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106/106

106.コミカライズ完結記念SS

 


「浮気? ……セシアが?」


 第二王子の執務室。

 最近フィールドワークという名のお忍び街歩きにちょっっっとだけ精を出し過ぎたマーカスは、クリスの完全監視下でせっせと溜まった書類仕事に明け暮れていた。

 そんなところに、追加の書類を持ってやってきたキースがもたらした話題が曰く、「セシアが浮気をしている」である。

 それを聞いたマーカスは、きょとん、と翡翠の瞳を瞬いて首を傾げた。それから、愉快げに笑い飛ばす。


「ないない。俺とセシアは大恋愛の末に結ばれた仲だぞ?」

「ご自分でおっしゃる……」


 背後でクリスが嘆かわし気に唸ったが無視だ。ところがキースはニヤニヤと楽しそうにこちらを見てくる。


「いやいや、これがあながちそうも言ってられないようなんですよ」

「なんだ、やけに勿体ぶるな」


 キースの態度に、マーカスは唇を尖らせた。

 すると、キースはまあまあという風に手を振る。それがまたやけに勿体ぶった仕草だったので、興味をそそられて身を乗り出す。


「殿下」


 クリスの咎める声が聞こえたが、無視だ。


「何か確信的なシーンを目撃したんだな? 報告せよ」

「ハッ!」


 マーカスが王子サマっぽく命令すると、キースはわざとらしく敬礼してみせた。

 本格的にお遊びの体勢に入ってしまった主と同僚の姿にクリスは盛大な溜息をついていて、マーカスはみたび、それを無視した。


「今、女子の間でリボンに刺繍するのが流行ってるの、知ってますか?」

「ああ、おまじないみたいな魔術文様を刺繍して、贈り物にするやつか」


 マーカスはあっさりと頷いた。『マリア』として情報収集した際に、女性の流行りは一通り押さえている。

 それは貴族令嬢のみならず市井の女性の間でも流行っていて、お守りとしてリボンに刺繍をして相手に贈る、というものだ。刺繍の文様は、恋が叶う魔術文様だとかラッキーな出来事が起こる魔術文様だとか様々で、ついにはそれらを纏めた冊子まで販売している。

 さらに文様について調べてみたところ、その魔術文様自体は本物だが魔術師でもない者がそれを刺繍として施したところで効果はなかった。

 魔力が籠っていないからだ。


「割と古い文様もあったな。資料としてはなかなか面白かった」


 文様の効果よりも、リボンに刺繍した際の美しさの方が優先されているようで随分古いものや他言語のものもあった。魔術師の端くれとしてマーカスは興味深く学習したものだった。


「さすが、お詳しい」


 キースはうんうんと頷く。

 その刺繍に何かしらの効果があった場合としての危険性を危惧したのだが、調べたところ作用したとしても効果の程はまさにおなじない程度、観光地の露店で売っているお守りとどっこいどっこいの効果しか実証されなかった。

 ただ、光沢のあるリボンに何か美しい文様が施されている、という見た目の美しさが女性達にウケていて、友達同士で交換したり意中の人に恋文代わりに贈ることが流行っているのだ。


「で? それが?」

「知ってます? 最近、セシアが熱心にそのリボン刺繍をしてるんですよ」


 にやぁ、とキースが笑って言った。ようやく本題に入ったようだが、それでもマーカスには話が見えない。

 セシアは第二王子妃として淑女教育を現在も受けているし、刺繍もその一環だ。流行っているのならばリボンへの刺繍も教師の勧めかもしれない。

 そういう流行りをこなした方が楽しく学べることもあるだろう。


「それは知らなかったな。お前は何故知ってるんだ?」

「セシアは、魔術文様をロイに習ってるんですよ。ほら、アイツ辺境伯の息子だから、昔の文様に詳しくて」

「ふぅん?」


 二課に所属するロイは、魔術師としては稀代の天才だ。しかも辺境伯領出身で、王都ではあまり知られていない古代魔術にも詳しい。

 その上ロイはセシアの魔術の師匠で、その分野に関して彼女はマーカスではなくロイを頼ることが多かった。

 ちょっと面白くない。


「……それの何が浮気に繋がるんだ? まさかロイと逢引してる、なんて言わないよな」

「まさか」


 乗り出していた身を引いて、マーカスは背凭れに凭れかかった。キースの話はちっとも要領を得ないし、今更ながら背後のクリスが異常に静かなことが気になり始めてきた。


「ロイの業務の邪魔にならないようにと昼休みにせっせと二課室に通って来るんで、俺もつい気になって誰に贈るんだ? て聞いたんですよ」

「ほう」


 マーカスはやや興味の失せた返事をする。

 セシアがリボンを贈るとしたら、夫であるマーカスが最有力候補だろう。次点で世話になっているメイヴィス、もしくは友人であるロザリー、その辺りだろう。

 しかしキースは首を横に振った。


「俺もその辺はちゃんと聞きました。マーカス殿下でも、メイヴィス殿下でも、ロザリー嬢でもないそうです」

「ふーーーーーん」


 キースのニヤニヤ笑いに対して、マーカスは努めてなんでもない風を装ったが、「努めて」「装った」時点で推して知るべし、である。心中穏やかではなかった。

 そこでやけに芝居がかった仕草で両手を振って、キースは大仰に嘆く。


「でもってしつこく聞いたら、誰に贈るのかは内緒! て言われちまいました。ほら、怪しくないですか? 気になりません??」

「べつにぃ?」


 いつまでもニヤニヤと笑うキースに、マーカスは不機嫌そうに返した。

 それはそれとして、背後から冷気が漂ってくるので、振り向きたくない。


 ・


 それから、散々残業させられての、夜である。

 ホワイト上司であるマーカスだが、本人の勤務形態はブラックであり、それは自分自身の所為だという自覚は重々にあるので文句を言うことはしない。クリスが怖いし。

 マーカスはやれやれと思いながら、第二王子とその妃の住居棟に戻る。すると居間には寝間着の上にショールを羽織ったセシアがソファに座っていた。


「セシア」

「マーカス! お疲れ様。今日は随分遅かったのね」


 ぱっと顔をあげたセシアは微笑んでこちらに歩み寄る。

 王子妃としてぴかぴかに磨き上げられたセシアは生来の魅力に加えて、淑女らしい艶が身についてきて人目を惹く。


「ああ。こき使われた」

「ふふ」


 おおよその残業の理由に見当はついているようで、セシアは子猫のようにわずかに肩を震わせて笑うだけだった。マーカスが腕を伸ばすと、小柄な体は大人しく抱きしめられてくれる。

 つむじにキスをして、耳たぶにキスをして、頬にキスをする。その度に首を竦めるセシアは相変わらず可愛いし、いつまで経ってもマーカスからのスキンシップに慣れないようだ。頬を赤くしてこちらを睨んでくる瞳の真っ直ぐさに、感嘆の溜息が出る。

 可愛い可愛いセシア。マーカスが欲しくてたまらなくて手に入れた、彼のものになってくれた、大切な宝物。


「? どうかしたの?」


 だというのに、お手製の刺繍リボンは、自分にはくれないらしい。


「……ちょっとな」


 思わず拗ねた声が出て、自分でも驚いた。焦って視線を向けると、セシアの紫色の瞳も丸くなっている。

 好きな人の前では一番カッコイイ男でいたい。これは誰だってそう思うだろう、男なら。

 マーカスは割と誰の前でもカッコよく取り繕えている自信があるのに、肝心のセシアの前では情けない姿ばかり見せてしまっている。


「今のなしだ」

「え? なんで?」

「なんかカッコ悪いだろ」

「えー?」


 セシアは不思議そうに首を傾げる。

 それはそうだ。彼女は、昼間のキースとのやり取りを知らない。マーカスが勝手に嫉妬して、勝手にカッコ悪くなっている理由を知らないのだ。

 なんだかなぁ、とマーカスは内心で深い溜息を吐く。なけなしの意地で、実際には吐かなかった。


「マーカス? 教えて」


 くい、と袖を引かれてそちらを見遣る。

 身長差の所為で自然と上目遣いになった、煌めく紫の瞳。全幅の信頼を寄せた表情。


「可愛いな、セシア」

「ん!?」


 突然のマーカスの言葉に、セシアの喉がおかしな音をたてる。彼女は顔を真っ赤にして、大きな瞳をぱちぱちと瞬いた。


「マーカス? 本当にどうしたの? なんか変よ」

「あー、うん、ああ、今日はもう放っておいてくれ。少し調子が狂っていて……恰好がつかない」


 くしゃくしゃと自らの赤い髪をかき上げてマーカスは唸った。

 セシアの刺繍リボンが誰に渡されるのか気になって、嫉妬して、調子を崩しているなんて。

 カッコ悪くて絶対に言いたくない。


「マーカス」

「大丈夫だ。少し疲れただけで、一晩休めば」

「マーカス」


 繰り返し名を呼ばれて、マーカスは観念してセシアに向き直った。彼女は真っ直ぐにこちらを見上げて、やがて微笑む。


「うん。大丈夫そう。いつも通り、すごくカッコイイ」

「は……」


 愛しい妻に可愛い顔で、そんな嬉しいことを言われてしまっては、さすがに拗ね続けるのも難しい。マーカスが深い深いため息をついてセシアを抱きしめると、彼女は肩を震わせて笑う。


「で? 説明してくれる気になった?」


 コツン、と額を合わせて言われた言葉に、マーカスは完全降伏した。


「実は今日、キースに……」


 ・

 ・

 ・


 数日後。

 ダンスレッスン場で、キースが珍しことに息を切らせていた。両膝に手をついて、中腰でゼイゼイ言っている。

 彼と相対しているのは赤髪の美女、こと、マリア。壁際では、セシアが困った顔をして椅子に座っていた。


「あら、もう息切れしてるなんて、鈍ってるんじゃなぁい?」


 にっこりと妖艶に笑うマリアの、ポニーテールに結い上げた髪を彩るのは、光沢のある黒地のリボンだ。勿論魔術文様の刺繍が、腕の拙さが目立たないように濃い紫色の糸で施されている。

 リボンに合わせた今日のドレスは黒を基調として、大胆に開いたデコルテといいエナメルのヒールブーツといい、見事にマリアの美しさを引き立てている。


「いや、勘弁してくださいよ……俺は荒事専門で、ダンスはからっきしなんですって」

「お黙り。フェリクスやエイダに臨機応変に対応出来るようにあらゆる技術を身につけろと指導しておいて、肝心の自分がダンスは出来ません、じゃあ格好がつかないわよね?」


 ヒョイ、とキースの顎に指をかけて彼の顔を上向かせると、ギロリと睨みつけた。


「この間はよくも私をイジメてくれたわね、この大嘘つき!」

「いやいや! 俺は嘘は言ってませんて!」

「でも事実を伏せていたでしょう! 確かにセシアは贈る相手は内緒だと言ったけど、その後一番の親友に、と付け加えたそうじゃないの!」


 そうなのだ。名前こそ出さなかったが、マリアの正体を知っているキースならば「セシアの一番の親友」といえばマリアを指していることは明白だった。キースはあえてそれを隠して、マーカスを煽ったのだ。


 上司の怒りの迫力にキースは悲鳴をあげて慌てて逃げ出したが、当然それを見越していたマリアは素早く魔術を飛ばして、彼の脚を縺れさせて転ばせた。

 その正確さに、そんな場合ではないのにセシアはおおっ、と歓声を上げてしまう。マリアはそれに応えるように優雅に礼をしてから、ツカツカとキースに歩み寄った。


「あの……お手柔らかに」


 カツン、と踵がなって、キースは青褪めて体を起こす。

 彼を目を合わせたマリアは、殊更艶っぽくマリアは微笑んだ。


「ダメよ。後悔させてあげる」


 語尾にハートをつけてそう言ったマリアは、みっっっちり長時間キースにダンスレッスンを受けさせたのだった。


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