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そして時間が過ぎ、案の定終盤には少し勝ち始めたフェリクスは、調子に乗って大金を賭け、最後には大損した。
これはディーラーと他のメンバーがグルになっている、というわけではなく、新人は必ず通らされる、通過儀礼のような流れだ。
少し勝った、という成功体験が麻薬のように新入りの脳内に気持ちよく回り、次は勝てるかも、というギャンブルの深みに嵌っていく典型的な構造。
「もー!あなたったら調子に乗って、バカねぇ!」
セシアが腰に手を当てて叱ると、フェリクスは割と本気で落ち込んでいるらしく、垂れた犬の耳と尻尾が見えそうな様子で頭垂れていた。
「すまない……!」
「……これに懲りたら、苦手な賭け事なんてやめることね」
さりげなくフェリクスの腕を引いて、セシアは彼を立たせる。
「おや、お兄さん。もう終わりかい?」
隣の席のメンバーに言われて、フェリクスはしょんぼりとした様子で頷いた。
「偉そうに参加しておいて悪いが、このままだと彼女に愛想を尽かされてしまいそうなんでな」
フェリクスは、本当に賭けで失った額にショックを受けているのだろう、ヨロヨロと歩きだす背中には哀愁が漂っていて、その後ろからは残ったメンバーの快活な笑い声が響いた。
「うぅ……すまない、セシア。俺はまた失態を……」
「……ん?失態?見事なぐらい素人を演じ切れていたわよ」
壁際に落ち着くと、セシアはからりと笑って言う。
実際、見た目通りの育ちが良く賭け事にハマり掛けのお坊ちゃん、という姿を周囲に印象付けたし、あそこまで典型的な素人が潜入している執行官だとは誰にも気付けないだろう、というほど見事なカモられっぷりだった。
「やっぱり天然に勝るものはないわね、フェリクス。お見事だったわ」
「褒めてるんだよな?それ……」
セシアの微妙に逆撫でする言い方に、フェリクスは頬を引き攣らせる。
「褒めてる褒めてる。…………もし、私が麻薬の売人だったら、こいつに売りつけよう、て思うもの」
セシアがにっこりと笑って、フェリクスにしな垂れかかるように抱き着いた。
「!?お、おいセシア……」
焦るフェリクスの耳元に唇を寄せて、セシアはそっと囁く。
「向こうから男が二人、こちらに向かって歩いてきてる。私の背中に手を回して、いちゃついてるフリをして」
「……分かった」
こちらも小さな声で返事をして、フェリクスは彼女の背に腕を回す。
すると、そのセシアの体の華奢さに、ぎょっとした。
今まで彼が付き合ってきたのは、皆いかにも肉感的な女性が多かったし、同僚の女性騎士は女性らしい体つきはしていても、しっかりとした体躯をしていた。
だというのに、セシアの体は痩せていて、まるで子供のように頼りない。貴族令嬢のしなやかな華奢さとは違い、まだ骨格のしっかりしていない幼い子供のようなのだ。
こんな子供のような女相手に、かつて自分は怒鳴りつけていたのか、と思わず反省の気持ちが込み上げる。
「……来た」
セシアの鋭い声に、フェリクスは慌てて意識を切り替える。
仕立てのよい夜会服を着た男性が二人、セシアとフェリクスの前に立ってにこにこと笑った。
「こんばんは、お二人さん」
「……良い夜ですね」
声を掛けられて、セシアはちらりとフェリクスを見上げる。こういう時、主導権は男性に任せておく方が無難なのだ。
女性執行官としてマーカスには期待している、と言われているが、文化の違う他国との交流が盛んなこの国ですら、まだまだ旧態依然とした男性優位の考えが根強く残っている。
フェリクスは少し困ったような表情を浮かべて、抱擁を解いたもののセシアを守るように彼らとの間に立った。それに従うように、彼女も動く。
二人連れの男達はそれを見て、またにっこりと笑った。主導権がどちらにあるのか確認したのだろう。
「二人とも、ここは初めて?」
「ああ、噂には聞いてたけど楽しいパーティだな」
フェリクスはセシアを抱き寄せて、ご機嫌な様子で喋る。彼女は、先程の大損のことを忘れていないわよ、とばかりにヤレヤレと苦笑してみせた。
「そっちはよく来るのか?」
「ああ。俺達は主催のアクトン侯爵と知り合いだからな、家族ぐるみで仲がいいんだ」
朗らかで快活な様子の男の話ぶりは、この淫蕩な雰囲気の夜会では逆に珍しい。
そう思って改めて二人の男を見ると、明るい金髪の方の男は活き活きとしていて溌剌とした様子で喋り続けていて、その隣に立つ焦げ茶の髪の男はどこか陰鬱とした様子でこちらを値踏みするように見ていた。
奇妙な組み合わせだし、何より焦げ茶色の髪の男性の視線が不快だ。
それに、先程気になる名前を耳にした。
”アクトン侯爵”?
事前に調べた限りでは、この夜会の主催は新興の男爵家だった筈だ。
確かに新興貴族にしては豪奢な建物や設えだとは思っていたものの、裕福な商人や平民が何かしらの功績を上げて爵位を賜ることがエメロードでは、滅多にないがそれでもごく稀に在りうる。
その流れで下手に歴史のある高位貴族よりも、財源豊かな下位貴族だって存在する。
そして何よりこの夜会のコンセプトが、気位ばかり高い高位貴族のお歴々には絶対思いつかないような破廉恥な内容だった為、主催の男爵家とやらの存在を疑ってはいなかったのだ。




