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そんなわけで冒頭に戻り、セシアは侍女としてジュリエットの元で働いていた。
しかし気になるのは、予めマーカスとレイン、キースが話し合って決めたという潜入先だ。執行官の人数が少ない為、特に怪しい人物のところに一人ずつ派遣されているのだが、セシアが潜入しているのはジュリエットの元。
つまり、マーカスはジュリエットのことを疑っている、ということなのだろうか。
それにしてもジュリエットは見事な性悪ぶりで恐れ入る。
国の要人や、他国の来賓などが同席している時は完璧な猫を被っている姿は後ろで見ていて鳥肌がたつほどだ。
彼女が例え犯罪組織と無関係であろうと、結婚相手がマーカスではなかったとしても、自国の王族になる、というのはゾッとするような未来だった。
そして、使用人達に対してそれを隠すつもりが全くないことも恐ろしい。勿論使用人達は、ジュリエットに意見出来るような立場ではないし、彼女に注意出来るような地位にいる者と話す権限もない。
直接ジュリエットの非道ぶりを上に報告する術はないが、使用人同士では口止め無用。噂が回るのは早かった。
それが巡り巡って地位の高い者の耳に届き、自分の猫被りが露見する可能性を考えないのだろうか?
「マーカス殿下は気づいていないのかしら」
ぽつりと言ってみるが、口に出すとまるで嫉妬しているかのようで情けなくて、セシアは顔を顰めた。
どれほど嫌味な女であろうと、マーカスと結婚する地位と権利を持っているのはジュリエットなのだ。
いつだったか、セシアは彼を殴る資格のある立場になりたい、と言った。
その頃はまだ自覚がなかったが、今考えればマーカスと対等の立場になりたいと言っているようなもので随分と意味ありげなことを言ってしまった、と恥ずかしい。
恋をした、と自覚してからセシアはどんどん弱くなっていくかのようだ。
かつて、彼女に守るべきものは自分しかなかった。今だってその筈なのに、どうしてなのか弱くなったと感じるのだ。
セシアは顔を顰めたまま、ジュリエットに宛がわれた部屋の掃除を続ける。
ジュリエットが癇癪を起したので、花瓶だけではなくクッションや調度品があちこちに落ちているのだ。出来れば永遠に掃除でもしていたい気分だが、セシアに課せられた使命はジュリエットを見張ること。
早々にここを片付けて、また疎まれつつも彼女の傍に行かなければならないのだ。
やがて残念ながら掃除は終わってしまい、セシアは未練がましくまだ散らかっている場所はないだろうか、と視線を巡らせる。その時、廊下側の扉が開き一人の侍女が入って来たのが見えた。
彼女は、セシアが”セリーヌ”として学園に通っていた頃の同級生、ロザリー・ヒルトン伯爵令嬢だった。彼女も臨時でジュリエットの侍女として派遣されてきた一人なのだ。
元は第一王女の侍女をしていたらしく、エメロード側としては使用人の中ではかなり高位で優秀な人材を派遣した、という状態なのだろう。
けれどまるでエメロード側の待遇の何もかもが気に入らない、とでも言うようにジュリエットは特に失敗をしているわけでもないロザリーにさえきつく当たっていた。
ロザリーの方もセシアに気付き、気まずそうに視線を逸らす。
彼女はきっと、”セリーヌ”がセシアだったのではないか、と疑っている。本物のセリーヌに会ったのは一瞬の筈なのに、その間に何かあったのか初めて王城で会って以降今に至るまで、セシアと会う度に何か言いたそうにしているのだ。
しかし、セシアは真相をロザリーに教えるつもりはない。セシアがセリーヌとして学園に通っていたことが知れ渡れば、その後二度目の学園に通う際に後見人を務めてくれた、マーカスにまで火の粉が飛びかねないからだ。
ディアーヌ子爵家はあの一件以降、領地に引き籠ってしまっている。王都の社交界では既に3年も前のことなので、セリーヌの醜聞や醜態をわざわざ取りざたされることはないが、彼女が現れたならばまた話も違うのだろう。
プライドの高いセリーヌはそれを嫌がり、地方に住む貴族と結婚してそちらでまた居丈高に振る舞っていると風の噂で聞いている。
ロザリーはテーブルの上に置いてある、ジュリエットが読みかけていた本を見つけてそれを手に取る。
本を取ってくるように言われたのだろうけれど、明らかな雑用であり伯爵令嬢であるロザリーに頼むようなことではない、とセシアは感じた。
一度目の学園生活の際に同い年だった彼女も、今年は19歳になる筈。貴族令嬢としては少し婚期を逃してしまっている、と言ってもいいだろう。しかし、ロザリーの生家である伯爵家や彼女自身の容姿などを鑑みるに、結婚相手に困る、というようなことはない筈なので、きっとロザリー自身が望んで第一王女に仕え続けているのだ。
そんな彼女に雑用を言いつけるなんて、ジュリエットは本当にいい性格をしている。
またチラリとセシアの方を見たロザリーだったが、結局何も言わないまま部屋を出て行った。
セシアもジュリエットを見張る為に向かいたいのだが、今部屋を出ればまるでロザリーの後を尾行しているかのような動きになってしまう為、一呼吸置くことにする。
数年前まではセシアのことを認識している人はほとんどおらず、ディアーヌ家の屋敷にいてさえ下っ端メイドの一人、ぐらいの認識だった筈だ。それが、今や隣国の王女サマに目をつけられたり、伯爵令嬢に意識されたりしているなんて、いいのか悪いのか分からないけれど、随分環境が変わったものだ。
マリアと、そしてマーカスと出会って、セシアの世界は開け、今なお広がり続けている。




