102.コミカライズ開始記念SS
「ん-……」
とんとんと靴先で床を叩き、くるりと回ってみる。
すると動きに合わせて、制服のスカートがふわりとたなびいた。
「どうだ? 似合うか?」
「……ええ、残念ながら大変お似合いです」
主の言葉に、執事であるクリスは青褪めたまま頷く。
「なんで残念なんだ。変装なんだから、違和感なく似合っているのはいいことだろう」
赤い髪に翡翠色の瞳の王子様、ではなく美しい女性の姿をした『マリア』がニヤリと悪童のように笑った。
エメロード国の王立学園は毎年優秀な人材を輩出していて、卒業したという実績があるだけでも箔が付く。その分入学試験は難関であり、そこでまず振り落とされる者が後を絶たない。と、されていた。
しかし秘密裏に報告を受けて独自に調査した結果、入学試験や内部の学力試験の際に不正が行われている可能性が浮上したのだ。
そして外から調べられることが粗方調べ尽くしたので、残りは部下に任せてマリアは内部に潜入して調査することになった次第である。
「……なにも、あなたが直接お調べにならなくても…………」
マリアが潜入することは、学園内でも信頼出来るごく一部の者にしか知らされていない。マリアの真の姿の高貴な身分を考えると、クリスとしてはとても潜入調査など賛成出来なかった。
「学内に護衛も何人か入れてるだろう?」
「それだけでは殿下……いえ、マリア様のお世話には不十分です。せめて私をお連れください」
クリスは、必要書類を準備したり資料として使った学内の見取り図などを整理する手を止めずに、マリアに嘆願する。顔色は青いままだ。
「いや、駄目だろう。王子の執事が張り付いている女生徒なんて、怪しい事この上ない」
当のマリアからばっさりと拒否されて、クリスは言葉もなく身を縮ませる。
マリアだけならばそこまで目立たないが、『赤髪に翡翠色の瞳』の女性と殿下の執事が並んでいれば、勘ぐられる確率はぐっと上がる。
「隠密調査だぞ。目立つことは避けなくては」
「……では何故そんなに目立つお姿で……」
マリアとしてはクリスの憂いを晴らしてやろうと会話を重ねているのだが、彼の悲壮感は増すばかりだ。上手くいかない。
「目立つか?」
首を傾げて、マリアは再び姿見の前でくるくると回る。
見た目も、所作も、声も間違いなく美しい女性のそれなのに、口調と表情だけが相変わらずのあの悪童のような王子様のまま、なのだ。
少し近寄り難い第一王子の代わりに、王族の広告塔のような役目を果たしている第二王子。その分国民の人気は高く、理想の王子様、などと呼ばれることも多い。
そんな第二王子の素の表情を知る国民は少ないので、今のマリアの姿を見ても二人を結びつけられることはないだろう。
だが、その素をよく知るクリスからすれば、どれほど完璧に変装されていようともマリアは『彼』にしか見えないらしい。
「クリス? 大丈夫か? 茶でも飲むか?」
気遣って手ずからお茶を淹れようとするマリアの手を、クリスががしっと摑み止めた。
「マリア様……絶対に、絶対に正体がバレないようになさってくださいね」
それ言ったクリスがテキパキとお茶を淹れていく様を眺め、マリアはにっこりと微笑んだ。
「ああ、任せろ!」
不安である。
*
無理矢理クリスに太鼓判をもらったマリアは、控室として使っていた部屋から出て意気揚々と学内を闊歩していた。
今日の講義は既に終了していて、学内は閑散としている。どの程度の期間を潜入調査するかまだ分からないが、一通り歩いて把握しておくことは必要だろう、とマリアはどんどん歩いていく。
通常の講義に使う建物に、魔術の実技を行う特殊訓練棟、食堂や図書館、などなど。
「……うん。広いな?」
ちょっぴり疲れて、マリアは溜息をつく。
こうして歩いてみると学園の敷地は広大で、いつどこで不正が行われているか分からない以上マリア一人ではカバー出来そうにない。場所を絞るよりも、不正が疑わしい生徒に目星を付けてマークするほうが、真相に近づけそうだ。
何人か、試験結果と講義中の教師とのやり取りなどで違和感のある生徒はピックアップしてある。
「とはいえ、ここまで来たら一応端まで行ってみるか」
自分に言い訳するように独り言ちて、マリアは更に歩を進めた。敷地内の奥まった辺りには、さすがに生徒の姿は一切ない。
と、思っていたら更に奥のほうから声がして、マリアは首を傾げた。そっと木に隠れて窺うと、塀の角に追い込まれた黒髪の女生徒と、彼女を取り囲む数名の女生徒の姿。
絵に描いたような放課後に呼び出されての虐め、の光景に翡翠色の瞳は丸くなった。今時、しかもこの栄えある学園でこんなにも時代錯誤な行いが残っていることがショックである。
虐めのターゲットになっている女生徒はさぞかし辛かろう、と唇を噛む。
「セリーヌ・ディアーヌ! あなた、生意気なのよ!」
リーダー格の女生徒がそう宣言し、今まさに虐めが行われようとしている。マリアは義憤に駆られ、潜入調査に来ていることを放り出して助けに行こうと一歩踏み出した。
が。
「どの辺りが? 具体的に言っていただけるかしら」
囲まれ、虐められている筈のターゲットの黒髪の女生徒が、太々しくも鋭く言い返したのだ。
「え?」
「なんですって……?」
途端、取り囲んでいた女生徒達がたじろぐ。
マリアも声こそ出さなかったが、彼女達と同じ様に驚いた。思わず足を止めて、再び木の隠れる。
なんだか、思っていたのと様子が違うようだ。
黒髪の女生徒は腕を組んで、ちっとも堪えた様子もない。
「そ、その態度が生意気だと言うのよ!」
「へぇ? 具体的って言葉の意味、お分かりかしら」
「この……ッ!」
黒髪の女生徒が挑発するように呟くと、カッとなった虐めている側の一人が手を振り上げる。
さすがにまずい、と感じたマリアは咄嗟に茂みを揺らし、あたかも誰かがやってきたように演出した。ガサガサという騒がしい茂みの音と動きに、虐めていた側の女生徒達は慌てだす。
「誰か来たわ!」
「い、行きましょっ」
「覚えてらっしゃい!」
これまた時代錯誤なセリフを残して、女生徒達はばたばたと去って行く。この程度で逃げる程小心ならば、最初から虐めなど行わなければいいのに。
その場に残されたのは、黒髪の女生徒と木に隠れているマリアだけ。どうしたものか、と眉を寄せると、あちらから声を掛けてきた。
「助けてくれてありがとう、と言うべきかしら?」
はっきりとこちらに向けて放たれた言葉に、マリアは肩を竦めて木の影から出る。
「助太刀は必要なさそうだったけど」
「そんなことないわよ。……騒ぎを起こしたくなかったから、助かったわ」
今度はその女生徒が肩を竦めた。
先程虐めていた女生徒達は、彼女のことを『セリーヌ・ディアーヌ』と呼んだ。ディアーヌ子爵の一人娘で、レイモンド・チェイサーの婚約者。
侯爵令息であるレイモンド・チェイサーは、マリア達が不正の疑惑があるとして目星を付けている生徒の一人だ。セリーヌはレイモンド同様に成績が良く、彼女も不正に加担しているのではないか、と話にも出ていた。
「ありがとう。私はセ……セリーヌ・ディアーヌ」
「どういたしまして。私はマリア・ホークよ。どうぞ、マリアと呼んでね」
マリアが手を差し出すと、セリーヌはちょっと目を見張ってから握手をする。令嬢の手にしては、やけに荒れていることにマリアは違和感を抱いた。勿論、肌が弱い令嬢だという可能性はあるが。
「マリアっておかしな人ね。握手だなんて、男性的だわ」
セリーヌの指摘に、マリアは笑顔のまま内心でヒヤリとする。
「そう……かしら? 仲良くしたいお友達に敬意を表しただけよ」
「……オトモダチ」
「ええ」
マリアは自分とセリーヌを手で指し示して、ぱちりとウインクをした。それを見たセリーヌは今度こそ目を丸くして、照れたように笑う。
「どう見ても厄介者の私と仲良くしたいなんて、あなたって本当に変わってるわ、マリア」
「あら、じゃあ変わり者同士で、ぴったりじゃない」
セリーヌ・ディアーヌが不正に関わっている可能性はある。
それでも屈託なく笑う彼女を見て、マリアは柄にもなくそうじゃなければいいな、と考えた。
これが偽りの姿であるマリアとセリーヌの、二人の出会い。
紆余曲折の末に二人は違う姿で出会い、なんやかんやあって生涯の付き合いになるのだが。
それはどうぞ、本編をご覧ください!
読んでいただきありがとうございます!
コミカライズ、本日より開始です。どうぞよろしくお願いします!
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