君のことが羨ましかったから(※ノエル視点)
《鉄の鎖》はキエトの森の中に潜んでいると、シーア国王は言っていた。そこはシーアで唯一、妖精が住んでいるとされる場所だ。
そこまで詳細な情報を集めているのにも関わらず動かないのは恐らく、妖精たちから拒絶されているからだろう。
魔術が発展しているシーアは妖精や精霊に対する敬意を持たず、両者の仲は険悪と聞く。
しかしシーア国王が《鉄の鎖》を捕らえて妖精たちを守ろうとしているということは、彼らとの関係を改善しようとしているのかもしれない。
「バルテ卿、キエトの森にはあとどれくらいで着くかわかるか?」
「もうすぐですよ、旦那。お望み通り馬車をカッ飛ばしてるからグリフォンたちがあっという間に連れて行ってくれるさ」
バルテは馬車を全速力で走らせられるのが楽しいらしく、上機嫌で答えた。
確かにすぐにでも向かってくれとは言ったが、風速で馬車が悲鳴を上げる程の速さで飛ばしてくれるとは思ってもみなかった。
そしてバルテの宣言通り、王都を出て一時間ほどでキエトの森に辿り着いた。
鬱蒼とした森は精霊たちを守る砦のようにも見えるほど、人間を拒んでいるような張り詰めた空気で満ちている。
「ご主人様、どうか私に案内させてください。まずはこの森を統べる妖精に会った方が動きやすいでしょうから」
「なるほど。それではミカに道案内を頼もう」
「御意」
ミカは慣れた足取りで森の中を歩いていく。
もしかしたら私と出会うより以前に、ここに来たことがあるのかもしれない。
妖精の番犬として彼らのことを守っていたミカのことを思うと、幼い頃のあの日、無力だった己のことを恨みたくなる。
あの時の私がいまほどの力を持っていれば、《鉄の鎖》を逃がすことなく、妖精たちの犠牲を止められたかもしれないというのに。
あの日、私とミカが出会った場所もまた、妖精たちが住む森の中だった。
◇
ミカと初めて出会ったのは、私が領地で魔力の制御を学んでいた頃。
当時の私は膨大な魔力を扱いきれなかったため、療養という名目で、父上と母上とは離れて領地に籠っていた。
そこでルーセル師団長から魔力の制御と簡単な魔術の手解きを受けていたのだ。
そんなある日、ルーセル師団長が妖精について教えてくれるということで、二人で領地の中にある森の中に入った。
「ルーセル師団長、あそこになにかいます。……犬……? いや、妖精なのかなぁ?」
森の奥深くに入っていくと、背筋が凍るほどの強い感情を漂わせる生き物の姿があった。
それは大木の下で蹲っていて、真っ黒な体のため、遠目から見るとどこに顔があるのかもよくわからなかった。
その生き物は傷だらけで、粗く息を吐いていた。
「どれどれ……おや、可哀想に。いまにも息絶えそうではありませんか。しかし……クーシーは我々を警戒するのでどうすることもできません」
「クーシー?」
「ええ、あの妖精の種類です。他の妖精たちを守っていることから、妖精の番犬ともいわれる種類なのです。そのため人間への警戒心がことさら強いんですよ」
「僕たちではあの子を助けられないんですか?」
「契約を結び魔力を分け与えれば一命を取り留めることもできますが、まずクーシーが契約を拒絶するでしょう」
傷だらけのクーシーをそのまま放っておくと死んでしまうのは、誰が見ても明らかで。
しかしその犬の瞳には強い生への執着があって、私は惹かれてしまった。
「ルーセル師団長……苦しい時にだれも手を差し伸べてくれなかったら、もっと苦しくなります」
口にした物に毒が入っていた時、地面に這いつくばる私を、母上は扇子で口元を隠して見ているだけだった。使用人たちは動揺せず、まるで風邪薬でも渡すかのように解毒剤を持って来ただけで、誰に手を取ってもらうこともなく、一人で毒に苦しんだことがあった。
その経験を目の前にいるクーシーの姿を重ねると、放っておけなかった。
いま思うと、ただの自己満足だ。自分がして欲しかったことをそのクーシーに対してすれば、喜んでくれるかもしれないと、思っていたのだから。
「ねぇ、だれが君に酷いことをしたの?」
私はルーセル師団長が止めるのも聞かずにクーシーに声をかけた。
クーシーは牙を剥き出し唸り声を上げたが、私の目を見ると、その牙を口の中にしまい込んだ。
「あなたは――月のでしたか。ご無礼をお許しください」
クーシーが丁寧な口調で話し始めると、隣に居たルーセル師団長が息を呑んだ。
「武装した人間どもが妖精界を荒らしているのです。弱いものを鉄の鎖で嬲り殺し、見目を好んだものを捕まえています。許せません――あの人間どもが許せないのです。奴らの首に牙を立てて仲間の仇を討たねば死ぬに死に切れません。この身に残る最後の力を使ってでもあの人間どもを呪ってやります」
いまにもこと切れそうなほど弱っているクーシーの眼差しは強く、凛としていた。
私はクーシーが羨ましかった。
奪われることに慣れていた私にとって、命を賭してまで大切なものを守ろうとするクーシーの姿は鮮烈で、強く惹かれた。
そんなクーシーの役に立ちたいと思った私は、ルーセル師団長から教えてもらったばかりの、契約魔法のことを思い出した。
「ねぇ、僕と契約しよう? 僕の力なら君を助けられるし、君はたぶん、いままでより強くなれる。それなら仲間を助けることができるんじゃないかな?」
「ノエル様、なりませんよ。クーシーは妖精の番犬ですから人間の言うことは聞きません。契約に応えることもないのです」
ルーセル師団長に止められたものの、私は譲れなかった。
意固地になってしまい、ルーセル師団長が困らせるとわかっていながら、もう一歩前に出てクーシーに近づく。
「僕は君が羨ましい。守るものがあって、命の限り守ろうとする君を尊敬する。だから力になりたいんだ。契約しても、僕の言うことを聞かなくていいから」
こちらをじいっと見つめる瞳を見つめ返して、手を前に出した。
「僕の名前はノエル・ファビウス。君の名前は?」
ミカは逡巡して私の手を見た。続いて私の目を。
彼がどうして迷っていたのか、愚かな私はその理由に気づいていなかった。
「……ミカエルです、ご主人様」
その手にミカの鼻先が触れた瞬間に覚えた安堵と喜びを、いまでも覚えている。
それは、生まれて初めて絆ができた瞬間でもあったから。
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