異国の街に着いたなら
今回の旅では、隣国ディエースを横断してシーアへといく。
グリフォンの馬車は順調に進んで、国境で検問を終えるとノックスとディエースの間にある大きな門を潜り抜けて再び空を走る。
空を飛んで国境を越えることは禁止されているから、国境ではどの馬車も地上に降りないといけないのよね。
検問はと言うと、あっという間に終わった。ノエルが言うには、バルテ商会は他国との取引があるため信頼されていて、特別早く終わったらしい。ドナの実家ってすごいのね。
感心しつつ窓の外を眺めると、早くもノックスには無い植物たちが迎えてくれる。
ディエースは淡い色彩の植物が多く、空から森を見下ろすと砂糖菓子のような景色が見られると聞いていたけど、まさにその通りだ。令嬢たちの旅行先で人気なのも納得できる。
「うわ〜! 素敵っ!」
可愛らしい景色に目が釘づけになってしまう。それに初めて訪れる外国というのもあって、視界に飛び込んでくる景色一つひとつに心が浮き立ってしまう。
「はしゃいでるレティせんせかわい~」
オルソンの言葉にふと気がついて馬車の中に視線を戻すと、ノエルとオルソン、そしてジルとミカの全員から見つめられている。
みんな、なんで私を見ているの?
こんな素晴らしい景色があるのになぜに私を?
思わず首を傾げると、ジルが深く溜息をついた。
「やい、小娘。これから泣く子も黙るあのシーア国王に会いに行くっていうのに呑気なものだな。小娘の事だから策なんて考えていないんだろう?」
「失礼ね。ちゃんと考えてきてるわよ」
オルソンを平民にしてノックスに連れて帰らせてくれとお願いしたところで、あの俺様で魔王様な王様がただでは動いてくれないことくらいわかっているもの。それなら相応の対価を用意するまでよ。
「最高の作戦を考えているから安心して。その名も、【ギブアンドテイクで円満解決☆作戦】よ! お願い事をするならこちらもシーア国王の願いを叶えたら万事上手くいくでしょう?」
我ながら名案だと思っているのに、ジルは眉間の皺を深くして不服そうに尻尾を揺らす。
「国王相手の取引を甘く見るな! 小娘の力ではどうしようもない要望をされるかもしれないというのに! 楽天的過ぎるぞ!」
そう言って、わあわあと騒ぎ始めた。
ダメ出しを喰らってむくれていると、ノエルがジルを窘める。
「ジル、そう怒らないでくれ。レティの作戦も良いと思うよ」
フォローしてくれるのはいいんだけど、肩を震わせて笑いながら言ってくれたってちっとも嬉しくない。
面白がってるわよね?
オルソンも視界の端でプルプル震えているの見えているんだけど、笑うの我慢しているよね?
二人して失礼よ。
更に腹立たしいことに、睨みつけると二人とも慈愛に満ちた微笑みを応酬してくる。
「直球で素晴らしい作戦だ。レティはこのまま変わらないでいてくれ」
「そーそー、レティせんせの魅力だからね」
しかも、珍しく二人が結託している。それからしばらく二人に温かな眼差しで見つめられてしまい、やるせない気持ちになって窓の外に顔を向けた。
◇
ディエースを越えてからもシーアへの旅路は順調で、馬車を走らせているうちに陽が傾き始めた。
「もうそろそろで宿泊地につきそうだな」
ノエルは手元にある地図や魔術具で位置を確認して、そう呟いた。
今夜はディエースの街で一泊する。というのも、ディエースは東西に伸びている地形のためシーアへの道のりが長く、一日では越えられないためだ。
初めて降り立つ異国の街に胸を躍らせていると、一度訪れたことがあるオルソンが街の話を聞かせてくれた。
いまから訪れる街ノチェブランカは交通の要所に位置しているから旅人や商人が多く立ち寄り、夜でも賑やからしい。毎日がお祭りのような街なんだとか。
まだ見ぬ街に想いを馳せて到着を待った。
◇
それからほどなくして馬車はノチェブランカの上空に差し掛かり、無数のランプに照らされた街並みに迎えられた。
オルソンが言った通り、街は人で溢れていて活気づいている。異国情緒のある街並や、見たこともない服装の旅人たちに心を奪われそうになるけど、今回の目的は観光ではないから我慢して宿屋へ向かった。
ダヴィッドさんが手配してくれた宿屋は大きくて由緒のある外観だ。
ピカピカに磨かれた大理石の床が眩しい食堂でみんな揃って夕食をとった後、オルソンとダルシアクさんは話し合いのために二人でオルソンの部屋へ行き、ダヴィッドさんは仕事があるため外に出て、私とノエルは食堂に残っていた。
「ねぇ、ノエル。ちょっと散歩に行ってみない?」
寝るのにはまだ惜しい時間で、外は夕空で仄かに明るい。おまけに初めて訪れる近くの景色がたまらなく魅力的で、出かけたくてウズウズしてしまう。
するとノエルは小さく笑った。
「いいけど、はしゃぎ過ぎて疲れないようにね」
「なによう。子ども扱いしないでよ」
「わかっているよ。レティはもうすぐ私の妻になる立派な大人だよね?」
声を甘くするノエルからはただならぬ色気が放たれていて直視できない。周りにいる宿泊客が息をのむ声やカトラリーを落してしまう音が聞こえてくるものだから、慌ててノエルの手を掴んで外に出た。
◇
ノチェブランカの夜はランプの灯りに彩られていてとても明るい。軒を連ねるどの建物にも大きさや形が様々なランプがつけられている。
屋台もあって賑わっており、オルソンの話によると、この街の人たちは仕事が終わるとお店や屋台で食事をするのが一般的らしい。
ノエルと一緒に大通りを歩いていると、酒場の店先に置かれた席に座って談笑しているダヴィッドさんを見つけた。仕事をしに行くと言っていたのに、もうお酒を飲んでいるということは仕事は終わったのかしら?
ダヴィッドさんは見知らぬ人たちと談笑しているから、もしかしたらお客様なのかもしれない。
「ダヴィッドさん、お仕事終わったんですか?」
声をかけるとダヴィッドさんは手招きして私とノエルも椅子に座らせる。
「いいや、仕事中ですよ。こうやって歓談することも商人にとっては大切な仕事なんです」
そう言って店主にお酒を注文してしまう。私はお酒を飲まないと言うと、私の分は果実水に変えてくれた。
「ささっ、今日は長旅お疲れさまでした。乾杯しましょう!」
勧められるままグイッと飲むと、喉が焼けつくようにひりひりする。
「これ、お酒……」
わかったとたん、クラリと意識が飛びそうになってしまう。
どうやら店主が間違って別の客に出す飲み物を渡してしまったらしい。
「レティ、大丈夫?」
「え、ええ。でもふらふらするからもう宿に帰ったほうが良さそうね」
よほど強いお酒だったのか、すぐに頭がふわふわとしてしまってうまく考えられない。ダヴィッドさんのお客様の前で粗相をしてはいけないからお暇することにした。
ダヴィッドさんとそのお客様に挨拶して、酒場を後にする。
「ううっ……久しぶりにお酒が飲めて嬉しかったけど、迂闊だったわ」
「歩くのも辛そうだからしばらくどこかに座ろう。夜風に当たれば少し和らぐかもしれない」
足元が覚束ないのを心配してくれたノエルが体を支えてくれる。しっかりと支えてくれている手は温かくて安心する。
意識がはっきりとしないとまた転んだりしてしまわないか不安で、ノエルに縋りたくなった。
「のえる……っ」
思わずノエルの胸に飛び込んでしまったけど、ノエルは難なく受け止めてくれた。温かくて落ち着く香りに誘われて顔を押しつけるといつものように髪を撫でてくれる。
だけどその手はいつもよりぎこちなくて。
「……のえる?」
「っ随分酔ってしまったようだな。呂律がまわってないよ」
顔を上げるとノエルが眉尻を下げてすっかり困りきった表情でこちらをみている。
そんな顔を見せられると、ムクムクと悪戯心が膨らんでしまう。この前の仕返しだと思って不意打ちでノエルの唇に唇を重ねてみた。
「レティ……っ! 人の気も知らないでそんなことしていると後悔するよ」
そんな言葉が聞こえてきたかと思うとノエルの顔が再び近づいて紫水晶の瞳に自分の顔が映る。
それからのことは、覚えていない。
次話、酔っ払いレティをノエルの視点でお届けします!




