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その日の夕方。
珍しく午後にメイヴィスの元での訓練の入っていたセシアは、侍女に扮して王女の後ろにひたすら控えていた。
ドレスは地味だが、王女の付きの侍女に扮している為仕立ては良く、化粧や髪結いも専用のメイドに仕立ててもらっている。あちこち動きが制限されるが、この姿で他の侍女は優雅に王女の世話を焼いているのだ、とセシアは彼女達を改めて尊敬した。
特に侍女長のアニタは、誰よりもきびきびと動くし、見落としはなく、しかもとても優雅だ。メイヴィスよりは10歳ほど年上だが、さぞかし名家の出なのだろう。だとすると結婚などしてもおかしくないが、プライベートなことを聞くのも失礼だろうか、とセシアは考えて聞けずじまいだ。
「本日の予定は以上です、殿下」
そのアニタがスケジュールの書かれた書類を確認して、謁見を終えたばかりのメイヴィスに告げた。
王女はそれを聞いて、鷹揚に頷くとソファに座る。彼女は動きのいちいちは意識していないのにとても優雅で、これまた今のセシアには素晴らしいお手本だった。
「そう。ありがとう、アニタ。皆、悪いけどもうひと頑張りお願いね」
メイヴィスがそう言うと、セシアに侍女としての扮装を着つけたメイド達が音もなくススッと近づいてくる。
「?ん?メイ様?こちらは??」
別のメイドに淹れてもらったお茶のカップを優雅に傾けたメイヴィスは、にっこりとセシアに可愛らしい笑顔を向けた。
この顔はよく知っている。彼女の兄がよく浮かべる、悪童の表情だ。
「だって、わたくしが何度言ってもちっとも進展しないんですもの。少しぐらいお節介焼いても、神様に叱られたりはしないわ」
「え?メイ様?全然意味が分かりません」
セシアが目を白黒させていると、衝立が用意されて彼女はメイド達にそちらに連れ込まれる。
実は、セシアが麻薬組織の調査の為に夜会に潜入する際には、メイヴィスのメイド達がこうして彼女を令嬢の姿に仕立て上げてくれていたのだ。
出来るだけ低予算で、という要望に応えてお古のドレスを仕立て直してくれたり、イミテーションの宝飾をどこかから調達してくれたりと、執行官顔負けの素晴らしい手腕を持つメイド達である。
「あなたのお仕事に協力したんだから、わたくしのお遊びにも少し付き合ってくれるわよね?」
「あ、それ本音ですね……」
衝立の向こうで、セシアは諦めた声を出す。メイヴィスの今日の仕事が終わったということは、セシアの訓練も終わりだ。確かに彼女達にはとても世話になったので、セシアで返せる恩があるのならば返したい。
大人しくメイド達に侍女のドレスをはぎ取られ、別のドレスを着つけられて化粧や髪型を変えられていく。
「……着せ替え人形、ですか?」
衝立からゆっくりと出てきたセシアは、今までの装いとはどこか違うドレスに首を傾げながらメイヴィスに訊ねた。
深いボルドーのドレスは大人っぽく、スカートの膨らみは控えめでその代わりに流れるようなドレープが美しい。ネックレスは真珠で、中央には見事なカッティングの翡翠が鎮座している。
潜入調査でもドレスは、いつダメにしてしまうか分からなかったので出来るだけお古で、とお願いしていたが、今セシアが着ているドレスはもはや肌触りからして高級なのが明らかだった。
「うん。いいわね、やっぱりあなたの黒髪には赤が映えるわ」
メイヴィスは上機嫌で頷く。
「あの……この色、なんかすっごくどなたかを連想させるのですが……」
赤に、翡翠。
先日マーカスに恋をしていることを自覚したばかりのセシアには、この色は刺激的過ぎる。
「私の色ね。光栄でしょう?」
自信満々に言い切られて、セシアは言いかけた言葉を引っ込めた。
「え?た、確かに……?」
「侍女が主の色を身に着けることもよくあることよ。そうだ!今度のレナルドお兄様の御子が生まれたお祝いの会にはあなたも連れて行ってあげるから、これを着て行ってはどうかしら?」
弾んだ声で言われて、セシアはメイヴィスの翡翠色の瞳を凝視する。
彼女の兄は二人。一人は例の悪童であり、もう一人は王太子殿下だ。そして、王太子殿下の名は、レナルド様という。
その、御子。
「……次の次の国王の生誕祝いの会になんて、恐れ多すぎて行けません!!!」
セシアは真っ青になって叫んだが、メイヴィスは可愛らしく唇を尖らせる。
「どうしてよ!?ロニーったらとても可愛いのよ?」
「御子様が可愛いのと、私がそんなエライ人しか出席しないような会に出ることを一緒くたにしないでください!」
生まれた御子の名は、父親から名をもらってロナルドといい、さっそく叔母であるメイヴィスはロニー、と愛称で呼んでいるらしい。
それ自体はとても微笑ましいことだ。
だが、マーカスとメイヴィスとは比較的親しく話せるようになったものの、セシアは相変わらずド平民のド新人文官のままだ。
そんな会に自分が出席することを考えただけで喉が渇いてくる。
「そう……?たくさんの人にお祝いしてもらった方がロニーも幸せだと思うんだけど」
「いや、お祝いする気持ちは山ほどあるので、自分の部屋で存分にお祝いしておきますから」
「何なのそれ」
むぅ、とメイヴィスは頬を膨らませた。
セシアがひたすら縮こまっていると、メイヴィスはじろじろとセシアを見てなんとか溜飲を下げてくれた。
「……まぁいいわ、この話はまた今度にしましょう。仕上げよ、アニタ!」
仕上げは侍女長のアニタがわざわざしてくれるようで、鏡台の付属の椅子に座ったセシアの髪を複雑に編み込んでいった。
「……ああああ、アニタさん、これ、サイズぴったりだし、めちゃくちゃ手触りいいし、ひょっとしてオーダーメイド……だったり……します……?」
「殿下のお小遣いから捻出されていますから、費用は気になさらなくて大丈夫ですよ」
アニタは朗らかに言う。ちっとも大丈夫じゃない。
「ああああ……メイ様……なぜ貴重なお小遣いをこんなことに……」
王女にとってははした金かもしれないが、庶民のセシアにとっては高額に違いない。
気持ちは有難いが、やっぱりセシアにとってはドレスよりも美味しいケーキの方が褒美になりそうなものだった。
「殿下のお心遣いです。どうぞ、気持ちよく受け取られるべきかと」
「……ですよね、いえ、嬉しいんですけど複雑……メイ様って本当に、無邪気な方なんですもの」
セシアは顔を赤くしたり青くしたりしながら言うと、彼女の髪を結っている背後のアニタが笑った。
仕事用の仮面のような微笑ではなく、妹に対する姉のような、しょうがないなぁ、というアニタの笑顔が貴重で、セシアはつい鏡越しに彼女の顔を見つめてしまった。
それに気づいたアニタは、すぐにいつもの冷静な表情に戻る。
「……そこが、姫様の美点ですわ」
殿下ではなく、姫様、と可愛らしく呼んだところも、なんだかアニタがメイヴィスのことを大切に思っていることが伝わって、セシアも嬉しくなってきた。
「そうですね、メイ様。可愛いですもんね」
「美点、と私は申し上げました」
「はいはい」
くすくすとセシアが笑うと、背後からは少しだけ不貞腐れた気配がして、それがまたセシアの笑顔を招いた。
出来上がったセシアをあらゆる角度から眺め、触り、満足したメイヴィスは、アニタから一通の封書を受け取る。先程の王太子の御子の祝い云々は本当にその時の思い付きであったらしく、ドレスを用意したのは元々の理由があったのだ。
「それは?」
「今回のあなた達の調査に際して、仮面舞踏会などのちょっと変わった会があれば情報を欲しい、とも言っていたでしょう?これは今夜の仮面舞踏会の招待状」
「……はぁ。え?また夜会に潜入しろと?」
セシアが焦って聞くと、メイヴィスは呆れた、と溜息をついた。そのいかにもっぽい仕草が、大人ぶった子供そのもの姿で、ついセシアはまた気持ちが和む。
「そんなわけないでしょう?たまたま招待状が手に入ったから、最後に一度ぐらいちゃんと夜会を楽しんできたらどうかしら?という王女の配慮よ!」
「……えー」
「どうせ調査でずっと気を張ってたからまともに夜会を楽しんでいないのでしょう?これは仮面舞踏会だし、気楽に楽しんでくるといいわ!」
メイヴィスは、セシアが喜ぶに違いない!と思っているのであろう、晴れやかな笑顔を浮かべてそう言い放ち。
微笑んで頷く他に、セシアに選択権はなかった。




