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「トレント、逃げるのはいいけど行く当てはあるの?」
「無礼だな。お前と違って無計画ではない。仲間もちゃんといるぞ」
「仲間?」
「口を動かすよりも足を動かせ! 行けばわかる!」
こんな具合でトレントが教えてくれないまま合流地点を目指す。
その道のりは噴水広場に向かっているようだ。
噴水広場なら出店が並び人が多いから、ノックス国王たちも下手なことはしてこないかもしれない。
そう思っていたのに、気づけば周りはしんとしていて、学園祭なのにもかかわらず人影が全くない。
いつもであれば学園祭の間は学園内のどこに行っても人で賑わっているはずなのに……。
嫌な予感がしたがそのまま走り続けていると、本館を抜けて噴水広場まで辿り着いた。
「うそ、でしょう?」
朝は賑わいを見せていたその場所が、いまは人影がほとんどなくてガランとしている。しかも残っている人影の正体はサラたちで、私を見るなりみんな駆け寄ってきてくれた。
トレントが言う仲間とは、サラたちのことだったようだ。
「メガネせんせー! 無事でよかった!」
「みんな、これは一体どういうこと?! どうしてこんなにも人がいないの?!」
まるで私が国王から逃げ回っている間にみんな神隠しに遭ってしまったんじゃないかと思うほど、人がごっそりといなくなっている。
おまけに音楽部の演奏も賑わう声も聞こえてこなくて、不気味なほど静かだ。
「ご安心ください。皆さんには魔獣が現れたと言って競技場で避難してもらっているんです。いまから始まる戦いに巻き込まれてはいけませんので」
「それはあなたたちも同じよ。みんなと一緒に避難してなさい!」
先ほどのドーファン先生が生徒たちにも手を出してしまうかもしれないから避難するに越したことはない。
それなのに、みんな顔を背けて聞いてないふりをする。
「「「……」」」
「あなたたち、こんな時に限って揃って反抗期にならないでくれる?」
いくらメインキャラとはいえ、そして、いくら光使いのヒロインがいるとはいえ、ハッピーエンドが約束されているわけでもないこの世界でもしもの事があってはならない。
助けてくれるのは嬉しいけどみんなの無事を望んでいるから、これ以上一緒にいて欲しくないのだ。
そう思っているのに――。
「嫌! だって、メガネ先生すぐに無茶するんだもん!」
頬を膨らませたサラががっちりと抱きついてきて離れようとしない。おまけにオルソンも便乗して抱きつくと、頭にスリスリと頬擦りをして完全に密着している。
意地でも離れないと暗に示してくる二人に頭を抱えたくなる。
どうにかしてこの子たちを説得して安全な場所に避難させないといけないわ。
ノックス国王とドーファン先生がここに来る前にここから離れさせようと必死で頭を動かしていたのに、運命は残酷で。
「あら、人が少なくて良かったわ。目撃者は少ない方が処理の手間が省けるもの」
またもや物騒なことを言っているドーファン先生とノックス国王、そして護衛騎士たちが現れた。
この状況を言葉で表すのならば絶体絶命がふさわしい。
今日ほど女神様の存在を疑いたくなる日はないわね。
白目を剝きたくなるような気持で天を仰ぐと、皮肉なほどに晴れ渡っている。
「ベルクール先生、逃げないでください。あなたを使ってファビウス先生をおびき出すんですから」
ドーファン先生はまたもや怪しげな微笑みを浮かべている。
「ノエルに手を出したら許しませんよ。すぐにここから立ち去ってください」
「まるで悪者扱いですね。私も国王も、この国のためにファビウス先生から月の力を取り出そうとしているのに、あんまりですわ」
やっぱり、ドーファン先生がシーアの監獄から逃げ出した魔術師のようだ。
こんなにも残虐な考えを持った人物がずっと学園に潜んでいたなんて、本当にぞっとする。
「――それは、国王陛下からのご命令なんですか?」
不意にセザールが口を開いた。
その横顔からは何の感情も読み取れなくて。
「そうよ、陛下はそのために私をノックスに逃がしてくれて、研究の援助も行ってくれていました。とても慈悲深い方でしょう?」
「……ほう、強力な後ろ盾ですね。国王陛下、彼女が言っていることは真実なんですか?」
セザールは急にドーファン先生に興味を持ち始めてしまった。
こんな時になぜ、と疑問が浮かぶが見守る中、ノックス国王が「そうだ」と事もなげに答えた。
「あの化け物が神聖な月の力を手にしていてはならんのだ。女神だって間違いはある。本来の持ち主である儂が手にして運命を正さねばならぬ」
「ほう。そうでしたか。しかし我々は大切な恩師を失いたくないんです。罪のない恩師が暴君に苦しめられるのを黙って見ていられません」
あの、挑発してませんか?
セザールの言葉からひしひしと悪意が伝わってくるんですけど。
めちゃくちゃ刺激してませんか?
国王の神経を逆なでしてますよね?
辺りの空気がガクッと下がってしまい、嫌な予感がした。
こわごわとノックス国王の顔を見ると、怒りで顔を真っ赤にさせて震えている。
やはり怒らせてしまったようだ。
セザールこのやろう。鬼畜心が疼いても時と場合を選んでくれ。
あとでお説教するんだから覚えてなさい。
「無礼者が! ここにいる生徒と女を捕らえよ!」
ノックス国王の掛け声で騎士たちが剣を抜くと、トレントが植物に働きかけて騎士たちの身動きを封じてくれる。
するとドーファン先生が炎魔法を使って植物たちを焼き払い始めた。
このままでは騎士たちがこっちに向かってくるから、何としてでもサラたちを守らなければならない。
そう思ってサラたちに防御魔法をかける。
透明な結界の中にサラたちを閉じ込めると、サラたちは結界を壊そうと魔法を放ち始めてしまう。
お願いだから、じっとしていて欲しい。
ハラハラとしてみんなを宥めていると、ディディエの顔が一瞬で蒼ざめたのが見えた。
「先生、後ろ!」
振り返ると、騎士がすぐ近くまで迫っていた。
ジルとミカは別の騎士を相手にしていて、すぐには駆けつけられそうにない。
このままでは捕まってしまう。
立ち尽くすしかできなくなってしまったその時、騎士が一瞬で地面に崩れ落ちた。
なにが起こったのかわからなくて警戒しながら近づいて見ると、目を閉じてスヤスヤと眠っている。
「ね、寝てる?」
おまけに噴水から水が浮かび上がって宙を横切ると、ドーファン先生が繰り出した炎を消し去っていく。
この魔法って、もしかして――。
その姿を探すまでもなく、魔法を放った人物が声をかけてくれた。
「レティシア、無事?!」
「ウンディーネ?! それに、ダルシアクさんもなんでここに?」
声が聞こえてきたと思えば、すぐにウンディーネに抱きつかれてしまい、前が見えなくなる。
「闇の王からあなたのことを頼まれていたんです。ただ、気がかりなことがあって駆けつけるのが遅れてしまいました」
ダルシアクさんはそう言いながら羽ペンを一振りする。途端に倒れていた騎士が魘され始めた。
夢を操る魔術をかけているところを初めて見たけど、こんなにあっさりかけられるなんて恐るべし星の力。
「気がかりな事ってなんですか?」
「この学園全体に魔法印が描かれています。これまでに見たことがない複雑な印で、破壊を試みたんですが文字一つ消すことすらできませんでした」
恐ろしい事実に、体温が引いていく感覚がした。
そんな大掛かりな印を生徒が書けるわけがない。
ましてや、ダルシアクさんでさえ消せないとなると、書いた者は自ずと限られてくる。
「あの魔術師が書いた物でしょう。私の雇い主から話は聞いていますよね?」
ダルシアクさんがルスに雇われてノックスに来ているのはノエルから聞いていた。
初めて聞かされた時は、モブだと思ったダルシアクさんが意外と鍵を握っているのに驚かされてしまったわ。
「恐らくは月の力を取り出すために描かれた印でしょう。何としてでも、闇の王にこの地を踏ませてはなりません。ここに向かっていると思いますが、来たら追い返します。たとえ後で恨まれようと、私はあのお方を守り抜きますので」
「ダルシアクさん……」
どうしてゲームの中のダルシアクさんがノエルを裏切ったのか、わかった気がする。
きっとゲームの中のダルシアクさんもルスからノエルの身の危険を聞いたんだ。
そして、ノエルに恨まれてでもいいから助けたくて、光使いであるサラに助けを求めたんだと思う。
光使いの力ならあの魔術をどうにかできると考えたのだろう。
すべては、ノエルのための行動だったんだ。
「あの女、倒れてる騎士まで使ってるわよ。本当に人間なの? 血液蒼くなってるんじゃない?」
ウンディーネが非難めいた悲鳴を上げる。
顔を向けると、ダルシアクさんが眠らせた兵士たちから糸のようなものが見えていて、その奥でドーファン先生が指を動かしているのだ。
「チッ。こんな状況では傷つけずに防ぐなんてできないぞ」
トレントが植物たちの力を借りて騎士たちの身動きを封じれば、ドーファン先生が炎で燃やそうとして、それをウンディーネが水で鎮火する。
そんな膠着状態が続いた。
どうしよう。
このままじゃ埒が明かない。
ずるずると戦いが長引けば避難させている生徒たちが競技場に閉じ込められてしまうし、私たち大人たちがへたばってしまうとサラたちに危険が及ぶ。
すると突然、空を大きな影が覆った。
見上げるとドラゴンが太陽の光を遮っている。
漆黒のドラゴンが、旋回しているのだ。
「解除せよ」
ドラゴンの影からノエルの声が聞こえてきた。
空から光の環が下りて来て、騎士たちを囲むとプツリと音を立てて騎士たちを操っていた糸が切れる。
「ノエルと……アーテルドラゴン?」
まるで絵画を切り取ったような光景だ。
漆黒のドラゴンに乗って現れたノエルは紫紺色のローブをはためかせていて、その様はどこから見ても黒幕ではなく、危機に瀕した民たちを助けるために駆けつけてくれたヒーローのように見えた。




