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アロイスの話によるとイザベルの幻影を見た日から学園内で不穏な行動をとっている生徒を炙り出すためにしばらく泳がせていたらしい。
騒げばそれに便乗して逃げられてしまうかもしれない。
だから静かにセザールを動かしていたのだ。
なぜならセザールの大好物は人の弱み。
たとえ全校生徒の情報を集めろと言われたとしても彼にとっては朝飯前だ。
さすがはアロイス。
さすがは私の推し。
完璧な采配だわ。
セザールはもう一度眼鏡をクイッと持ち上げる。
「そうです。私はこの数日間、殿下に頼まれて学園中のありとあらゆる生徒たちの情報を集めていました。ですので皆さんが食堂で頼んだメニューから呟いた寝言にノートに書きこんだ落書きまで全て把握しております」
眼鏡の奥にある赤い瞳は嗜虐的な色に染まりきっており、見る者は思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
すると隣でドナが「相変わらず趣味わりぃ奴だな」と悪態をついた。
「ドルイユさん、まずあなたに聞きましょう。セラフィーヌさんがあなたに言い寄っていたというのは本当でしょうか?」
セザールの問いかけにオルソンが笑い声をあげた。
「無粋な言い方は良くないなぁ。でもまあ、セラフィーヌさんが積極的なのは否定しないよ。他の女の子が話しかけてくれていると追い払っちゃうほど俺に一途なんだから」
ねぇ、と促すように隣にいる女子生徒に話しかければ、オルソンに話しかけられた女子生徒はコクコクと頷いている。
他の女子生徒たちも賛同の声を上げていて、自分は罵声を浴びせられたとか突き飛ばされたのだとか訴え始めた。
イザベルがそんなことをするとは思えないけど、事実、オルソンを探していた時にはよく見かけていた。
もしかして、そのイザベルも幻影とか?
そんな希望を持って成り行きを見守っているとセザールがフフフと不気味に笑った。
「もしかしてそのセラフィーヌさん、現れてもすぐに消えませんか? 例えば罵声を浴びせてきたかと思えばすぐに踵を返してどこかに行ってしまうとか、物陰から急に現れてくるとか――それに、授業中はそんなことしてこないでしょう? ドルイユさんと同じクラスであるのにも拘わらず、必要以上は話しかけてこないんじゃないですか?」
どういうことかわからず、セザールの言葉を心の中で繰り返してみるけど、やっぱり彼が言おうとする意図が分からない。
オルソンもそのようで、コテンと首を傾げた。
「んー。確かにそうだったかも。で? それはつまりどーいうこと?」
「実は一人、怪しい人物を見つけたんです。休み時間になると忽然と姿を消す人物がいると聞きましてね。くまなく調べていたら面白い話を耳にしました」
セザールがまた眼鏡をクイッと持ち上げる。
「リエーブルさん、あなたは寮で変身薬を作っていましたね? 異臭がするから寮では作るなと注意を受けていたはず。ルームメイトと寮母さんに聞いたら証言してくれるでしょう」
その名前を聞いて、生徒たちが一斉にリエーブルさんを見た。大勢に注目されて肩を揺らす彼女は確か、ブドゥー先生が受け持つクラスの生徒だ。
これといって問題がある生徒ではなかったはずだけど……最近少し授業に遅刻気味だったわね。いつも肩で息をしながら教室に入って来ていたわ。
するとセザールが上着のポケットからガラスの瓶を取り出した。
購買部で売られているジュースの空き瓶のようだ。
「じつはこの瓶、最近校内に捨てられているのをよく見かけていたんですよね。気になって開けてみると異臭がして鼻が曲がりそうでした。この匂いはまるで変身薬と同じ刺激臭。そして購買部の人に聞けば誰がこの瓶に入っているジュースを買ったのか教えてくれました。リエーブルさん、あなたが頻繁に買っているってね」
蒼ざめるリエーブルさんを見て、セザールが笑みを強める。
「リエーブルさん、あなたが変身薬をこの中に入れて持ち歩いていたんでしょう? そしてセラフィーヌさんに変身していた。効果が長続きしないから、大量に作って休み時間の度に変身していたんじゃないですか?」
震えているリゼーブルさんに畳みかけるように「さあ、どうなんです?」と言って返答を催促する。
張り詰めた空気の中、リゼーブルさんは観念したかのようにがっくりとうな垂れた。
「だって、セラフィーヌさんの姿を借りないとオルソン様に近づけなかったんですもの。誰も逆らえないような圧倒的な地位がないと、オルソン様の取り巻きに追い返されるだけで……セラフィーヌさんを陥れるつもりはなかったんです。ただオルソン様に話しかける機会が欲しかっただけなんです。話してみたかっただけなんです」
「ふーん? で?」
セザールはにっこりと微笑みを浮かべて眼鏡をクイッと持ち上げる。
「悪気はなかったと言っていますが、あなたが姿を利用した人は王子の婚約者ですよ。それは王子を侮辱したのも同然。その罪の重さをわかっていますか?」
王族への侮辱は大罪に値する。
暗に示された罪状に、リエーブルさんは声も出さずに震えた。
その周囲ではざわりと声が上がった。
他の生徒たちは自分たちがしてきたことも問われると思ったようで、イザベルを睨んでいた生徒も野次を飛ばしていた生徒も、途端に気まずそうな顔をし始めた。
そんな彼らを見たセザールは舌なめずりでもしそうな顔をしている。
本当に恐ろしい子だ。
絶対に敵に回したくない。
すると黙って見守っていたアロイスが口を開いた。
「イザベルは罪の追及を望んでいない。学園内は政治的な圧力が及ぶべき場所ではないとして今回の件で咎めるつもりはないと言っている。だから先生方には知らせずに集まってもらったんだ。どうかその気持ちを汲んで欲しい」
イザベルったら、あらぬ噂を立てられていたというのに咎めないなんていい子過ぎる。
私の中でイザベルの株がさらに爆上がりした。
じぃんと感動しているとアロイスの声色が変わる。
「以上の証言によってイザベル・セラフィーヌに関する噂は事実無根だった。これに異を唱える者は?」
その問いかけに答える者はおらず、生徒たちはただ顔を見合わせている。まるでアロイスと目を合わせないようにしているようで。
「幻影を作り出していた者もそのうち見つける。自分から言い出した方が身のためだと思え」
アロイスそう言い残すとステージを降りてイザベルをエスコートし、講堂から出て行った。
二人が扉の向こうに消えてやっと、ドナが口元から手をどかした。
「ほらな? 上手く収まっただろ?」
「いいえ、まだ幻影を見せた犯人は見つかっていないじゃない」
「それはいまから探し出すんだよ。大体の奴の顔はここから見れたからよ」
得意げな顔をして宣言しているけど、ドナにそんなことができるのだろうか。
明らかにこの状況を楽しんでいるだけでドナが解決するのは無理だと思う。
そんな風に思われているのを知らないドナはフフンと鼻を鳴らす。
「さっきのでわかっただろ? 俺たちは子どもじゃねぇんだからさ、メガネは離れて見ときゃいいんだって。俺たちは自分でどうにかできるもんよ? だからぜってーに他の先生たちには言うなよ?」
それとさ、とドナは付け加えた。
「植物園の時みたく無茶しようとするなよ。……まぁ、あん時は助けてくれてありがとうな」
改めてお礼を言うのは気恥ずかしいらしく、照れ隠しなのか視線が泳いでいる。
かわいいところもあるじゃないかと思っていたら、そのまま講堂の外に放り出されてしまった。油断していたせいで盛大に尻もちをついてしまう。
前言撤回。
減点してやるから覚えておけ。
そんなことを考えていると、ジルが足にしっぽを絡めてきた。
「やい、小娘。あのガキが言う通りだぞ。首を突っ込んだり手を出すのはほどほどにしろ。さもないとあいつらが成長できなくなる」
「だけど……見過ごせないのよ。もしものことがあったらと思うと不安で仕方がないの」
もしも、バッドエンドを迎えるようなことがあったらと思うといてもたってもいられない。
ウィザラバのバッドエンドは残酷だから、あの子たちにそんな結末を迎えて欲しくなくて。
だからモブなりに精一杯動いてきたつもりだ。
けれど今日みたいに予測不可能なことが起こったらどうしよう。
幻影を見せた犯人だってまだ捕まっていないし、そもそもそんなイベントもゲームの中にはなかったもの。
私の知り得ないことが起こっていたらと思うとぞっとする。
そんな不安を抱えたまま、刻一刻と、修学旅行が近づいてきていた。
またもや日付をまたいでしまいました><
今日の分のお話を夜頃更新します。




