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それから私たちはネブラ峡谷の話をしたり、近ごろの生徒たちの様子について話していた。
オルソンの話が聞けたらいいなと思っていたけど彼の話題はなく、他の先生たちから見てもいつも通りみたい。
悪い知らせがないのはいいことなのに、やはり安心はできなかった。
そんな感じで前方の馬車に乗っている生徒たちを見守りつつ話していること約半日、はしゃいでいた生徒たちが長旅に退屈を覚え始めたであろう頃合に、馬車はジェデオン辺境伯領に差し掛かる。
窓から真下を覗くと目の前の景色には岩山が並び、その付近にある街では見事な岩の家が並んでいる。
故郷の領地でも王都でも見た事のない独特な景観に視線が奪われそうになるけど、好奇心を抑えて生徒たちが乗っている馬車に視線を走らせる。
どの窓にも生徒たちが顔を寄せて景色に見入っているようで、目を輝かせている姿を見ると嬉しい気持ちになる。
修学旅行の準備は忙しかったけど、こうして喜んでくれているとやりがいを感じるのよね。
やがて馬車は地上に降りたち、ノエルに手伝ってもらって馬車をから出ると土の香りがして、見上げればそびえ立つ岩山があり感嘆が漏れる。
「いい場所ね」
思わずノエルに話しかけるとノエルは淡く微笑んだ。
「こういうところに住みたい? それもいいかもしれないな。二人で外国に行って、牧歌的な生活をするのも悪くはない」
「領地はどうするのよ?」
「現実的な話をしないでくれ」
どうやら冗談だったらしい。
だけどノエルの目が寂しそうに映ったものだから、追及できなかった。
ノエル、なにかあった?
胸の奥に生まれた微かな違和感をそのままに問いかけようとするとノエルの掌が頭に触れる。
「月の槍と、闇夜の棍棒と、星の剣。月の槍と、闇夜の棍棒と、星の剣」
ビックリして固まっている間にノエルは例の悪夢を見ないためにするおまじないを唱えた。
「え? 何でいま?」
寝る前のおまじないを真昼間にかけてくる意図が分からず、驚きのあまり目と口が同時に開いてしまう。
「おまじないだよ。悪夢みたいなことが起こらないように、ね」
悪戯っぽく笑みを浮かべるノエルの真意はわからず、取りあえず頭をさすってみる。ノエルの手が触れた感覚が思い出されるだけでとりわけ変化があるわけではない。
からかわれただけ、かもしれない。
気を取り直して生徒たちの元に行った。
「みなさん、全員揃ってますか?」
「「「「そろってま~す!」」」」
と、自己申告してくれているけど点呼をとる。
その間私たちの頭上ではドラゴンたちが旋回していて、生徒たちの気もそぞろだ。
この魔法世界にいたってドラゴンが見られることは稀だから気になってしまうのは無理もないわね。
全員が揃っているのを確認すると私たちのクラスはジェデオン辺境伯が保有している竜騎士団の詰所にお邪魔した。
団長のヴィトリーさんが仕事内容やドラゴンの生態について話してくれて、それが終わると獣舎に行って彼らの相棒であるドラゴンたちを見せてくれた。
どのドラゴンも体が大きくて迫力があり、人慣れしているとはいえ近くで見ると足が震える。だけど竜騎士たちは友人や家族のように彼らと接していて、そんな姿を見ているとドラゴンは別世界の生き物ではなくて身近な生き物のように思えた。
あと、魔法世界感充実してるな、と感激した。
それからドナが鍛錬している様子を見たいとせがんだから特別に見せてもらえることになり、近くの鍛錬場に移動して飛翔するドラゴンを眺める。
歓声を上げてドラゴンと竜騎士たちの模擬戦闘を見ている生徒たち。そんな彼らを見守っているとヴィトリーさんが声をかけてくれた。
「ドラゴンはどうですか?」
「初めは正直怖かったですけど今はとてもカッコいいと思います。今日は時間を作ってくださってありがとうございました」
「いいえ、お役に立てて良かったです」
ヴィトリーさんは頬に大きな傷があり強面な人だけど、胸に手を当てて粛々と礼をとる姿は紳士的で見惚れそうになる。すると急に、隣にいるノエルに腰を引き寄せられた。そのままノエルに倒れ込むような体勢になって慌てて顔を上げると紫色の目に覗き込まれている。
「な、なに? どうしたの?」
なにかが飛んできたから避けさせてくれたのかと、キョロキョロと見回してみても見えるのは苦笑するヴィトリーさんくらい。
はっきり言ってこの体勢は気まずい。
それなのにノエルはけろりとした顔で「なんでもないよ」なんて言ってくる。
「なんですって?!」
仕事中にふざけるとは何事かと問い質してやりたいところだが、ヴィトリーさんから何とも言えない視線を向けられ始めたから咳ばらいをして誤魔化した。
するとヴィトリーさんの相棒のドラゴンがやって来て撫でてくれと言わんばかりにヴィトリーさんにじゃれついている。
そんな姿を見ているとナタリスを思い出してしまう。
「ヴィトリーさん、空を飛んでいる時に子どものアーテルドラゴンを見ませんでしたか?」
ドラゴンを連れていたら見かけたことがあるかもしれない。
そんな期待を持って聞いてみたけど、ヴィトリーさんは首を横に振った。
「うーん、見たことはないなぁ。そもそもアーテルドラゴンはシーアの固有種だからここには来ないだろうね」
やはりナタリスの姿を見た人はいない。
もうシーアに帰ったのかな?
それで仲間の元に帰れたのなら、いいけれど。
だけどまたひと目見たいなと思う気持ちもあって、寂しくなった。
見学が終わる頃には夜の帳が降り始めて、生徒たちを宿に送る。
ありがたいことにネブラ峡谷は観光地だから宿がたくさんあり、それとジェデオン辺境伯と街の人々のご厚意で近場の宿をまるごと学園のために貸してくれた。
生徒たちを送り届けた後に教員用の宿に行ってグーティメル先生に報告をしているとブドゥー先生が真っ青な顔をして現れた。
「リゼーブルさんの姿が見当たらないんです。見かけた生徒が全くいなくて……気づいたらどこにもいなくて」
駆けつけてきたブドゥー先生は肩で息をしていて、声は震えてしまっている。
するとグーティメル先生が指揮を執ってすぐに捜索が始まった。
私はブドゥー先生と一緒に寮に残ることになり、他の先生たちは手分けして街中を探す。
フォートレル先生と一緒に探しに出ることになったノエルは、宿を出る前にそっと抱きしめてきた。
「レティシア、なにがあってもブドゥー先生と一緒にここにいるんだよ?」
生徒の心配をする時なのに私の心配をしてどうするんだ。
そう言いたかったけど真剣な眼差しで見つめられると頷くしかなかった。
すみません、いまから0秒出社なので小話をお休みします><




