアはそう呟くと、男の顎に下から掌底打ちを叩き込む。脳が揺れて、一瞬で気絶してしまった男が倒れるのを支えることもせず、マリアは身を離した。
「……お怪我は?」
「ない。しかし、痴漢は気持ちのいいものではないな……女性はもっと辛いだろうに」
陰から声がかかり、マリアは眉を顰めて返事をする。そして、その姿が唐突に霞のように揺らいだ。
僅かな魔術の霧が晴れると、路地の石畳みを、じゃり、と音を立ててブーツの踵が踏みしめた。
姿を現したのは、騎士服を着崩した燃えるような赤毛に翡翠色の瞳の青年、第二王子マーカス・エメロード殿下だ。
「この男はいかがいたしましょうか」
「近くの警邏隊に引き渡しておいてくれ。たまたま俺だったが、次は本当に女性に無礼を強いるかもしれん、きちんと反省させろ」
「はっ」
そう返事がかかると、陰からこれといった特徴のない男が一人現れて、気絶した酔っ払いの肩を抱いて表通りの方に去って行った。その背を見送って、マーカスは溜息をつく。
「……ちょうどいいかと思ったが、こんな安易な餌では本命は食いつかんか」
がしがしと赤毛を掻いて、彼も路地の暗がりの中に去って行った。