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本当はセシアは、フェリクスのことを見捨てて帰りたい気持ちでいっぱいだが、翌朝意識を失くした状態で”経理監査部のフェリクス・バーンズ”がこの屋敷で見つかるのは、職務的に困る。
かと言って、セシアが抱えて馬車で連れて帰るのもあの様子では無理だ。
夜会会場まで行けば、レインか誰かがまだいる筈だが、手柄を立てたがっているフェリクスは、先輩達にこの失態を知られることを望んでいないだろう。
放って帰ってもセシアが責められる謂れはないが、一応チームではあるのだ。単独行動のツケがこうなったことをよくよく反省させる必要があり、不本意ながら彼女はここに籠城するしかなかった。
「麻薬と関係……ないだろうなぁ……香水臭かったもんなぁ……どこかのマダムにぺろっと食べられちゃうとこだったのかなぁ」
だとしたらお気の毒ではあるが、それでもフェリクスが全面的に悪い。
溜息をついて、彼女は膝を抱えた。
と、外から小さくノックする音が、静かな部屋に響く。
ハッとして身構えたセシアだったが、次に聞こえてきた声に安堵した。
「セシア、いる?マリアだけど」
「マリア!」
一応そっと扉を開けて相手を確認したセシアは、親友の姿を確認して涙目で彼女に抱き着いた。
「あらあら、どうしたの?熱烈ね」
「マリア~~~」
「……これは重症ね。とりあえず中に入ってもいいかしら」
「うん」
セシアは、自らマリアを控えの間に入れる。
廊下に続く扉を閉めると、また僅かな照明に照らされた薄暗い小部屋に戻った。
そこでマリアは、寝室へと続く扉のノブがガチガチに固められていることと、何故か防音魔法が掛けられているのを確認して首を傾げる。
「あなたか、フェリクスが怪我でもしたのかと思って様子を見に来たんだけど……これは?」
「…………馬鹿フェリクスが、媚薬を盛られた」
セシアがじっとりとした様子で言うと、さすがのマリアもぎょっとした。
「えぇ?それで、フェリクスは無事なの?」
「たぶん、単純に発情してるっぽかったから、一人で籠らせてるところ」
「……キースかレインを呼んできましょうか?彼らなら力ずくで運んでくれるわよ」
マリアが寝室の方を難しい顔で睨みつつ、提案する。
それが一番いい、とは分かっているのだが。
「……あいつ初任務だし、この失態を先輩には知られたくないかな、て……」
と、言いつつ、今まさにバッチリ上司にバレてしまっているのだが、マリアはグレーな存在なので、セシアには判断がつかない。
「それでセシアがここで番をしてるの?あなたが襲われたらどうするのよ」
むっ、とマリアが眉を寄せて、唇を尖らせる。
そう言われて、先程抱きしめられた、フェリクスの熱い体を思い出してセシアはゾッとした。
彼女が青褪めたのを見て、マリアは翡翠色の瞳を剣呑に細める。
「……もう襲われたの?」
「ない!ちょっと……抱きしめられたけど、吹っ飛ばしたし」
「まぁ」
にこり、とマリアは微笑み、拘束されたノブに触れる。
「ちょっとお仕置きしてくるわねぇ」
「だだだだめよ!私なんかより、マリアの方が危ないでしょ!」
慌ててマリアの腕を掴んで、セシアが止めた。
その手が震えているのを見て、マリアは唇をへの字に曲げる。
「……あなたね」
「……いや、まぁ、なんかお人よしが過ぎるとは分かってるんだけど……私も最初の方のミスは先輩によくフォローしてもらったし……」
そういう話ではない、と言いたいところだが、セシアが困ったように笑うので、マリアはこれ以上どうすることも出来なくなる。
彼らの上司のマーカスとしては、寝室に押し入って投げて、飛ばして、ぶん殴って、踏むぐらいが妥当だと思っているのだが、ここにいるのはセシアの親友・マリアだ。
セシアは、男に怯えていて、そしてマリアには無防備だ。
「……仕方ないわねぇ」
だったらここでマーカスが出て行くわけにもいかず、仕方なくマリアはセシアと共に夜明かしをする体勢を取った。
「マリア?」
「女の子一人、野獣の檻の番をさせるわけないでしょう?久しぶりに、ゆっくりお喋りでもしましょうよ」
飾り椅子の座面に置かれていたクッションを床に置いて、マリアはぽんぽんとそこを叩く。
そろそろとドレスの裾を踏まないようにそこに座ったセシアは、隣に座る親友からいつも香る、中性的なシダーウッドの香の香りに安心した。
早朝。
寝入ってしまったセシアを、マーカスはマリアが身に着けていたショールでくるむ。
万が一理性を失くしたフェリクスが扉を破ってこちらに来たら、取り押さえる為には体格的に不利なので、セシアが眠ったことを確認してから変装の魔法は解いていた。
寝室の方の気配もようやく静かになったようで、マーカスは呆れた溜息を吐く。
セシアが入ったからといって、女性執行官不足はまだまだ解消されていない。特に今回のような夜会に潜入する際は、女性がいた方が何かと便利なのだ。
それもあって、こっそりとマリアとして参加していたのだが、途中で会場から出て行った二人が気になって追いかけてきてよかった、とマーカスは自分の勘に感謝する。
フェリクスは元騎士だ、体力も体格も、当然腕力もセシアに勝っている。そんな男が媚薬を飲んでしまったのに、外に出ないようにバレないように、セシアのような標準的な女性が番をする、だなんて発想からまず間違っている。
そして抱きしめられた、と言って青褪めていた彼女を思い出して、マーカスは顔を顰めた。
前言撤回、フェリクスは一番高い塔の上から細い紐で吊るすぐらいの仕置きが妥当だろう。
眠るセシアの顔は、普段の気の強さが表面に出ていない所為が、どこかあどけない。
「……マリアは俺なんだって、口では言うくせに本当に分かってるのかねこの子は」
ツン、と頬を指先でつつくと、柔らかな感触がする。
意識のない女性にこれ以上触れるのは失礼だろう、とマーカスが再びマリアに変装しようとした時、セシアが目を覚ました。
マリアに肩を借りて眠っていた姿勢なので、当然今はマーカスの肩に寄り掛かっている状態だ。
「お」
「…………!?!!???」
ズザッ!とセシアは座ったまま後ずさり、声なく叫ぶ。
「悪い、魔力を温存する為に変装を解いていた」
「……いえ、おんぞん……そうですよね……私、寝てしまっていて……すみません」
混乱しつつも、なんとかセシアが考えを纏めて返事をすると、マーカスは苦笑を浮かべた。
マリアのように全面的に信頼して欲しいとも思う。しかし、マーカスはセシアの親友になりたいわけではない。
では、何になりたいというのだろうか?
この問いは深追いしてはいけない、と身の内に警鐘が鳴り、マーカスはそれに従う。
改めてマリアに魔法で変装し、何もかも仮面の下に押し込んで優雅に笑ってみせた。
「おはよう、セシア。よく眠れた?」
「……うん。ごめん、私寝ちゃってて」
途端、セシアはふにゃ、と安心したように笑う。
目の前で変貌してさえ、無意識に彼女の中でマーカスとマリアはまるで別の存在なのだ。
「いいのよ。徹夜はお肌の大敵ですもの」
「それを言ったらあんたにとってもそうでしょう?」
マーカスは、頭の隅で警鐘の音を聞きながら、小さく思った。
自分自身に嫉妬するなんて、始末に負えない、と。




